家族のカタチ ④
夢を見ていた。
家族皆で笑い合っている夢を。
全員が幸せそうにしていて、輝くような笑顔を浮かべていた。
七瀬が俺の元へやってくる。
“どうして、私達を見捨てたの?”
───え?
それまでとは全く意味合いの異なる不気味な笑みを浮かべた七瀬の姿がスーっと消えていく。
訳が分からず呆然と立ち尽くしていると、今度は祐希が俺の元へやって来た。
祐希は小動物のような可愛らしい笑みを浮かべて俺の目を見つめている。
これは頭を撫でてほしい時のサインだ。
俺は右手を祐希の頭に乗せようとする。
しかし、その手は祐希によって払われた。
“そんな穢れた手で、触らんでよ”
見たこともないような冷酷な目だった。
全身が震え上がってしまう程に冷たい視線を俺に向けたまま、祐希の姿は消えていった。
地面に崩れ落ちる。
自分のしたことは知っている。
どんなことを言われても仕方ないということも。
覚悟はしていた。
それでもやはり、辛かった。
頭上から声がする。
飛鳥の声だ。
しかし、顔を上げるのももう怖かった。
飛鳥にとって、俺と麻衣は産まれたときから一緒に暮らしていた姉弟で、それを一晩にして失くしてしまったという悲しみは想像に難くない。
だからこそ、顔向けなど出来なかった。
“私達の事なんて、どうでも良かったんでしょ?”
違う、そうじゃないんだ。
“お兄ちゃんが家を出なければ、皆幸せでいられたのに”
やめろ、そんな事言わないでくれ。
“家族を見捨てた事、一生後悔すればいい”
その言葉を聞いた瞬間、自分が深く深く沈んでいくのが分かった。
身動きもまともに取れない真っ暗な闇の中。
どんどん光が遠ざかっていく。
息が出来ない。
必死にもがいても、沈んでいく。
これが…選んだ道の結末なのか───
飛び起きるように目を覚ますと、寝巻きが汗で濡れていた。
一つため息を吐いて、手で顔を覆う。
───また、この夢か。
あれ以来、時々この夢を見るようになった。
きっと、神が与えた戒めのようなものなんだと思う。
「〇〇…大丈夫?」
「大丈夫だよ、麻衣」
心配そうに俺を見つめる麻衣に優しく口付けをすると、目を細めて笑ってくれた。
「良かった、魘されてたから」
「心配してくれてありがと」
麻衣の頭を優しく撫でて布団を出る。
汗が纏わりついて気持ちが悪い、シャワーを浴びよう。
………
一頻りシャワーを浴びた後、リビングに戻ると麻衣が朝ごはんを作っていた。
麻衣がいつも愛用して着ているジェラートピケのパジャマの上にピンクの可愛らしいエプロンを付けている。
作業に夢中で俺には気付いてないらしい。
背後からそっと近づく。
どうやらキャベツを千切りにしているようで、ザクッザクッという心地の良い音が一定のリズムで奏でられる。
俺はタイミングを見計らって麻衣に抱きついた。
「きゃっ」
麻衣は可愛らしい悲鳴と同時に体をピクリと震わせた。
「びっくりした?」
俺がそう聞くと、麻衣はそっと手に持っていた包丁をまな板の上に置いた。
「もー、危ないでしょ?」
「ごめんごめん」
言葉ではそう言っていても、怒っていないのは分かっていた。
俺は麻衣から離れて、床に置いてある丸テーブルの側に胡座をかいて座った。
この家はテレビを置いていない。
元々俺も麻衣もあまりテレビを見る方でもなかったし、最悪何か見たいものがあればネットで何とでもなる、ということでテレビは買わなかった。
実際今日まで、テレビを置いていないことで困った事もないのでこのままで問題ないだろう。
程なくして、麻衣が朝ごはんを運んできた。
目玉焼きと、千切りキャベツや輪切りにしたソーセージの入ったコンソメスープをそれぞれ二つテーブルに置いた。
「「いただきます」」
二人で声を合わせて言う。
「今日与田さんのお手伝いだっけ?」
コンソメスープを一口飲んだ後、麻衣がそう聞いてくる。
「うん。多分お昼には帰ってこれる」
「そっか」
