初めてのエジプト旅行:一人旅 🇪🇬|アスワン - アブ・シンベル神殿 - Day4
ツアーDay4は、かの有名なアブ・シンベル神殿です。Day4はアブ・シンベル神殿の観光だけなのですが、本旅で最も「ここはアフリカ大陸だった!」と実感した1日となりました。
アブ・シンベル神殿|先に事の顛末
コム・オンボ神殿の観光を終え、クルーズ船は一晩かけて終着地点のアスワン市へ。ここからアブ・シンベル神殿まで南に290km、約3時間の車移動になります。集合は早朝04:30。う〜ん、早い!眠い!
そして、この日も私のプライベートツアーはグループツアーに。昨日一緒だったポルトガル人カップルも含め、他のツアー客との乗り合いバンで、ガイドさんも我々グループに1名付くスタイルでした。なお、この日は観光スポットがアブ・シンベル神殿だけだったのと、時間にも余裕があったので、プライベートかグループかは、もはやあまり気にならなくなっていました。
ちなみに、ここまで無敵のインターネット接続を続けていた楽天モバイルの海外ローミングですが、ついに砂漠地帯でアンテナ立たず。さすがに仕方ないかもですね。
なお、アブ・シンベル神殿の位置は↓こちら。スーダンとの国境に近いんですねぇ。カイロから遠くまで来たなぁ〜。
アブ・シンベル神殿|観光したところ
アブシンベル神殿+ネフェルタリの神殿(615EGP ※2,051円)
アブ・シンベル神殿|印象に残ったTOP3
永遠続く砂漠地帯。ここはアフリカ大陸だった!と実感。
ダム建設に際して高台に移設された偉業に改めて驚く。
神殿の裏側が見られる。
【番外編】アイスが観光地価格でエグい!
アブ・シンベル神殿|解説(ChatGPT-4o)
アブ・シンベル神殿は、エジプト南部のナイル川西岸に位置する二つの岩窟神殿で、紀元前13世紀にファラオ・ラムセス2世の命により建てられました。この神殿は、ラムセス2世とその王妃ネフェルタリを祀るもので、エジプト新王国時代の建築の最高峰とされています。
大きな神殿は、ラムセス2世自身を神格化し、エジプトの守護神たち(ラー、アメン、プタハ)を讃えるためのもので、その入口には4体の巨大なラムセス2世の座像が刻まれています。特筆すべきは、年に二度(10月22日と2月22日)、太陽の光が正確に神殿の奥まで達し、ラムセス2世の像に当たるように設計されていることです。この現象は、ラムセス2世の誕生日と戴冠日とされています。
神殿の内壁には、カデシュの戦いを描いたレリーフや、ラムセス2世が神々から祝福を受ける場面が刻まれています。小さな神殿はネフェルタリと女神ハトホルに捧げられ、前面に6体の巨大な立像が並んでいます。
1964年から1968年にかけて、アブ・シンベル神殿はアスワン・ハイ・ダム建設による水没の危機を避けるために移設されました。神殿は約1000のブロックに切り分けられ、元の位置から約65メートル高く、200メートル内陸に移動されました。この大規模なプロジェクトはユネスコが主導し、国際的な支援を受けて成功しました。
アブ・シンベル神殿|思い出写真
ここからは、思い出の写真と共にアスワン(アブ・シンベル神殿)の旅を振り返ってみたいと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
まさに、「TVなどで散々見てきたアレ!」という感じです。とはいえ、この巨大な建造物を約65メートルも高台に移したというのには改めて驚きです。
そして、アスワンで印象的だったのが、永遠に続く送電線です。アブ・シンベル神殿を水没させるに至ったアスワン・ハイ・ダムの建設は、エジプトの経済発展には不可欠なプロジェクトだったそうで、カイロを含むエジプトの主要都市や工業地帯に広く電力を供給しているそうです。また、ダムのおかげでナイル川の氾濫は制御され、灌漑システムも改善され、農業生産の大幅な向上に貢献したそうです。
今回、アスワン市そのものは観光できなかったのですが、水の都として素敵な観光スポットが多いらしく、空港までのタクシードライバーさんにも「もっとアスワンで過ごして欲しかったよ!」と言われました。
さて、カイロからアブ・シンベル神殿まで約870キロメートル、日本で例えると東京から鹿児島までに相当する距離を旅してきました。ここから飛行機でカイロに戻り、プライベートツアーのラストは地中海の街アレクサンドリです!
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