差別を生んでいるのは誰か

こんにちは、keyです。

普段は人権論者でもフェミニストでも活動家でもないのですが、最近は某団体の不正会計疑惑の話題に強く関心を持っています。
日本国民としては他人事ではありませんからね。
漸くメディアでも取り上げられるようになりました。これ程のニュースがネット界隈で大事になって数ヶ月経ち、海外のメディアが先に報道するという異常さ。
日本の旧メディアの信頼性は真に地に堕ちたと感じている方も多いのではないでしょうか。

前置きが少し長くなりましたが、本タイトルについて、心にこびりついている想いを少しだけ書き綴っておこうかと思います。

結論を先にのべますと、
差別を喚く人ほど差別意識が高く、本来在りもしない差別を生んでいるようで不愉快だ
と言うことです。

※ここでいう「喚く」とは、その内容に妥当性や合理性を著しく欠いた、社会通念上受け入れられにくい主観的言論を無差別に発信する行為だと捉えてください。

渦中の某団体とその関連組織の構成員は、自分達の主張と反する若しくは利とならない言論を全て「女性への差別」と勝手に置き換えます。
そして、自分達の言動がすべての女性の代表と言わんばかりの振る舞いをしています。

私はそれがとても気持ち悪く、大嫌いです。

純粋な善意や節度ある娯楽にさえ無理矢理に性的な見解を披露し差別を喚き、まともで理性的な反論にすら差別だ社会的弱者への攻撃だのと言論弾圧し、一方で自分達は傍若無人に言論をぶつけてくる。
その中には、ここで書くのも憚られる程に差別的な表現も多々含まれる。

その様は、盾に猫を縛り付けて、隙間から剣を突き刺してくる蛮賊のようです。
猫(差別の被害者という立場)を盾に掲げていれば、まともな相手は道徳上攻めることができず、賊は一方的にやりたい放題。
本当に卑怯な手口です。一体どちらが非道徳的なのか。

彼らは差別を無くしたいのではなく、差別を利用したいだけなのだと、某団体の主張からも感じる。

それは草津町の事件における女性差別を訴える界隈の振る舞いからも感じることです。
草津長の議会での質疑応答の様子を見れば、どちらがまともかの判断は容易でしょう。

事実、セクハラを訴えた元議員はその訴えを退けられています。反対に町長から虚偽告訴で訴えられ、本件は受理されています。

途端にその元議員を擁護していた議員や元議員を支援する会のメンバーは梯子外しに必死です。しかし、町や町長を貶めた事に対して一切謝罪も訂正もしていません。

女性から見ても、真に性的被害を受けている女性やそのために活動している方々への風当たりを強める原因がこういった輩にあり、許しがたい行為ではないかと思います。
差別を喚く人ほど差別を生み出し、差別にこじつけたあらゆる物事に対して発信力・発言力を相対的に強める事で、差別を別の目的の為に利用しようとしているとしか思えません。

※あくまで私の感想ですね。

改めて結論。
差別を喚く人ほど差別的で、本来の差別を無くすことを阻害し、それどころか新たな差別を生んでいると思う。だから不快です。

どうか、本当に困難にぶつかっている人が救われ、真にそういった人を支援しようと頑張っている人が報われるよう願っています。

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