そこで会話が途切れる。
別に珍しいことではない。
今更それを気まずいと思うような関係性でもないのだから。
………
朝ごはんを食べ終わって支度を始める。
物置の中の物を整理したいと言っていたから、動きやすい格好の方が良いだろう。
俺はジャージの上にジャンパーを着て、玄関に向かう。
「じゃあ行ってくる」
と言ったところで、麻衣が物欲しそうに俺を見つめている事に気が付く。
「どうしたの?」
「その…もう一回ちゅーしたいな…なんて」
目を合わせずに言っている辺り、照れているのだろう。
それが堪らなく愛おしい。
俺はまず麻衣の手を引いて華奢な体を抱き寄せた。
そしてその後に口付けを交わす。
目覚めのキスよりも、少しだけ長かった。
それが麻衣のスイッチをONにしてしまったようで、俺が口を離そうとすると後頭部を手で抑えられてそれはそれは長いキスにされてしまった。
まさかそんな事になるとは思わず、俺は呼吸が保たなくなってしまった。
急いで麻衣の肩を叩く。
すると、麻衣はハッとしたように俺から離れた。
乱れた息を整える。
「スイッチ入っちゃった」
両手で顔を隠しながら恥ずかしそうに言う。
「い、行ってくるね」
内心は少し喜びながらも、時間がないので再度そう言って家を出る。
「行ってらっしゃい!」
麻衣の言葉を背に受けて、家を出る。
きっと今夜は寝かせてもらえないかもな…。
そんなことを考えながら、俺は与田さんの家を目指した。
与田さんの家までは歩いて十分と掛からない。
最近気に入っている歌を口ずさみながら歩く。
初冬を迎えた島の空気は相当に澄んでいた。
歩くこと数分、ようやく与田さんの家が見えた。
与田さんの家も平屋で、二人で住むには丁度いい大きさと言えるだろう。
「与田さーん、来ましたよー」
玄関の前に立って声を掛ける。
与田さんは自室にいることが多いので、律儀に玄関から声を掛けなくても、自室が近い中庭の方から声を掛けた方が早いのだが、一応礼儀だ。
玄関越しの廊下から足音が近付いてくる。
そしてゆっくりと玄関の戸が開けられる。
「おぉ、〇〇君いらっしゃい」
杖をつきながら、いつも通りの掠れた声で迎えてくれる。
「今日は物置きの整理でしたよね?」
「あぁ、年末に向けて整理しておきたくてね」
「分かりました」
与田さんの後ろをついていく。
物書きは中庭の隅に配置されていて、結構なサイズがある。
今日は結構な運動になりそうだ。
「とりあえず中の物全部出して必要な物だけ中に戻しましょうか」
「あぁ、すまないねぇ」
「いえいえ、近頃運動不足でしたから」
□
腕が悲鳴をあげている。
まさかこんなにも疲労するなんて。
想像以上に重たい荷物が多く、特に段ボールに包まれた荷物が重かった。
プライバシー的な意味合いで中身は覗かないようにしていたが、時折見えたのは分厚い本やアルバムらしき物だった。
出した物をしまうだけならまだしも、与田さんが不要と判断したものは別の場所に運んでまとめておかなければならなかったので、それはそれは大変だった。
しかし、それも先ほどようやく終えた。
縁側に腰掛ける。
初冬だというのに俺は全身に汗をかいていた。
「お疲れ様、〇〇さん。お茶どうぞ」
やって来たのは与田さんの奥さんだった。
おぼんに乗せたお茶を頂く。
喉が渇いていたせいか、一気に飲み干すと身体中に染み渡っていくのが分かった。
「ぷはっ、おいしいです」
「あらあら、若いわねぇ」
奥さんが俺を見て羨ましそうに微笑む。
俺の腰掛けた与田さんもそれにつられて笑った。
二人は共に70歳らしい。
生まれた時から祖父母のいない俺にはまさしくそのような存在に感じていた。
何て少し烏滸がましいか。
「あなた、〇〇君がこの島に来てくれて本当に良かったわね」
「あぁ、そうだな。孫のようだよ」
「そう言ってもらえて嬉しいですよ」
先程考えていた事が見透かされていたかのような言葉に、俺は思わず嬉しくなった。
