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家族のカタチ ⑧




“なぁ、祐希───”




“本当は、皆大切なんだ。

でも、一番大切な人と一緒にいる為には、こうするしかなかったんだ。

それでも許されるなら、俺はやっぱり、家族に幸せであってほしい。

だからさ、祐希だけは、あの二人と一緒に居てやってくれないか。

あの二人を、支えてやってくれ”




地面に崩れ落ちた私は、何かを言葉にすることさえも、出来なくなってしまった。

死んでしまうんじゃないかというくらい、心が苦しくて。

死んでしまった方がマシなくらい、世界が灰色に見えてしまって。

全てを捨てる覚悟で想いを伝えたのに、駄目だった。

お姉ちゃんと飛鳥にどれだけ恨まれようと、お兄ちゃんが居てくれたらそれで良いと本気で思ったんだ。

私は二人を見捨てた。

二人の気持ちは痛い程分かっていたのに、三人で諦めずに頑張ってきたのに。

私だけが運良くお兄ちゃんに出会った途端抜け駆けのように二人をあっさりと見捨てた。

“あの二人を、支えてやってくれ”

だからこそ───お兄ちゃんの言葉は心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。

謝っても許されるような事じゃない。

それなのに取り繕ったような言葉しか出てこなくて。

こんな時すら、雨の冷たさを感じてしまう自分が本当に嫌になった。

もうダメだ。

私には、何も残っていない。

いや、私が全てを壊してしまったんだ。

一度壊れてしまったら元に戻せない脆くて淡いガラスのような日々を、私は自らの手で粉々に砕いてしまったんだ。

途轍もない罪悪感が身を包む。

私は、

私は───

「祐希…元気でな」

「────っ!!!」

お兄ちゃんの一言は、私が望んだ未来を簡単に壊した。

希望なんて一つも残っていない、末広がりだったはずの未来が痩せ細って一本の線と化した。

それでも、私に出来ることはまだある。

無理矢理にでもお兄ちゃんを引き留めて、お姉ちゃんか飛鳥を呼ぶ。

私はもう駄目だけど、二人ならきっと…。

何がなんでも止めなきゃ。

お兄ちゃんの背中が小さくなっていく。


“おにーちゃん”


