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塩と南極の川:フラットアース自然誌

南極には川が流れているようだ。実際に見たことはないが、写真でならある。この川が最後には海に向かって滝のようにジョボジョボと流れ落ちている。海水は南極海で新しく作られているという見方は現行の海洋学でも言われていることだが、この川もまた新しい海水の"蛇口"なのかもしれなくはない。でもこの川の分布や、また水質については僕はよく知らない。またそのうち。

この南極の土地を南に(つまり世界の中心点たる北とは逆方向に)ずーっと進むと何があるかはわからない。なので、この南極の川の蛇口の上流がどうなっているのかはわからない。どこかに大きな貯水池があってそこから引いてあるのかもしれないし、そのまま世界の端っこ(トゥルーマンショーのラストシーンみたいにドームの内壁かもしれない)の向こうへ水道管のようなものが繋がっているだけかもしれない。そしてその先に何があってどうなっているかは、ほんとうに誰にもわからない。

南極では赤い川も流れているらしい。血のように赤いらしく、たしか鉄分が多く含まれるているんだったと思う。海水には微量に鉄分が含まれているらしいので、ここで鉄分の量を調整しているのかもしれない。それでいくと、死海もまた海水の塩のための調整システムであるとイメージ出来なくもない。ただ死海は外洋と繋がっていないので、これは当たらないかもしれない。ただ20世紀中頃から湖面が低下しているらしいので、なんらかの水路があるかもしれないし、また湖内に湧き水が出るところが1箇所あるらしく、そこがどこかと繋がってはいるとは見れておもしろい。

塩分の調整という点では、貝は海水中の塩分をその殻の形成に使うんだったと思うが、それはそれでまた生物がこの世界の動作にひと役買っているのだとは言える。ある晴れた夏の日の港、コンクリ護岸の壁にびっしりと張り付いた無数の貝たちが、なんとも美しく見えてくる。そうなってくるといよいよ何も知らず生きているのは人間だけなのだという気もしてくるが、しかしあの美しい貝たちもまた自分が何をやっているのかは知らないのであろう。だがそれでもそれがこの世界の運営の片棒を担いでいるとするなら、神を賛美し感謝する役目が人間にはあるとするタイプの宗教や信仰の見方の理路も、一応わかる気はする。

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