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2022.2.7 はんこ(印章)について素敵な記事を見つけました。

雑誌「正論2021.1」に掲載されていた、竹田恒泰氏のはんこについての記事! いかにはんこが素敵で便利かという内容に、とても共感しましたので簡単に要約してみました。(元ネタが少し古くてすみません・・m(_ _)m )

----- 以下、要約と+αさせて頂いた内容です。-----

「はんこ(印章)」文化の在り方。

 2021年 当時の行改大臣は、改革の一つとして、行政手続き上の押印廃止を進めてた。「ペーパーレスの推進」を掲げたならまだしも、「押印廃止」を掲げたことで、判子は「無用の長物」と見られてしまった。

 大臣はまず、押印を廃止し、次に書面とファックスを廃止しデジタル申請に移行していくという。しかし本来「押印廃止」ではなく、「デジタル化」を進めるというだけでよかったのではないだろうか。

 なぜわざわざ”廃止”というワードを使ったのか。解りやすい”悪”を作り出し、自分はそれに対峙する正義として、手っ取り早く「押印廃止」で成果を誇示しようとしたのではないのだろうか。

 これにより、様々な場面で重要な役割を果たしていた印章業界も大打撃を食らった。よく政治や公共を語る上で、癒着とか権益とか言われる、いわゆる”悪”のワードがはびこる。もちろんそこにあぐらをかく人たちも多く居ることは事実だろう。しかし全てが全てそういうわけではない。社会において重要な役割をはたしている方々や物やサービスもそこには存在し、そしてその業界の下には大勢の生活がある。そのことを考えると、影響力と権力を持つ者が軽々にそのような発言をすべきではない。


 「判子をどのようになくすか」ではなく「なぜ判子が長年用いられてきたのか」に意識を向けてもらいたいと思う。


 例えば、判子渡すこと自体、委任があったものと推定されるため、委任状や判子証明なくして代人に意思表示をゆだねることが出来る。

 家族に通帳と印鑑を預ければ、委任状が無くても銀行から現金を引き出すことが出来る。もし、判子が廃止されたら、毎回委任状を作成する必要があり、またその委任状も判子なく認証する方法は煩雑である。

 デジタル化が進みつつある近代社会であるが、ハッキングの手口は巧妙である。他方、たとえ判子が盗まれても、すぐに改印すれば悪用されることは防げるため、自分でリスクを管理することができる。

 そんなアナログだからこそ、確実で便利な事も沢山ある。では泥棒にはいられたらどうか?という意見もあるが、デジタルのハッキングにくらべたら、その確率は相当引くことはたしかだし、その犯罪を犯すリスクは非常に高く、到底割に合わない。


 あくまで例えではあるが、かの孔子ですら、七十歳になってようやく、「心の欲する所に従って矩を踰えず」と述べている。

 まして孔子でもない一介の、大臣職の若者が何千年も親しまれた判子文化に手を付けることに畏怖の念を感じないとしたら、日本人としての共用を疑う。


 各国各民族の歴史文化に合理主義のメスをいれるということ。それはある意味とてもムダが省かれ良いことと思われがちである。しかし、生活に必要だけを用いることにすると、ほぼ全ての文化という文化はことごとく破壊される。お正月・七五三・神社仏閣・天皇・祈り・挨拶・思いやり・・・ 全てがムダである。もちろん全ての人に押し付けるものではなく、それぞれが考えれば良いこともあるが、一旦このようなことを公的にムダだから辞めろ!と押し付ける流れを許したら、あらゆる日本文化が侵食され絶えていくだろう。


 (正論2021.1 号 竹田恒泰著 君は日本を誇れるか 記事を参考)


202101_正論1


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