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【第4話】もし太宰治が社交ダンスの先生だったら

(前回第3話の続きです。意味不明な方は第2話第1話もどうぞ。全部読んでも多分意味不明だと思うが、わかるわからないの問題ではないのだ。踊れ!

 彼は私を縋るような眼で見ている。ダンスと靴との深い関わりについての理解を、未だ放棄してはいない証だ。
 斜陽は赤い光を教室の観葉植物に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までにはまだ間がある。私の説得を待っている人がここにあるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。私は信頼に報いなければならぬ。いまはただ一言だ。踊れ!メロス。(誰?)

 私は信頼されている。私は信頼されている。彼に満足を与えられぬという悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。やはりおまえは真の勇者だ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生まれた時から正直な男であった。正直な男のままにして躍らせて下さい。

 古参の生徒たちの不吉な会話を小耳に挟んだ。「彼もそろそろ諦めて帰るよ」ああ、その彼。その彼を帰らせてはならない。急げ。おくれてはならぬ。ダンスの力をいまこそ知らせてやるがよい。風体なんかは、どうでもいい。靴さえ履いてくれればそれでいい。踊ればわかる。私が踊るのを見れば彼もわかる。呼吸もできず、二度、三度、口から血が噴き出た。

「ああ、先生」うめくような声が、風と共に聞こえた。
「誰だ」私は踊りながら尋ねた。
「スタッフでございます。もう駄目でございます。むだでございます。踊るのは、やめて下さい。もうあの方を入会させることは出来ません
「いや、まだ間に合う」
「ちょうど今、あの方がお帰りになるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、踊ってみせるのが早かったなら!」
「いや、まだ諦めることはない」私は胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。踊るより他は無い
「やめて下さい。踊るのは、やめて下さい。いまは明日の試合が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。靴を持っていなくても平気でいました。納得のゆく説明を得られるであろうと強い信念を持ち続けている様子でございました」
「それだから、踊るのだ。信じられているから踊るのだ。入会する、しないは問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に踊っているのだ。一緒に踊れ!」
「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと踊るがいい。ひょっとしたら、入会せぬものでもない。踊るがいい」
 最後の死力を尽くして、私は踊った。頭はからっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて踊った。陽はゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、出口の手前で彼は立ち止った。間に合った。

(太宰はいちいちテンションがおかしいと思うが、何故教科書に採用されるのであらうか)

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