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それでも球体派は被害者である

少なくともTwitterでは、地球が丸かろうと平らだろうとどうでもいい、というふうに言う人もいる。生活と何の関係もないんだから、と。もちろんそれは文面上だけであって、ほんとうにどう考えているかまでは僕にはわからない。そういう意見の人と直接にやりとりをしたことが無いので、あまり奥の方までは知ることができていない。なので僕としては「地球の形状がどうでもいいという言明はこうこうこういうことを意味するのでウルトラハイパーナンセンスですよ」みたいなことを(リプではなく)ぽつりとひとりツイートしてみる程度しか試みていない。どうでもいいとわざわざ言っている人に対して何かが出来るとも思えないといえば思えない。

そこへくると球体派は偉い。地球は丸いとはっきり結論しているからである。それがどんな理屈であれ「どうでもいい」と少なくとも言いはしないからである。言わないだけじゃなく、フラットアーサーに対してそれを主張しさえする。どうでもいい派と比較すれば、これはめちゃくちゃに偉いことなのである。そしてそのぶん彼らは被害者である。この現行の社会または社会制度や社会構造が、現行の「科学」と一般に呼ばれるところの謎学問を基軸に据えた宇宙観のもとで運営されていることの産んだ被害者のグループに、彼ら球体派は属している。それはちょうど公害のようなものである。つまり彼らは汚染の激しい土地にたまたま暮らしていたのだ。

現行の「科学」の影響や恩恵は基本的には全世界に及んでいると見做され、少なくともここ日本ではそうであると言っていいと思う。しかしほとんどの人はその「科学」の"内容"を"理解"まではしていない。ぼんやりと"共感"しているか、ただただそのアウトプットを日々なんとなく享受している感じなだけである。そんな中で球体派は違う。「科学」の内容を理解しているのだ。そしてそれは社会の中で少数派である。そのマイノリティの端くれではあることをおそらく彼ら自身も認識してはいると思う。彼らはこの世界や社会の全員にとって正しい物事である「科学」の内容を"理解"している少数の"選ばれた"マイノリティな人間なのである。しかし彼らはその「科学」を理解するために(あるいは試験で得点するために)、そのためにこそ、根本的に、根源的に、原理的に思考することを放棄せざるを得なかった。彼らはそうとは知らず、間違ったことを正しいと見做すことの代償として、生まれもった自然の思考力を手放さざるを得なかったのである。それがいつの日かまた彼らの手元に戻ってくるかは誰にもわからない。もちろんそんな取り引きをかつてしてしまったことに彼ら自身は気づいていないが、つまり「科学」がその権威性を獲得あるいは強化または持続するための企ての中で設えられた教育制度において、彼らは集中的に、そして少数派的に、特別的に、特権的に被害を受けてしまったのである。とはいえ、ほとんどの人が多かれ少なかれ間接的には似たような被害を被ってはいるものの、彼らのそれは特に"科学的に"兆候的な直接的被害なのである。

もしも仮に科学権威が「すいません地球は平らでした、関係者全員失業してお詫びします」と発表したとしたら、"どうでもいい派"ならば「あっそ、どうでもいいわ」と済ませるのかもしれない。だが球体派は「それでも地球は丸い!」と立ち上がることはない。おそらく彼らは、自分がなぜ地球を丸いと考えていたかをただ忘れてゆくだけのはずである。試験に出ないもの、つまり社会で通用しないものを憶えておく必要は彼らにとって無い。ゼロである。それは生き方なのである。被害を受けたのは知識ではない。生き方である。ガリレオが草葉の陰で泣き、嗤っている。


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