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天蓋はあるか?:フラットアース自然誌

天を高くまで行ったところにドーム天井がある、というのがここまでの現代のフラットアース論で主だって語られているところではある。これは古今東西の多くの古代の宇宙観でも似たところだ。またそれがドーム状ではなく、単に箱型であるというのもあるにはあったと思うが、この箱型のバリエーションは現代ではあまり語られないと思う。またそれが屋根ではなく、地上から生えた巨大樹の枝になっているものも古代のものにはあると思う。これは北極点(つまり世界の中心点だ)から生えている木であると見て良いと思うし、北極点がどうなっているかというトピックと繋がってはいておもしろいが、観察する限り(と言うべきだろう)、それは比喩のレベルのはずだ。いずれにせよ天を高くまで行ったところにはなにかしらの屋根があり、この世界は箱庭的に閉ざされているというのが、西洋科学(という信仰)以外のほとんどが示してきた宇宙観ではある。これについては今僕らはどのように考えれば良いのであろう。天に蓋はあるのか?

ともあれ現代のフラットアース論では、サンドッグや虹によって、それはドームであると語られることが多いと思う。前者は、ドーム状の物体の中に光源を置いた時の反射がサンドッグに似ているという理由であり、後者はそもそも空中に鏡がなければ虹は出現しないという理由である。また後者は同時にその鏡がカーブしていることをも言い(鏡が真っ直ぐなら虹も真っ直ぐになる)、当然その材質が鏡のように反射するものであるということをも言う。しかしその屋根の存在は、誰によっても直接的に確かめられてはいない。間接的な証拠が積み上がっているに過ぎないといえば過ぎない。ギリギリあるのは、アマチュアの実験でロケットを上空に飛ばした時、それがどんどんと上昇した最後にはコツーン!と何かに当たったような音がして、しばしモキュモキュと何かにめり込むような音が聞こえ、そして最後には落下してゆく映像があるという程度である。航空法によって僕らは空を自由に飛行できない。

ここで仮に、天をどこまで高く行っても屋根(あるいは物理的な壁)が"無い"と仮定しても、別に不都合がないと言えばない。サンドッグや虹は、そのように反射する特殊な気体によって生まれているとすることだって理屈上は出来る。地上には存在していなくて天にしか使われていない特別の物質があったって何の不思議ももはや無い。このあたりは南極(世界の端っこ)の南限と同じで、どんなことだってあり得る。考え得る以上はその可能性を排除しなくて良い。

とはいえやはり特に虹のことを考えると、それが個体であれ気体であれ液体であれ、鏡面反射する物質で境界が引かれていると考えるのが自然だと思えはする。そうなってくるとその境界に対して天体はどのような位置関係にあるのか、また鏡面反射するなら地上からの天体の見え方にそれがどのように影響しているかも考慮できて、もうわけがわからない。対象を直接に観察できないというのはかくも辛い。水族館のイワシは自分の水槽のことしかわからない。水族館全体の水のシステムや、ギフトショップの今年の売り上げや、人事について(つまり神と天使だ)はわかりようがない。とはいえ知ったところでイワシの一生には全く関係ないと言えばない(と思う)ので、それで良いと言えば良いのかもしれない。旧約聖書の世界では、エノクという人物がエチオピア語エノク書とスラヴ語エノク書という偽典に属する書物の中で、天の全部を見て回るバックヤードツアーに出ている(神に正式に招待され、天使がツアーガイドを務めている)が、まったくこれは全フラットアーサーまたは全自然哲学者の夢である。

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