「そういえば、お二人はお子さんって…?」
何気なく聞いた一言だった。
しかし、二人からの返答はなかった。
先程浮かべていた笑みは消えて、困り果てたような表情をしていた。
「あなた…」
奥さんからの問いに近い言葉に、与田さんは口を閉ざしていた。
何かを考えているようにも見えるその顔つきは、この島に来てから初めて見るものだった。
何かあったのだろう、と理解するにはそれで充分だった。
「あの、すみませんでした。今のはなかったことに───」
「いや、良かったら聞いてくれないか」
「は、はい」
「ここじゃ何だ、居間で話そう」
そう言って与田さんが立ち上がり、そのまま居間の方へと歩いていく。
俺もその後ろを歩く。
和風の平屋らしい昭和の香りが漂う。
居間に入ると、畳の匂いがそれを一層強めた。
座布団の上に正座で座る。
「さて、話そうか」
真剣な表情の与田さんを見て、背筋が伸びる。
そんな俺を見て、与田さんは“そんなに固くならなくてもいい”と優しく笑った。
どんな話をされても受け止められるように心構えをして、改めて与田さんの目を見つめた。
そして与田さんもまた俺の目を見て、話し出した。
────────────────────
元々私と妻は東京の出身で、お互い早くに両親を亡くした者同士だった。
二十歳で結婚して、順風満帆な生活を送っていた。
けれど、妻が悪質なストーカーに目をつけられてしまった。それは本当に酷いものだった。
結局そのストーカーは捕まったけれど、妻はトラウマを抱えてしまった。
その結果、そこでの暮らしがどうしても難しくなってしまった。
そんな時に妻が提案してきたのが、この島に引っ越すという案だった。
決してお金に余裕があったわけじゃなかったし、仕事を辞めれば生活が苦しくなるのは分かっていた。
それでも、妻が楽になるなら私はそれで良かった。
24歳の時の事だ。私と妻はこの島に移住した。
初めは慣れないことも多くて大変だったけれど、自然に溢れたこの島は東京とは別世界のようだった。
そして人情溢れる島民達。
私と妻はすぐにこの島を気に入った。移住して数ヶ月経った頃には永住することを決めていた程だ。
そして島で暮らして一年程経った頃に、娘が産まれた。本当に可愛くて仕方がなかった。
娘はすくすくと育ってくれた。ずっとこの島で暮らしていたから、会話の中で時折訛りが混じるのも本当に可愛らしかった。
そして年月はあっという間に過ぎ、娘が二十歳を迎えた直後の事だった。
娘に恋人が出来た。
相手は関西から長期の仕事でこの島に来ていた同い年の青年だった。
一度家に挨拶に来たことがある。
本当に人の良さそうな性格で、私も妻も一目見て気に入ったのを覚えている。
そして彼が島に来て半年、突然結婚の許可を貰いに来た。
───それが、全ての始まりだった。
私は当時少し古い考えを持っていた。
私と妻がこの島に永住することを決めた以上、娘もまたこの島に永住し、私達の老後の面倒を見ることは当たり前だ、と考えていた。
しかし、娘は実家に嫁ぎたいと言い出した。確かに彼は長男で、言い分があるのは分かっていた。
けれど、それは私達にとっても一緒だった。
一人娘を遠く離れた地に嫁がせるなんて当時の私には到底許せる話じゃなかった。
私は猛反対した。
だが、娘の意志も相当に強かった。
話は平行線を辿った。
しかしある日、突然事態が動いた。
娘は突然こんなことを私に言った。
結婚を認めてくれないのなら、親子の縁を切ってでも彼と結婚する、と。
その一言で私は堪忍袋の緒が切れてしまった。そしてこう言い返した。
“だったら好きにすればいい。
ただし、もう二度と私達の前に現れるな”と。
その時の娘の表情は今でも忘れられない。
驚きとショックを隠し得ない辛そうな顔。
こちらまで言ったことを後悔してしまいそうになるほどだった。
しかし、当時の私は本気でそう思っていた。
何故両親を見捨てる?
