できない私が教えられること

鉛筆の持ち方が変だ。自分のなかでは安定した最適な持ち方だけど周りから見ると変と思われる持ち方。

箸の持ち方は中学生のときに直した。当時好きだったアイドルが雑誌で、彼女だと箸の持ち方は気にならないと話していたのを見たからだ。私は彼女になれないから直さなきゃ。そもそも同じ食卓を囲むことはないだろうに、その頃は考えていなかった。

鉛筆の持ち方のことも話してくれていたら直していたかもしれない。だが、直すきっかけも、直す気もなかった鉛筆の持ち方は21歳現在も健在だ。

私は子どもと関わる仕事でアルバイトをしている。先日、テキストの丸つけをしていたら小学生から「持ち方変。正しく持って。」と言われた。正しい持ち方は知っているからその時は直してみた。字が上手く書けなかった。 そっと戻したら、その子にまた注意を受けた。 急いで書かないといけないときや、きれいに書かないといけないときは今までの持ち方で、メモやゆっくり書くときは鉛筆の持ち方を練習しようかな。

できない私はできないことを教えることはできないと思う。でも、できることを教えることはできるかもしれない。 子どもとか大人とか先生とか立場は違ってもお互いに教えあったり成長しあったりできることはいいな、キラキラしてるだろうなと思う。

鉛筆の持ち方を直そうと思いつつ、なぜ正しい持ち方が決まっているのだろうと考えながら今日は寝ようと思う。

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