【古代の別格な一族】鴨氏と秦氏の謎過ぎる関係性とは?
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歴史沼チャンネルのきーです。
今回は秦氏と鴨氏というテーマで迫っていこうと思います。
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秦氏と言えば、最先端の技術を有した渡来系氏族でありながら、天皇の即位に貢献したり、京への遷都に貢献した古代最大の氏族です。
そして鴨氏とは、京都にある賀茂神社を祀る豪族です。
この2つの氏族が、古代日本の歴史や神話の定説を揺るがしかねない切っても切れない深い関係であることはご存じでしょうか?
なので今回は秦氏と鴨氏の隠された関係についてお話していきます。
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賀茂神社と天皇家
まず最初に賀茂神社についてのお話から始めましょう。
賀茂神社とは、京都にある賀茂別雷神社(カモワケイカヅチジンジャ)通称は上賀茂神社と、賀茂御祖神社(カモミオヤジンジャ)通称は下鴨神社の総称であり、山城国の一宮として現在も有名な神社です。
この賀茂神社が天皇家と深い関係にあるという事実をみなさんは知っているでしょうか?
天皇家ゆかりの神社といえば、真っ先に思い出されるのは伊勢神宮でしょう。
現在では天皇家の祖神を祀る伊勢神宮は、全国の神社とは別格として扱われています。
しかし初めて伊勢神宮に参拝した天皇は誰かご存じでしょうか?
その天皇とは、明治天皇です。
伊勢神宮は天皇家の祖神を祀っていながら、明治天皇以前の天皇は伊勢神宮に参拝することはありませんでした。
それに比べて賀茂神社は、平安遷都以降は桓武天皇の度重なる参拝から皇室との繋がりが強くなり、皇城鎮護(オウジョウチンゴ)の神として「賀茂皇大神宮(カモノスメオオカミノミヤ)」、さらには「賀茂御祖皇大神宮(カモノミオヤスメオオカミノミヤ)」と称せられました。
それだけではなく、賀茂神社の神様は「賀茂皇大神(カモノスメオオカミ)」と称せられ、斎王さいおう制度が置かれました。
「皇大神宮」とは、現在の伊勢神宮のことを意味し、「皇(スメラギ)」は天皇を意味するため、「皇大神宮」は天皇の大神を祀る宮となります。
それが伊勢神宮以外でも使われていたということは、天皇家の祖先を祀ってるのと同じことです。
また神社に未婚の皇女を奉仕させる「斎王(サイオウ)制度」も、伊勢神宮と賀茂神社の二社以外では行われていませんでした。
賀茂神社に使われていた皇大神宮の文字は、現在では明治政府の強い要請によって取り払われましたが、賀茂神社が天皇家や古代日本にどれだけ重要視されていたかがわかります。
鴨氏とは?
それではここまで破格な地位にいた賀茂神社を祀る鴨氏とはどんな氏族だったのでしょうか?
鴨氏は大きく分けて2つに分けられます。
1つ目は奈良の葛城に本拠地をもつ鴨君と、京都の山背に本拠地をもつ鴨県主です。
鴨君とは?
葛城の鴨氏は鴨君と呼ばれ、大国主命の後継を称する豪族です。
鴨氏の本拠地の一つである葛城といえば、娘を大王の后とすることで初期のヤマト政権で絶大な力を持った葛城氏がいます。
歴史研究者の塚口義信(ツカグチ ヨシノブ)氏によれば、葛城地域の最初の盟主は鴨氏であり、応神天皇が即位した4世紀末にヤマト政権の内部分裂が起こり、その争乱の結果、鴨君が定着していた葛城地域に葛城氏が入植してきたのだろう。としています。
そして鴨君で注目すべきは、大和盆地の豪族のなかで君姓(キミのカバネ)を名乗っていることです。
君姓は地方豪族で、王権から比較的独立した性格を持つ氏族に多い姓です。
大和の豪族は、葛城臣、蘇我臣や大伴連、物部連などが多い中、君姓を名乗っているのは同じ大国主命の後継を自称する三輪君と鴨君だけです。
のちの天皇家を”オオキミ”と読むことから考えると、君姓を持つこの2氏族は大王に準ずる破格の称号を許されていることとなり、かつては大王家またはそれに準ずる権威を持った家柄である可能性があります。
鴨県主とは?
もう一つの鴨氏である、山背の鴨県主は賀茂神社を祀る豪族です。
『日本書紀』や『古語拾遺』をみると、神武東征の際熊野から吉野を経て大和への進軍を再開する神武軍が山中が険しく道に迷い難渋していたところ、天照大神が「郷導(クニノミチビキ)」として遣わした八咫烏が鴨県主の遠祖(エンソ)としています。
歴史研究者の水谷千秋氏によれば、葛城の鴨君と山背の鴨県主は『山城国風土記』にもとは大和国の葛城にいて、「のちに北上して山背国の賀茂に移った」という伝承があることから、両者はもともとは同一の氏族だった可能性が高いとしています。
鴨氏については、天皇家に準ずる地位にいたワケや大国主命や事代主神などの出雲系の神との関係など、掘り下げるべき深いお話がありますので、それについては別動画で紹介しますので少々お待ちください!
秦氏とは?
