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【フラットアース散歩】東洋科学からは地球球体説はついに出てこなかった

科学関連の本を読んでいると、「東洋科学からは地球球体説は出てこなかった。これは不思議なことである。」というような記述にときどき当たることがある。これはフラットアース論の立場からすると当然のことだが、現行の一般科学論の上では確かに不思議に感じられるとは思う。そこから逆算的に、「地球球体説は西洋科学の押し付けたドグマに過ぎないのではないか?」などと推論することももちろん難しいと思う。そこまでウルトラCな技を試論的にキメることができる人はほとんどいないはずだ。もちろん職業的科学者には絶対にできない。地球が丸いことはもはや当たり前の前提なのであって、わざわざ問い直す必要があるとさえ考えられてはいない。とはいえ、羅針盤や火薬など、東洋科学では多くの歴史的な発明があるとされていて、しかしそれだけの知的体系の中から地球球体説がついに出てこなかったことを不思議に思うのも、無理はないように思う。あるいは東洋はあくまで「技術」として科学的に優れており、「概念」を捉えることに関しては西洋に劣った、という見方を取って、なんとか収めているかもしれない。

この世界の形状や仕様について、東洋科学というか中国では少なくとも3つの考え方がかつてあったと言われている。①蓋天説、②宣夜説、③渾天説。①の蓋天説が最も歴史が古く、またフラットアース論に最も近く、大枠は同じと言ってもいい。②の宣夜説は地側はフラットだが、天側は無限の虚空のようになっていて、これは現代の宇宙論とコンセプトは同じように見えておもしろい。フラットアースとグローヴアースのハイブリッドである。だがこれはあまり流行らず、すぐに廃れたらしい。③の渾天説は、地に対して天はとても大きいと見ているところがやはり現代の宇宙論と似てはいるが、こちらは無限の虚空ではなく、水の下に天があるとしているところはおもしろい。しかし太陽などの天体はその地面の裏側をぐるっと周ることで昼夜が発生しているとしていて、そこは西洋の天動説にやや近い。

だが結局、そんな楽しいユニヴァース論たちが長らくルンルンと闊歩していた中国にも17世紀の初め、例の如くイエズス会がノコノコとやってきて、西洋科学がやっぱり勝利することとなった。そのイエズス会の中心人物はマテオ・リッチという著名な人物で、彼は「地球」という新しい言葉さえ作り、最終的に日本にもその単語は真空パックで輸入されて今に至り、「地球と言うからには球体なんだよね」と訳知り顔で話す呑気な日本人を大量に生んだ。そしてこれからも生み続けるだろう。

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