この親不孝者め、と。
そして娘は島を出ていった。
まさか本当に島を出るなんて思っていなかったから、驚いた。
沸々と怒りが沸いてくるのが分かった。
しかし、その怒りはどこに娘がいなくなった以上、どこに向けるわけにもいかなかった。
だから私は怒りを鎮めるためにこう考えるようにした。
娘なんて、最初からいなかったんだ───
今思えば、そうすることでしか自分という人間を保って生活できなかった。
私は仕事に打ち込んだ。
そんな私を、妻は何も言わずに支えてくれた。
それからあっという間に五年の月日が経った。
季節は晩秋、本格的に寒くなり始めた日の事だ。
夕方、突然の訪問だった。
玄関先に立っていたのは、
娘と青年と…小さな女の子だった。
年齢は4,5歳くらいだろうか。
二人と手を繋ぎながら、私の事をじっと純粋無垢な目で見つめている。
彼らの子供だった。
そんなこと一目見れば分かるだろうに、すぐに気付けなかった。それくらい彼らの訪問に気が動転していた。
二人は私に深々と一礼をした後、何かを話し始めた。
しかし、私には何一つとして彼らの言葉は頭に入ってこなかった。
気が動転していたのもある、しかしそれ以上にあの日の怒りが、沸々と沸き上がってきていたからだ。
どんなに抑えようと努めても鎮まる事のない怒りは、すぐに爆発してしまった。
私は怒鳴り声を上げた。
すぐに孫───いや、少女が泣き始めた。
しかし、少女の涙も消火剤には弱すぎた。
最早、消火は不可能だった。
情けない話だ、小さな子供の前で我を失って怒鳴り散らすなんて。
帰れ、とでも言ったのだろう。
気付いた時には三人はいなくなっていた。
………
「───それから彼女達がこの島を訪れることはないまま、今に至る」
話し終えた与田さんの目は、後悔と悲しみに染まっているのがはっきりと分かった。
過去の罪を懺悔するように話す与田さんの姿は、見ているこちらまで伝染しそうなほどに辛そうだった。
「そんな事があったんですね…」
俺は与田さんの娘さんに自らの影を重ねていた。
状況は違えど、周りの反対を押しきって家を出た、という行動は一緒だ。
だから娘さんの気持ちは痛いほどに分かった。
そしてたった今、残された側の気持ちに直面している。
俺はふと、こんな質問を与田さんにぶつけていた。
“もう一度会えるなら、会いたいですか?”
与田さんは俯いていた顔をゆっくりと上げた。
少し不思議そうな顔をしていたが、すぐに口を開いた。
「そうだね…もう一度会えるのなら、会いたいよ。そして謝りたい」
「そう、ですか」
当然だ。
彼らは年月を経ても尚、家族という名の絆で繋がっているのだから。
───じゃあ、“彼女達”は?
今も尚、俺の帰りを待っているのだろうか。
家族という名の絆を信じて、俺の事を探しているのだろうか。
残された側の気持ちを知っても尚、それは分からなかった。
俺が彼女達にしたことは、本当に酷いことで許されることではないからだ。
“どうなっても知らないよ?
〇〇の事が好きなあの子達は、きっと探しに来る”
この島に来る前、麻衣はそう言った。
その時はそんなわけがないだろうと、あまり本気にはしなかったが、今その言葉が少しだけ真実味を帯びてきていた。
もし、彼女達が今も俺の事を探しているとしたら?
そして、万が一再び相見えたら?
俺は
彼女達は
一体何を思う?
