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Twitter球体派の歴史2020-2023【平面説の路地裏から】

僕はフラットアーサーとしてツイッターで主に活動していて、フラットアース論に反対する通称「球体派」と呼ばれる人たちとのコミュニケーション量も多いほうだと思う。段違いに多いと言ってもいい。僕は彼らをずっと見てきた。そこには多くの反面教師的ヒントがある。彼らはそうとは知らず、僕を実質的に助け続けてくれている。しかしそんな彼らについてnote記事まで書くつもりはなかった(あるいはまだ早過ぎる)が、どうしてもひとつ、ここに残しておきたいと思えるテーマが見つかったので、それを今から書こうと思う。これからもフラットアース論はリレーのように伝え続けられてゆくと思うが、その大きな発端となった2020年当時から3年間、彼らが少なくともツイッター上ではどんな様相であったかをいったん残したい。とはいえ、僕がツイッターに参加して発言をし、球体派たちとやりとりをするようになったのは2020年8月初頭のことで、今は2023年の7月下旬だ。この期間についてだけを僕は語る。それ以前のことは直接知らないし、そしてあくまで、あくまで僕が見て感じたところからだけを書く。なので、これが全てだと思わないでほしい。他の多くのフラットアーサーが多くの球体派といろんなやりとりを交わし、いろんな見方と文脈がそこで生まれたはずだからだ。
そして球体派たちへの僕の思い入れはとても強い。とても強いことを僕は認識している。だからいったん書き始めるととめどなくなってしまうかもしれない。それを防ぐために、意図的に簡単に書くにとどめる。チラシの裏になぐり書かれて冷蔵庫に貼り付けられたヒョロヒョロのメモ書きのような簡易な体裁になるかもしれないが、うん、あいつらにはそれで充分である。

さて語り始めよう。
まず総体として彼らの様子は、2020年夏から2023年夏のあいだで大きく以下の3つの段階を経て変化している。これに基づいて話を進める。

①それぞれの球体派アカウントが単独的でスタンドアローンである時期
(2020年夏以前〜2021年秋ごろ)
②移行期
(2021年秋ごろ〜2022年初頭ごろ)
③それぞれの球体派アカウントが繋がってコミュニティ化している時期
(2022年初頭以降〜現在)

まず①のスタンドアローン期の球体派アカウントでは、「アンチフラットアース」(後に『異世界観測局 愚痴垢』に名称変更)「kizm」「塩崎ツトム」「HIRO☆」「ヨージ」「Hamaya」「馬場」などがいたが、彼らはお互いに繋がり合わず、コメントをすることも、いいねを押すこともなかった。彼らは実に単独的にそれぞれのフラットアーサーとやりとりをしていたし、そのやりとりの中に他の球体派アカウントが割って入っていくこともほとんどなかった。一方そのときのフラットアーサー側はというと、コミュニティ化されていて、他のフラットアーサーと球体派とのやりとりにしばしば割って入っていた。ここは興味深く対照的である。

では②の移行期であるが、この時期に新しく登場したアカウントは「フラットアースの反証集」「山中」(後に『ネムーィ』に名称変更)「cooleye_30z」「形跡」(後に『鉛の人』に名称変更)「FXの救世主」「三連星」などがいる。ではなぜここから③のコミュニティ期へと移行したかというと、ひとつは「フラットアースの反証集」が球体派アカウントのポータルサイトのような役割を担おうとし始めたことがひとつ大きな潮目ではないかと僕は思う。このアカウントのTLでは球体派・フラットアース派のものを問わずリツイートされ、ひとつの"渦"をそこに形成した。これは以前には無かったことであり、また球体派アカウントのツイートを一ヶ所で並列的に閲覧できるという状況がここで初めて生まれた。しかしこのときにはまだ依然として彼らはお互いにコミュニケーションを取り合ったり、いいねを押すということも無かったと思う。しかし僕が初めて彼らのそんな様子を見たのは、①スタンドアローン期の「アンチフラットアース」と②移行期の「形跡」とのやりとりが初めてであったと思う。彼らは何やら2ch用語っぽいものでじゃれあったコミュニケーションをしていて、こんなことも起こるのかと僕は驚いた。それからしばらくして「三連星」が登場し、独特のフワフワした口調と軽いノリで、他の球体派とより頻繁にフランクに繋がり始めた。そしてこの「三連星」こそがこの移行期を終わらせたのではないかと思う(なんと後に彼は、ツイッターのスペース機能で球体派同士の親交の場や、フラットアーサーを含めた議論の場をも主宰した。まったく偉業である)。これ以後、球体派アカウント同士はお互いに繋がり合い、いいねを押し合ってゆくのが普通になってゆき、③コミュニティ期に入ってゆく。