鴨氏とは、葛城地域や山背に影響力があったことを紹介してきました。
しかしこの2つの地域と全く同じ場所に、莫大な影響力があった氏族がいます。
それは秦氏です。
秦氏とは、古代史最大級の人口を誇るといわれる渡来系氏族です。
布を織る技術や、酒造り、土木治水工事の技術を日本に伝えたといわれている、超ハイテク技術集団です。
その技術力や経済力をもとに、のちに長岡京や平安京の繁栄の基礎を固めた氏族として有名です。
『日本書紀』には、応神天皇の時代に”弓月君”が百済から帰化したことを記しており、『日本書紀』には弓月君が秦氏であるとは記されていないものの、のちの『新撰姓氏録』などの記事を参照すると弓月君が秦氏のルーツであることがわかります。
秦氏については、別の動画でがっつり解説しているのでそちらを参考にしてください。
テキストで知りたい方はこちら↓
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鴨氏と秦氏
天皇家に準ずる権威を持ったとされている鴨氏と古代史最大の人口を誇りのちに平安京遷都の影の立役者になった秦氏が、まったく同じ地域に共存していたとなると何か深い関係があっても不思議ではありません。
鴨氏と秦氏…この謎多き2氏族の関係性を紐解くカギは松尾大社にあります。
松尾大社とは?
松尾大社とは、秦氏の勢力圏の中心にある、京都最古の神社であり、式内社でもあります。
酒造の神様として有名で、秦氏の氏神を祀っています。
この松尾大社の創建の伝承のひとつに『本朝月令(ホンチョウガツリョウ)』に引用された『秦氏本系帳(ハタウジノホンケイチョウ)』の所伝に興味深いものがあります。
『秦氏本系帳』に記される松尾大社の伝承
その伝承とは…
”ある秦氏の女子が桂川で衣服を洗っていたところ、1本の矢が上流から流れてきた。彼女はこれを家に持ち帰り「戸の上」に置いたところ、夫もいないのに妊娠し、やがて男の子を生みおとした。
彼女の両親は怪しみ、父親が誰なのか娘に問うたがわからない。そこで近隣や一族の男たちを招いて宴を開き、その場でその男の子に盃を渡し、父と思う人にその盃を渡すよう促すとその男の子はそこにいる男たちを指さず、仰ぎ見て戸の矢を指さし「雷公」となり、屋根を突き破って天に昇っていった。故に鴨上社を別雷神(ワケイカヅチノカミ)と号し、鴨下社を御祖神(ミオヤカミ)と号す。戸の上の矢は、松尾大明神である。
これ以来、秦氏はこの3つの神を祭るようになったという。
その後鴨氏は秦氏の婿となり、秦氏は「愛婿」のために鴨祭を鴨氏に譲った。
だから今、鴨氏が禰宜としてこの祭りを行っているのだという。
という伝承です。
『山城国風土記』の伝承と秦氏
この伝承によく似た話が、『山城国風土記』の逸文にあります。
『山城国風土記』では、賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)の娘の玉依日売(タマヨリヒメ)が「石川の瀬見の小川」で川遊びをしていたところに丹塗矢(ニヌリヤ)が流れてきて、これを家に持ち帰ったところ妊娠して男子を出産した。娘の父である賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)が男たちをあつめて宴を開き、その男の子に父親に酒を飲ませるよう促すと天に向いて祭ろうとし、屋根を割って天へ昇っていった。これが賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)であり上賀茂神社の御祭神である。
というよく似たお話です。
婚姻関係を結んだ秦氏と鴨氏
どちらも雷神の起源を語る伝承であり、川から流れてきた矢によって娘が妊娠するという話です。
この類似は、偶然ではないでしょう。
歴史研究家の水谷千秋氏は、『秦氏本系帳(ハタウジノホンケイチョウ)』の伝承は鴨氏の伝承を秦氏が自氏に都合の良いように書き換えている可能性を指摘しながらも、近年では『秦氏本系帳』にもそれだけの背景があるのではないか。としています。
秦氏と鴨氏とでは、より早く京都盆地に定着したのは鴨氏です。
なので、賀茂神社の祭祀も当然鴨氏が行っていたでしょう。
しかし遅れて入植した秦氏が京都盆地に勢力を拡大し、松尾神社や稲荷神社の祭祀を継承すると、両者は対立関係というより婚姻関係を結びお互い賀茂神社と松尾神社の祭祀に連携したといえそうです。
いかがでしょうか。
今回は、天皇家に準ずる権威を持っていた鴨氏とその鴨氏と秦氏に深い関係があったことについて迫っていきました。
鴨氏は大国主命の後継を称する豪族です。
出雲の王である大国主命の後継である鴨氏の神社である賀茂神社が、「皇大神宮」と呼ばれ天皇の大神を祀る宮となっていたことを考えると、出雲の国譲り神話の謎にも関連してきますし、鴨県主が八咫烏の遠祖となると神武東征にも深く関与してくるのではないでしょうか?
そしてそんな鴨氏と深く結びついていた秦氏は、渡来系でありユダヤとの関係も指摘されています。
ユダヤとの関連が深い秦氏と、出雲神である大国主命の後継である鴨氏に婚姻関係があることを重視すれば、もしかしたら出雲の大国主命はユダヤとの関連があるのかもしれません。
鴨氏についてもっと詳しく迫っていく鴨氏の正体については、別の動画で迫っていきますので楽しみにお待ちください!
今回の動画の参考文献は、水谷千秋氏の著作『謎の渡来人秦氏』と『日本の古代豪族100』です。
『謎の渡来人秦氏』は都市伝説的なロマンたっぷりの説で語られがちの秦氏について、しっかりとした学術研究をもとに学べる一冊となっていますし、『日本の古代豪族100』は古代日本を彩った多彩な豪族について網羅的に紹介してある読む辞典です。
参考文献については、概要欄にリンクを貼っているので興味のある方は概要欄のリンクからチェックしてみてください。
今回の動画につかった台本も公開しています。
文字で今回の内容を読みたい!という方は、概要欄のリンクからチェックしてみてください!
今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
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ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!
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