…そんなこと、考えたって仕方ない。
その時は、きっと訪れないだろうから。
しかし、確固たる意思をもった心が僅かに揺らぎを見せたのは自分でも明瞭だった。
「〇〇君?大丈夫かね?」
ふと我に返ると、与田さんが心配そうにこちらを見つめていた。
「す、すみません。何でもありません」
「そうか…いきなりこんな話を聞かせてしまってすまなかった」
そう言って与田さんは丸テーブルに額が付くギリギリまで頭を下げた。
「そんな!謝らないでください!」
「いや、出会って一ヶ月程の君に話すような事ではなかった。お詫びと言っては何だがもうお昼だ。うちで昼食を食べていきなさい」
「でも…」
「そうだ、せっかくだから“奥さん”も呼んだらどうかね?」
「…じゃあ、お言葉に甘えて」
「あぁ、そうしなさい」
麻衣に電話を掛けると、二つ返事で了承してくれた。
準備もあっただろうに、麻衣は僅か十数分程で来てくれた。
「いきなりごめんな」
「ううん!お久しぶりです与田さん!」
「久しぶりだね、〇〇君とは仲良くやってるかい?」
「はい!それはもう毎日ラブラブですよ!」
そう言いながら満面の笑みを浮かべ、わざとらしく隣にいる俺と腕を組む。
それを見た与田さんが嬉しそうに微笑む。
「二人は本当に仲が良いな。まるで姉弟みたいだ」
ドクンと心臓が脈打った。
“姉弟”
その言葉が何度も何度も身体の中で反射して内側から傷を付けられていくようだった。
そして今度はじわじわと酸のようにあらゆる臓器を溶かされていくような気分だった。
腕を組んでいた麻衣の身体も強ばっているのが分かった。
「…ははっ、こんな姉だったら毎日大変ですよ」
咄嗟に精一杯の笑みを作ってフォローを入れる。
麻衣の身体の強ばりが取れていく。
「こんなに良いお姉ちゃんいないと思うけどな~?」
ムッとして俺を見つめる麻衣。
その目は憂いを含んでいた。
「ほら二人とも、可愛い夫婦喧嘩はその辺にして。昼ごはんが来たよ」
その一言で麻衣が腕を離す。
「お待たせしてごめんねぇ」
奥さんがご飯を運んでくる。
天ぷらに刺身に金目鯛の煮付けなど、昼食にしてはあまりに豪華すぎて俺と麻衣は若干引いてしまった。
「〇〇さん、どうですか?」
奥さんが味の感想を求めているが、細かいことなんて言うまでもない。
「最高です!!」
「あらあら、そう言ってもらえると頑張った甲斐があったわぁ」
そう言って嬉しそうにはにかむ奥さん。
「麻衣も今度作ってくれよ」
「あのねぇ、こんなにレベルの高い昼食ポンポン出せるわけないでしょ」
「はは、別に毎日こんな昼食を食べている訳じゃないよ」
「そうですよ。お二人が来るから私張り切ったのよ」
「でもこれ、本当に美味しいですよ。俺お二人の孫になって毎日こんな料理食べたいですもん」
これだけの料理が毎日食べられるとしたらこれほど幸せなことはないだろうな、と思う。
二人は嬉しそうに目を細めている。
しかし、麻衣に肩を小突かれる。
「こら、変なこと言わないの」
「あらあら、二人なら大歓迎よ。ねぇ、あなた?」
「あぁ、もちろん」
四人で笑い合う。
二人とは血の繋がりがあるわけではないけれど、何だか久しぶりに家族の暖かみに触れたような気がして、胸の奥で込み上げるものがあったがそれは何とか我慢した。
ただの昼食が思いがけない時間となった。
………
昼食を食べ追えた後、俺と麻衣は帰宅した。
作業で汗をかいていた俺はシャワーを浴びて居間に戻ると、居間の隣にある寝室の隙間から麻衣が布団で眠っている姿が見えた。
静かに居間と寝室を隔てている襖を閉める。
そして俺はある考えを行動に移すことを決めた。
スマートフォンを手に取り、LINEを起動する。
とあるアカウントを選んでトーク画面を開く。
画面に表示された“ブロック解除”の文字。
これを押せば、きっと探し求めている答えが見つかるかもしれない。
あの日から止まったままの時間が動き出す。
罪も情も業も、全て受け止めよう。
