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中央構造線と神社

お元気様です!シン・歴史沼チャンネルのきーです。
日本最大の断層である”中央構造線”とはなんなのか?
中央構造線が明らかにする邪馬台国の場所とは?
神話や古代史に影響を及ぼしたとされるある人物と女神は中央構造線でつながっていた?
日本人が知るべき中央構造線と神社について深掘りしていきます。

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中央構造線とは


中央構造線は、日本列島を縦断する日本最大の断層で、関東から九州にかけて約1000kmにわたって伸びています。

定義と特徴

中央構造線は、日本列島を内帯(日本海側)外帯(太平洋側)に分ける巨大な地質境界線です。この構造線を境に、両側で岩石の種類が全く異なります。

形成過程

中央構造線は約1億年前、日本がまだアジア大陸の一部だった時代に形成されました。当時、海洋プレートが北向きに動いており、この動きに引きずられて大陸プレートの東端が北に引っ張られ、巨大な横ずれ断層が生まれました。

プレートとの関係

重要な点は、中央構造線がプレートの境界ではないということです。これは大陸プレート内部に生じた断層であり、プレートの境界線ではありません。

フォッサマグナとの違い

フォッサマグナは「大きな溝」という意味で、本州中央部の幅のある地帯を指します。一方、中央構造線は断層です。フォッサマグナは中央構造線よりも新しく、約2000万年前から1500万年前に日本海が形成される過程で陥没してできました。

地質学的意義

中央構造線を境に、内帯側の領家変成帯(リョウケヘンセイタイ)(地下10km付近で形成)と外帯側の三波川変成帯(サンバガワヘンセイタイ)(地下30km付近で形成)という、異なる温度と圧力でできた岩石が接しています。

日本列島形成との関係

約7000万年前、すでに形成されていた日本列島の大陸側半分に、南からやってきた太平洋側の半分がくっついて日本列島が完成しました。この接合面が中央構造線となりました。

現在の状況

中央構造線の一部の区間は、現在の地殻変動の影響を受けて活断層となっています。また、フォッサマグナ地域の形成により、中央構造線は糸魚川-静岡構造線によって大きく分断され、関東方面へカーブを描いて伸びています。

中央構造線は、日本列島の複雑な地質史を反映する重要な地質学的特徴であり、プレート運動の影響を受けながらも、プレート境界そのものではない大陸内部の断層として形成され、発達してきました。

神社と中央構造線


神社の配置

中央構造線に沿って、多くの歴史ある有名な神社が位置しています。東から鹿島神宮、諏訪大社、伊勢神宮、日前神宮(ひのくま)・國懸神宮(くにかかすじんぐう)、石鎚神社(いしづち)などが挙げられます。

諏訪大社と中央構造線

諏訪大社の上社前宮が中央構造線の真上に位置しています。諏訪は中央構造線とフォッサマグナ(糸魚川-静岡構造線)が交差する地質学的に重要な場所です。

タケミナカタの伝承

タケミナカタは諏訪大社の祭神であり、その伝承が中央構造線と関連している可能性があります。神話によると、タケミナカタは出雲からタケミカズチに敗れて諏訪に逃げてきたとされています。この経路が中央構造線に沿っている可能性が指摘されています。また、徳島県の多祁御奈刀弥神社(たけみなとみじんじゃ)にもタケミナカタに関する伝承があり、これが中央構造線沿いの伝承の広がりを示唆しています。

伊勢神宮

伊勢神宮の外宮の境内を中央構造線が貫通しているとされています。これは、古代の人々が中央構造線の存在を認識していた可能性を示唆しています。伊勢神宮は中央構造線沿いに位置する重要な神社の一つとして認識されています。

縄文古道説

「縄文古道説」は、中央構造線が縄文時代の人々も利用した日本列島最古の道であったという説です。この説によると、中央構造線沿いに多くの歴史ある神社が位置する理由が説明できます。縄文時代の人々がこの経路を利用し、後の時代に神社が建立されたという考え方です。

地質学的特徴とパワースポット

中央構造線のような地質学的特徴が、日本のパワースポット神霊スポットの形成に関係している可能性が指摘されています。例えば、断層や大地の亀裂に特有の気体液体の現象が、これらの場所の神秘的な雰囲気や信仰の対象となった可能性があります。

これらの関連性は、日本の地質学的特徴と神話・信仰の深い結びつきを示唆しています。中央構造線が日本の古代から現代に至るまで、重要な地理的・文化的要素として認識されてきたことがうかがえます。