声が出ない。

目一杯手を伸ばしたけど、届かない。

待って、お願い…行かないで───

………

会場へ向かう途中、視線の先にお姉ちゃんを見つけた。

どんな顔をしたら良いか分からず、俯くことしか出来なかった。

足音が近付いてくる。

「ちょっと祐希、ずぶ濡れじゃない」

咎めるような口調だけど、私にはそれが凄く暖かく感じられた。

「ごめん」

目も合わせず、声は震えていた。

きっとお姉ちゃんは私の異変に気付くだろう。

でも、今の私にはこれが精一杯だった。

「何かあった?」

…やめてよ。

それ以上、優しくしないで。

私なんか、そんな価値ないの。

悪いのは私なのに、どうして涙が溢れてくるんだろう。

「祐希?」

お姉ちゃんの優しい手が、濡れた私の肩に置かれる。

「心配かけてごめんね、大丈夫だよ」

心配を掛けさせまいと浮かべた笑顔すらも嘘で。

この期に及んで嘘を吐いてしまう自分が憎くて仕方がなかった。

「そう…なら濡れてる所拭いて、会場に行ってて」

「うん、分かった」

あらゆる物がグニャリとねじ曲がった世界。

真っ直ぐ歩けている確証もないままに私は、会場へと進んだ。

途中で見つけたトイレに駆け込み、自身の写る鏡を見た瞬間、あまりの酷い顔に吐き気すら覚えた。

そして誰も見ていないという安堵が、私を正常に連れ出す。

声にならない叫びが、嗚咽となって吐き出される。

しかし、潰れた心にこびりついた苦しみは、こんなことでは消えてくれなかった。

………

葬式が終わって数日が経った。

この数日間、私はずっと同じことを考えていた。

お兄ちゃんと出会ったこと、そして二人を見捨ててお兄ちゃんの元へと行こうとしたことを言うべきか否か。

本来なら悩むまでもなく言わなければいけないことだった。

でも、怖かった。

全てを打ち明けた時、二人は見たこともないような表情で私を見つめるんだろう。

そして既に壊れてしまった心に追い討ちを掛けるように責め立てるだろう。

それが怖くて仕方がなかった。

そんなことを言える立場でも何でもないくせに、私は現実から逃げ出そうとしている。

しかし、二人に隠し事をしながら生きる事も辛かった。

あの日から私の世界は歪んだままで、何をするにもままならなくなってしまった。

ご飯を食べても味はしない。

二人と話す時も、床を見つめる癖が付いた。

何より、二人が向けてくれる優しい笑みを見ると、涙が溢れだしてしまいそうだった。

二人とはまるで違う場所にいるのに、同じ家族として、同じ経験をした者として扱われることが申し訳なかった。

私の肺は既に罪悪感で満ちていて、時が経てば経つほど呼吸ができなくなっていく。

仮に全てを吐き出したとしても、罪悪感は消えないし、代償としてまたしても大切な人達を失うだろう。

それでも、これ以上二人に事実を隠して生きていくことは何よりも耐え難かった。

私は覚悟を決めて、二人に全てを打ち明けることにした。

どう転んでも、良い方向に向かうことはないだろう。

だから私は、二人に事実を明かした後に…───

………

私は、夕飯の後に二人に話があると言ってリビングに集まってもらった。

「で、何?話って」

「宿題あるんだけど」

私が今から話す内容を知らない二人は、この後の予定を気にして早めに切り上げてほしそうだった。

しかし、私にはそんなことを気にする余裕なんて全くなくて、この後の事を考えると今にも夕飯が逆流してしまいそうだった。

「ちょっと祐希、大丈夫?」

「夕飯食べすぎたんじゃないの」

二人の声も段々遠ざかっていく。

───怖い。

二人に話す事が、怖くてたまらない。

許してもらおうだなんて思っていない。

けれど、間もなく訪れる罰に耐えられるかどうかは、別の話だ。

「体調悪いなら、横になりなさい」

お姉ちゃんは私の元に来て、肩に優しく手を置いた。

その瞬間、私の中で堰を切ったように涙が流れ出た。

「ちょっと、泣いてるの?」

異変を察した飛鳥も私の元にやって来る。

「ごめんなさい…ごめんなさいっ…!」

沢山言葉は用意してきたのに、いざとなるとこんな言葉しか浮かんでこなかった。

それでも私はひたすらに連呼した。

「祐希?落ち着いて、何の話?」

「そうだよ、何か悪いことしたの?」

この一言を言ってしまえば、大方の事実が伝わる。

選択の余地はない、私が立っているのは崖の淵なのだから。

欲が私を飲み込む前に、自らこの崖から飛び降りなければならない。

上手く出来ない呼吸を整えて、私は大きく息を吸った。



“───葬式の日、おにーちゃんに会った…”



罅割れていく空気、しばらくの間二人は、言葉を発さなかった。

いや、発せられなかったのだと思う。

そしていつの間にか、私の肩からお姉ちゃんの手は離れていた。

二人の顔を見れない。

こんな時でさえ私は今より少しでも楽になろうとしているのか。

もう崖からは飛び降りてしまったのに。

どう足掻いても、無傷で済むわけがないのに。

そんな自分を責め立てるように、言葉は逆流する。

「引き留めたけど、駄目だった…」

「それで私はっ、おにーちゃんが戻ってこないならって!」

「二人を裏切って、おにーちゃんと一緒に行こうとした…!」

「ごめんなさい…本当にごめんなさい…」



───どれくらい時間が経ったか分からない。

確かなことは、私はずっと泣いていたことと、二人はずっと黙っていたこと、それだけだ。

「祐希、顔上げて」

沈黙を破ったのはお姉ちゃんの声だった。

涙を拭った後、言われるがままに顔を上げると、頬に鋭い痛みが走った。

「ちょっと、七瀬!」

「飛鳥は黙ってて」

始めての経験に、一瞬訳が分からなくなった。

お姉ちゃんは私をぶったのだ。

当然の事なのに、頭は混乱していた。

「祐希、あんたは最低の事をしたんだよ、分かってる?」

泣きながら何度も頷く。

分かっていた、分かっているつもりだった。

でも、自らを悔いて自傷するのと、大切な人から想いの籠った言葉を突き刺されるのとでは、まるで痛みが違った。

「置いていかれる悲しさを知ってる祐希が、そんなことしちゃ駄目なのは分かってるはずでしょ」

そこでようやく覗いたお姉ちゃんの顔は、悲しみの一色に染まっていた。

とてつもなく大きな後悔の念が私を襲う。

どうしようもないくらいに胸は痛んで、音を立てて軋んでいる。

苦しさで今にもおかしくなってしまいそうだった。

「ごめんなさいっ…ごめんなさい!!!」

私に出来ることは、喉が枯れて壊れようとも、謝り続けることだけだった。

けれどそれも結局、長くは続かなかった。

気付けば私は、お姉ちゃんの胸の中に顔を埋めていた。


「───お姉、ちゃ…」


「苦しかったよね、
ずーっと独りで悩んで辛かったよね」

“気付いてあげられなくて、ごめんね”

こんなこと、考えもしなかった。

どうしてこんな状況で優しく出来るの?


