明日はカルーアを買いに行く

突然、空想が舞い降りた。縁起のいい空想だ。

わたしは上気した頬で、やや興奮したようにインタビューに答えている。翌朝、実家にいつものローカル紙が届く。一面にはわたしの顔。見出しはこうだ。
“県人芥川賞受賞”

34歳で芥川賞を取る。
久々の落ち込みに見舞われ、洗う気力もなく立ち尽くした台所の、汚れた食器の山の前で、なぜかわたしはそんなことを考えた。

最近つまみ読みした本がある。
こうして、思考は現実になる」。
第1章をじっくり読んだ後、しかしまじめに実験をやろうとは思わなかった。
きっと多くのマイナスレビューを書いた人たちがそうしたように、わたしもこう思ったのだ。
「本当に想うだけで欲しいものが手に入るなら、いちばん欲しいものを今すぐ手に入れてやる」
一応本に書かれた通りの体裁を取って、わたしは48時間念じ続けた。偶然と言われればそれまでのような出来事しか起こらなかった。

わたしは落ち込んだ。さらに追い討ちをかけるように、知らぬ間に家賃を滞納していたことに気づいた。手渡しの給料を口座に入れるのが間に合わず、残高不足で家賃の自動引き落としが行われていなかったのだ。
(もうだめだ…無理だ…)
わたしの心の中はたちまち絶望の声であふれた。
(わたしにはできない…もう生きてゆけない…)
声はえんえんとシャッフルリピートされる。
(どこかにお金が落ちていればいいのに…)
ごうごうと吹き荒れる絶望と無力感の嵐の中でまどろんでいた時、ぱっと雷が頭に落ちた。
「書きなさい!」
子供を叱る母親のような、毅然とした声だった。眠気が一瞬で覚めた。当然、家の中はわたし一人だ。
同時に声はこうも言った。
「見たいものではなく、見えるものをよく見て書きなさい」

意味がよく分からなかった。ノンフィクション小説でも書けということか?
よく分からないまま体を起こしたわたしは、本の中の「お金がないと思い込むからお金に困る」という一節を思い出し、「どうなるか分からないけど、とりあえず今日だけは自分に外食を許そう」と思った。おいしいものは心を慰めてくれる。
食べるなら、こってり濃厚なしょうゆとんこつチャーシュー麺がいい。実家の近くの、あのラーメン屋の。

わたしは支度をしてバスに乗った。
乗り込む5分くらい前、こんなことを思いついた。
「あの本には”真っ黄色の車を見る”と念じているとその通りになるという実験が載っていた。もしバスに乗っている間に1台でも真っ黄色の車を見たら、あの仕事は断ろう」
実を言うと、落ち込みの主成分は実験の失敗や家賃のことではなかった。1月から始めたアパレルのアルバイトを月初めに辞めたわたしは、新しい仕事の面接を受け、受かった。
セラピストの仕事だ。待遇など、けちの付けどころがないわけではなかったが、わたしには経験があった。他人から見ればなかなかいい話だっただろう。

しかし、店舗から少し離れた事務所で最初の研修を受け、久しぶりに他人の体をべったりと触った時、わたしの心には言いようのないざわめきが起こった。そして悟った。
わたしにはアーティストとして生計を立てる以外、喜びを感じながら生きる術がないのだと。
しかし断る言い訳が思いつかないまま、うだうだと日々が過ぎ、金の心配で筆は進まず、落ち込みは蓄積されていった。

踏ん切りがつかないまま、よたよたとバスに乗った。
もう一人の自分がにやにやとささやく。「無理だって」
乗車口からほど近い席に座り、進行方向をぼんやりと眺める。数分後、交差点で何か黄色いものが視界に入った気がした。すぐにトラックの影に入ったそれが再び現れるのを待つ。
真っ黄色の車だった。
数秒後、後を追うように別の黄色い車が現れ、先の車と同じ方向に消えていった。
9台。バスを降りるまでの、ほんの20分の出来事だ。

その後バスを降りて実家に荷物を置き、ラーメン屋まで歩きながら「あと1台でキリのいい数字になるなあ」と思っていると、またいた。
そのうち6台はショベルカーなどの業務用車両だったが、残りは全て普通の家庭用乗用車だった。ここまで来てやっと、わたしにはあの声の意図が分かった。
わたしはまた、絶望を見たがっていた。

わたしの頭の中に住むもう一人のわたしは、悲しいことが大好きだ。彼女は悲劇のヒロインになることでしか自分は注目を集められないと思っていて、他人からの薄っぺらい同情を最高の糧にして生きている。そのためなら、わたしが何年もかけて取り戻した直感をいとも簡単に殺してしまう。

頭の中の彼女が見たいものは、絶望と無力感。
だが今のわたしに見えるものは、作家としての栄光だ。

その後実家の近くで買い物をしていても、彼女はめそめそと泣き続けた。
「だって、お金が」
「病気だから、働けないのに」
そのたび、わたしは心の中で彼女を優しく抱き上げ、膝の上に乗せ目を見て諭す。かつて自分がそうしてほしかったように。
「あなたは、本当に今のままがいいの?それとも、もっと不幸になりたいの?苦しくて幸せなのと、楽で幸せなのと、どっちがいいの?人のことは関係ないでしょう。あなたはもっと思いっきり幸せになっていいのよ」

本では仔犬のトイレトレーニングに例えていたが、こういう不幸を選ぶ自分に優しくできず諦めてしまう人の存在が、マイナスレビューの正体だろう。同時に買った「心の傷を癒すカウンセリング366日 (講談社+α文庫) 」の恩を痛感した。

わたしは幸せになっていいのだ。
数多のカウンセリングやセラピー本で教えられたことがやっと腑に落ちたところで、心配事がまた一つ。
実家にも、もう一人悲しげな女の子がいたっけ。
帰り際、花屋で立派なスプレーストックを買った。母の好きな淡いピンク。花びんに活けると素晴らしい香りが家中に満ちた。

目的地は遠い。でも見えている。あとはわき目を振るのをやめてまっすぐ歩き続けるだけだ。
お金がないという思いこみに夜這いをかけられたら、またおいしいものを食べに行こう。

※2015/03/17のtumblrより転載

#読了 #パムグラウト #西尾和美

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