丹とは


丹や水銀朱は、古代から重要な顔料原料として使用されてきた物質です。丹と水銀朱は、主に辰砂(しんしゃ)という鉱石から得られます。辰砂は硫化水銀の化合物で、鮮やかな赤色を呈します。

丹の用途

この丹は何に使われるのかというと、

  • 顔料: 鮮やかな赤色顔料として、寺院や神社の彩色に使用されました。

  • 魔除け: 毒性のある物質であることから、魔を払う力があると考えられ、神社の建物などに塗られました。

  • 防腐剤: 橋の欄干などにも塗られ、防腐効果があると考えられていました。

  • 鍍金(めっき): 水銀は奈良の大仏の金メッキなどに使用されました。

  • 薬用: 高価な漢方薬の原料としても使用されていました。

丹や水銀朱は、その鮮やかな赤色と特殊な性質から、古代より宮殿や神社仏閣に多く用いられ、不老長寿を象徴する色としても認識されていました。

秦の始皇帝と丹薬

秦の始皇帝は、「丹薬」と呼ばれる霊薬を服用していたとされており、これは不老不死の妙薬として水銀を飲んでいたという伝承があります。当時、水銀は神秘的な性質を持つ物質として珍重され、不老不死の薬と信じられていました。秦の始皇帝が不老不死の薬を求めて徐福という方士に探させてたといわれており、徐福を派遣した先は”蓬莱の国”とよばれこれが日本ではないかともいわれています。日本各地に徐福伝説があることは、有名ですよね。
しかし現代では、水銀の毒性が認識されるようになりその使用は大幅に制限されています。

丹の産地

産地については、日本では三重県の丹生(にう)地域が有名で、縄文時代から採掘が行われていたとされています。

そのほかには、

  • 奈良県宇陀市菟田野町の大和水銀鉱山

  • 徳島県阿南市水井町の若杉山辰砂採掘遺跡

  • 吉野川上流域

  • 大分県

  • 熊本県

また、北海道では大雪山系のイトムカ鉱山が有名でした。

丹の産地と中央構造線

この丹・水銀朱の産地を見てわかるように、丹・水銀朱が取れる場所は中央構造線沿いに位置していることがわかります。

辰砂の形成には、地下の水銀がガス状で岩石の割れ目から噴き出し、地表で硫黄と化合する過程が関与します。

中央構造線沿いには多くの温泉鉱泉が存在し、これらは地下深部からの熱水や火山性ガスの上昇を示しています。

このような地質条件は、辰砂の形成に適した環境を提供する可能性があるといわれていますが、この関連性を明確に示すためには、さらなる地質学的調査が必要だといわれています。

丹・水銀朱と邪馬台国


日本の古代史にとって、この丹・水銀朱は切っても切り離せないものであり、古代史の謎を探るうえで重要なものでもあります。

その一つが、邪馬台国です。

邪馬台国について知るために重要な史料は『魏志倭人伝』ですが、『魏志』倭人伝には「日本の山には丹(朱)あり」という記述があり、邪馬台国の領域内に辰砂を産出する鉱山が存在していたことが示唆されています。

そして邪馬台国は魏に対して朱丹を輸出していた可能性があります。これは当時の国際交易における重要な品目だったと考えられます。

考古学的にも、吉野ヶ里遺跡で出土した甕棺の内部からも朱が見つかっており、邪馬台国時代とは時期がずれるものの、朱の使用が広く行われていたことを示しています。

邪馬台国の時代である弥生時代に水銀朱が産出されたことが考古学的に確認されている主な場所は、

  • 徳島県阿南市の若杉山遺跡:若杉山遺跡は、1世紀初頭から3世紀後半にかけて水銀朱の採掘が行われた重要な遺跡です。特に2世紀後半から3世紀前半に採掘が最も活発だったとされています。2018年には、日本最古の水銀朱採掘用の坑道跡が発見されました。

  • 徳島県阿南市の加茂宮ノ前遺跡:加茂宮ノ前遺跡は、弥生時代中期から古墳時代前期(1〜3世紀)にかけての遺跡で、水銀朱の精製工房跡が発見されています。さらに、縄文時代後期(約4000年前)の水銀朱生産に関連する遺物も大量に出土しており、国内最大級の水銀朱生産拠点であったことが確認されています。

  • 徳島県板野郡板野町の黒谷川郡頭遺跡(くろだにがわこうずいせき):この遺跡は弥生後期後半からの大規模な朱の精製集落であり、若杉山遺跡で採掘された水銀朱を船で運んでいた港としての役割を果たしていたと考えられています。