「っ…~~~~~!!!」

「よしよし」

「姉妹喧嘩、終わった?」

「ごめん、飛鳥。飛鳥も言いたいことあるよね」

「別に、私は最初から怒ってないし」

「ウチが怒ってたみたいやん」

「いや、怒ってただろ」

一頻りお姉ちゃんの胸で泣いた私は一つの質問を二人にぶつけた。

「どうして許せるの?二人を裏切ったんだよ」

すると二人は顔を見合わせた。

「そりゃ祐希がウチらを置いて〇〇と行こうとしたのは許せんよ?でも、ウチが祐希だったらそうしてたかも分からんし」

「そうそう、私だっておにーちゃんと会ってたら無理矢理にでも付いていこうとしてたかも」

そう言って、二人はケラケラと笑い合っている。

私はポカンと口を開けて二人を見ることしか出来なかった。

「それにね、〇〇が葬式に来てくれてたって事実がすごく嬉しいんよね」

───そうだ、お兄ちゃんはパパとママの事を弔いに来ていたんだ。

二人を裏切ってしまった罪悪感ですっかり忘れていた。

お兄ちゃんにとって、パパとママは本当に大切な存在だったんだ。

それは私達と出会うリスクを犯してまで葬式に来ている時点で明白だ。

その事実は、お姉ちゃんだけでなく私にとっても嬉しいものだった。

「はい、この話はもう終わりっ!」

呆気なく終わりを告げた告白に、私はこれでいいのかと戸惑う。

「で、でもっ」

「今度は、三人で〇〇と会う。ね?」

お姉ちゃんはそう言って私の頭を撫でた。

覚悟を決めて望んだ告白だった。

家を追い出される事だって想定していた。

それなのにこうも簡単に許されてしまっては、私の心のどこかにまだ罪悪感の芽が残っているような気がして、不安になる。

「祐希」

「飛鳥…」

そんな私の不安を察したのか、飛鳥は私の前に立つと両腕を大きく広げた。

「ん」

「え…?」

“ん”

たった一文字の意味するところが、今の私には分からなかった。

「いや、来いよ…」

時間が経つにつれて顔が赤くなっていく飛鳥。

私の疑問は加速するばかりだ。

「祐希、飛鳥は抱き締めようとしてくれてるみたい」

「そ、そうなの?」

「言わせるな、ばか」

恥ずかしそうに言う飛鳥が面白くて、私は思わず笑ってしまった。

少しずつ、芽が枯れていく。

「飛鳥っ」

私は飛鳥に飛びついた。

勢いが良すぎたのか、飛鳥は私を支えきれずにバランスを崩した。

「おにーちゃんはこんなのを毎日のように受け止めてたのか…」

「飛鳥~」

「うわっ、胸当たってる…腹立つ」

「最近また大きくなってきてて…」

「脂肪の塊ごときでマウント取ってくんなよ」

「ほんまやで」

こうして、私の覚悟の謝罪は予想していた展開とは裏腹にあっさりと幕を閉じた。

もう迷わない。

私はやっぱりこの人達も、お兄ちゃんの事も大好きだ。

どちらかを見捨ててどちらかを選ぶなんてことはもうしない。

きっと、どちらも幸せになれる道があるはずだから。

───お兄ちゃん。

今度こそ、皆で会いに行くからね。

だから後ちょっとだけ、待っててね。

………

扉を前にして、何故か背徳感に似た何かが突然顔を出した。

“あの声”が忘れられない。

こんな俺を許そうとしている人達の声が、今も心の中でこだましている。

「違う」

そんな声を遮るように、俺はそう呟いた。

少し顔を歪めていることに気付いた俺は、頬をピシャリと叩いてから扉を開けた。

「ただいま」

すると、すぐに麻衣がやってきた。

「おかえりなさいっ!」

主人を待つ子犬のような目で駆け寄ってきた麻衣を見て、少しずつ心が安らいでいくのを感じる。

すぐさまその手を取って、自分の体に引き寄せた。

「わっ」

小さく声を上げた麻衣。

溜まっていた欲が溢れだす。

強引に唇を押し付けると、麻衣はそれをすんなりと受け入れて舌を交わらせてきた。

しばらくの間、口付けを交わす。

段々と、麻衣の息は荒くなっていき、その目は熱を帯びて欲の渦を巻いていた。

麻衣の匂いが、吐息が、全てが俺を駆り立てる。

こうしている間だけ、全てを忘れられる。

麻衣が全てを溶かしてくれるんだ。

ロクな未来なんて来やしないんだったら、それまでこうして愛し合っていればいい。

これでいい。

これで、いいんだよな─────?

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