ではそこから2023年夏現在に続いている③コミュニティ期では「Queue Musashi」「ムギ」「かき」「カカシ@F1&ワインニキ」「半透明」「HALF RUNNER」「たそがれ侍はウクライナと共に!」「Rマシスン」などがいるが、この時期には特に①スタンドアローン期の球体派アカウントは、もうほとんど活動していない。しかし全体としても、新規の球体派アカウントの数も最も多くなっているはずだ。これはフラットアース派アカウントの増加とも呼応しているようでおもしろいと思う。そしてここから基本的には球体派アカウント群の挙動には大きな変化はない。①スタンドアローン期の「kizm」が911のテロ事件は自作自演であり、飛行機はCGであると言い出してからはしばしば他の球体派アカウントたちと定期的に衝突していたり、つい先日には同じく①スタンドアローン期の「Hamaya」が③コミュニティ期の「Queue Musashi」の科学的説明に難癖をつけて、そこへ他の同球体派コミュニティアカウントも加勢に加わって「Hamaya」への斬り込みを試みたりしていて(この加勢現象は先ほどの『kizm』の場合も起こる)、現在のコミュニティ化と固定メンバー化がすっかり浸透して定着していることを実感させられて、とても印象的な出来事だった。これが今回の記事を書いておかねばと思わせた直接の引き金であった。ごっそさん!

さて以上が、僕から見た限りにおける球体派アカウントの挙動の簡易な歴史記述である。コミュニティ期ではアカウント数も増えたかわりに全員が等しく"小粒化"したことなどはここでは一切触れない。人間はダマになるとだいたい"小粒化"するのだが、これは人文的要素も含むために間違いなくキリがなくなるからである。しかし②の移行期について、もう少しだけ付け加えておきたい。それはその時期のフラットアース派側の挙動についてである。

実はこの時期、フラットアース派側でも移行期を迎えていた。詳しくは以下のリンクの、当時オンタイムで書いた拙記事を読んでいただきたいが、

この時期にはフラットアースのエンタメ化やビジネス化がすすみ、ユルい話も増えてきていた。これはツイッター上での出来事に限らないのではあるが、しかしこれが球体派アカウントたちになんらかの影響を及ぼしたと僕は思ってはいる。ガリレオの時代ならいざ知らず、この現代においてはフラットアース派があってこそ、球体派には存在理由があるゆえに影響を受けないはずがないと僕は見ている。ともあれフラットアース派はこの時期に初めての分断を経験し、細分化した。細分化した先ではまたコミュニティ化が進んだとは思うが、基本的にはそれとは反対に球体派はついにコミュニティ化を果たしていたのであった。これはツイッターのような相互コミュニケーションのより容易なシステム上では、もう後戻りしないのではないかと思う。ただ僕としては、コミュニティ化以前のスタンドアローン期の球体派アカウントたちは素晴らしかったと今となっては思う。彼/彼女らは、近くにいる誰の肩にもたれかかることもなく、ただただ科学の巨人の肩の上にだけ立ち、あとは自らの手で論調を編んだ。あの不細工な編み物が、しかし今となっては美しい。美しかったことに気付かされる。もういちど、それが目の前で編まれてゆくところを見たい。そのためにはおそらく僕らが、いや、僕が、それをやってみせることでしかあり得ないだろう。実に面倒である。

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