これらの遺跡は、特に徳島県を中心とした阿波地域が弥生時代の水銀朱生産において重要な役割を果たしていたことを示しているため、邪馬台国阿波説の重要な根拠となっています。

水銀朱は邪馬台国の経済、外交、権力構造において重要な役割を果たしていたと考えられ、水銀朱の産出地が邪馬台国の所在地を特定する手がかりの一つとして考えられています。水銀朱が中央構造線に位置する場所から多く産出されることを考えると、邪馬台国は中央構造線上にあったと考えることもできるのです。

空海と中央構造線


中央構造線と関わりが深いのは、邪馬台国だけではありません。真言宗を拓いた空海も中央構造線と深い関りがあったと考えられています。

修行と鉱山の関係

空海は中央構造線に沿って歩き回ったとされています。中央構造線沿いには、空海由来の真言密教の寺院と鉱山が多く存在しています。これは、空海が鉱物や地質に関する深い知識を持っていたことを示唆しています。

水銀と金の探求

高野山や吉野大峯山など、空海が修行した場所は「金山」と呼ばれていました。修験者たちは不老不死の薬や錬金術的存在である「丹生(辰砂・水銀)」を求めて山に入ったとされています。空海も同様に、これらの鉱物に関心を持っていたと考えられます。

交易ルートとしての中央構造線

中央構造線は、縄文時代から重要な交易ルートでした。空海はこのルートを利用して、鉱物資源や知識を広めた可能性があります。

密教と地質学の融合

空海は真言密教の開祖として知られていますが、同時に鉱山技師と言えるほど鉱物についての知識が深かったとされています。この知識は、中央構造線沿いの地質学的特徴と密接に関連していたと考えられます。

空海が真言宗を拓いた高野山は、当時貴重だった水銀の原料である硫化水銀と銅の鉱山が近くであることも重要です。

空海の修行や活動は中央構造線の地質学的特徴と深く結びついており、空海の出身地が中央構造線沿いである四国の讃岐の国香川県であることも関係しているかもしれません。

ニウツヒメと中央構造線


日本の古代史において重要な関りがある中央構造線ですが、記紀神話に登場するある女神との深い関係があります。

その女神とは、ニウツヒメです。

『古事記』『日本書紀』では、ニウツヒメは伊弉冉尊(イザナミ)が火の神カグツチを産んで亡くなった後、黄泉の国へ行く場面で登場します。この時、伊弉諾尊(イザナギ)が黄泉の国から逃げ帰り、禊をする際に生まれた神々の一柱として描かれています。

このニウツヒメは、丹をつかさどる神であり、赤色や水銀を司る神として知られています。

あらゆる災厄を祓う能力を持つとされ、元寇を退けたとされる神威により、紀伊国一之宮として崇められています。

ニウツヒメの最も有名なエピソードは、弘法大師空海との関わりです。伝説によると、ニウツヒメは空海に高野山の土地を譲渡したとされています。これにより、ニウツヒメは高野山の地主神となり、また真言密教の守護神としての役割も担うようになりました。

この出来事は、日本の神仏習合の重要な例としても知られています。ニウツヒメが仏教の聖地である高野山を守護することで、神道と仏教が共存する日本独特の信仰形態の源流となったのです。

中央構造線は地質学的に重要であるだけでなく、古代から人々の移動や交易にも利用されてきました。このことがウツヒメ信仰の広がりに影響を与えた可能性があります。

水銀鉱床の分布と中央構造線の位置が一致することから、ニウツヒメ信仰が中央構造線に沿って伝播した可能性も考えられます。

ただし、中央構造線は活断層でもあり、地震の原因となる可能性もあります。そのため、ニウツヒメ信仰には地震鎮めの要素も含まれていた可能性があるのです。

まとめ

今回は中央構造線と神社というテーマでまとめていきました。
中央構造線は日本最大の断層で、関東から九州まで約1000kmにわたります。
日本列島を内帯(日本海側)外帯(太平洋側)に分け、岩石の種類が異なります。
約1億年前に形成され、プレート境界ではなく、大陸プレート内部の断層です。
沿線には諏訪大社や伊勢神宮など多くの神社があります。
丹(硫化水銀)は顔料や魔除けとして使用され、中央構造線沿いで産出されます。水銀朱は邪馬台国の経済や外交に重要で、空海の活動やニウツヒメ信仰とも関わります。

今日はここらへんでお別れです。

ご視聴いただきありがとうございました。

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ではまた、違う動画でお会いしましょう!

ばいばい!

この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史沼チャンネル】の動画を、テキストにしたものです。

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