俺はある三人のブロックを解除した後、スマートフォンをテーブルに置いた。
あの日の事がフラッシュバックしたかのように思い出される。
色のない光景がどんよりとした雲のように重たく動いている。
~~の絶望に染まったような顔。
最後の懇願する声は、今だって忘れられない。
…午前中の作業で疲れたし、夕方くらいまで一眠りしよう。
襖の戸を開けて麻衣の寝る布団と横並びになっている布団に入る。
するといつの間にか目覚めていたのか、麻衣が即座に俺の方へと身体をすり寄せてきていた。
「起きてたの?」
「〇〇の事驚かせようとして待ってた」
笑顔でそう言う麻衣を見て、俺の身体は思考を差し置いて動き出していた。
唇を荒々しく押し付ける。
すると麻衣は嫌がるどころか、そのまま俺に股がってきた。
どうやら、その気は満々らしい。
顔に掛かる髪も、麻衣の少し伸びた爪もシワの出来たTシャツも、今は全てが愛おしかった───
………
目を覚ますと、既に辺りは暗かった。
あれからどれくらいの時間が経っただろうか。
恐らく夕方頃だろうが。
俺の隣では、麻衣が下着だけを身に付けて眠っていた。
安らかに眠る麻衣の頭を優しく撫でたあと、枕元に置いてあったスマートフォンを手に取った。
ロック画面を開くと、思いの外スマートフォンの光が眩しくて目を瞑ってしまった。
すぐに布団から出て、部屋の電気を点ける。
そして再び視線をスマートフォンへと戻して表示されている時刻を確認する。
17時を過ぎた頃だった。
そして、時刻の下にLINEの通知が来ていた。
ロック画面を開いた段階では、LINEの通知しか表示されないように設定しているので、誰からどのようなメッセージが来ているかまでは分からない。
俺はすぐさまロックを解除して、LINEのアプリを開いた。
メッセージを見て、俺は思わず息を呑んだ。
祐希と飛鳥から、ほぼ同時刻にメッセージが来ていたのだ。
信じられない気持ちと、驚きで中々メッセージを見ることが出来なかった。
けれど、時間にしてみれば10秒程度の事だったと思う。
震える指先を画面に近付けていく。
そして俺は、二人のメッセージを恐る恐る確認した。
“おにーちゃん!
今日ね、数学のテスト返ってきたんよ!
あっ!どうせ赤点って思ったやろ?へへーん!
100点とったんよ!すごいでしょ~!
テストで100点取るなんて初めてだな~!
おにーちゃん褒めて褒めてっ!
あっ、なでなでもね!笑
また明日連絡するね!ばいばーい!!”
“今日はすごく良い天気だったよ。
お兄ちゃんのいる所はどんな天気?
いつか会えたら、案内してよ。
そういえば祐希が数学のテストで満点取って喜んでたけど、カンニングでもしたのかな。明日はきっと雨だね。
そうだ、最近寒くなってきたから風邪引かないようにね。それじゃ”
………
気が付けば、涙を流していた。
俺は麻衣を起こさないように、静かに居間へと移動して襖を閉めた。
堰を切ったように、大粒の涙が止めどなく溢れ出す。
二人は、俺に届いているかどうかも分からないのに、メッセージを送り続けていたんだ。
どうしようもない程に、胸が苦しい。
「俺は、お前達を見捨てたんだぞ…!」
憎くて、仕方ないはずだろ。
家族よりも、愛する人を選んだんだぞ。
なのにどうして、まだ俺のことを…。
何かを告げるかのように、鼓動が加速する。
ゼロから積み上げてきた物が、一つずつ崩れていく、そんな音がした。
冷蔵庫から取り出した水を取り出してコップに注ぐ。
よく冷えた水が全身に染み渡って少し落ち着けた…かと思えば、すぐにLINEの通知音が鳴った。
再びLINEを開いてメッセージを確認する。
送り主は、七瀬からだった。
そしてメッセージを見て、俺は思わずスマートフォンを落としてしまった。
“お父さんとお母さんが、交通事故で亡くなりました”
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?