September

夜中の関西空港から私の挑戦は始まった。

当時まだコロナ禍であり,空港はガラガラ。
旅行の仕方も忘れていた私は

チケットどこで見せればいいんだっけ? スーツケース預けるだけで終わりだよね?ここをまっすぐ進んで保安検査場行くんだっけ?

はてなと不安だらけであった。ドキドキしながら無事出国。
首から下げていた貴重品入れを誰も取らないのに無意識に握りしめていた。

不安から解放されて,のどが渇き水を買おうと思った。しかし夜中であったためお店も締まっている。自動販売機で買うしかないが,,,そこで小銭の日本円を用意してないことに気が付いた。

なるべく荷物を軽くコンパクトにを心がけていたのに,これから使うことのないたくさんの小銭とお札を手にしてしまうことになった。

まあ,,,,これが旅の始まりよね

そう思った。

緊張しすぎていた私は出発まで1時間も時間があるが,搭乗ゲートに向かい飛行機の離着陸をぼーっと見続けた。見ながら,頭はロストバゲージやトランジットの心配,寮はきちんと用意されているか,不安の連鎖を繰り返していた。

いざ飛行機へ。
旅程は関空からドバイへ,そして2時間のトランジットを経てドバイからマンチェスターであった。

自分の想像を超える洗礼はすぐに訪れた。

また,機内食来るの!?

おそらく日本時間の夜中4時,離陸後すぐに機内食が出たのも驚きであったが,2度目の機内食が出た。最後の晩餐ということで日本でたくさんご飯を食べてしまっていたこともあり,おなかははちきれそうであった。食い意地の張った関西人。残すわけにはいかないと必死に食べた。誰も見ていないのに,,,

ドバイにつくとむっとした暑さを感じ,日本ではないことを実感した。携帯ももちろんつながらない。ああ,始まったんだなとやっと留学を実感することになった。

ドバイの印象は,お金がたくさん有り余っているのだなというものだった。無駄に?というと怒られるのかもしれないが豪華な装飾と噴水。空港とは思えない設備であった。

その豪華さを横目に,トランジットまでの時間がタイトであったため,到着後走ってモノレールを乗り継ぎ次のゲートまで向かった。

無事離陸。
しかし機内に入り離陸するとすぐにまた機内食が出たのである。
機内食の悪夢。(この後4時間後に4回目の機内食がでることになり到着後は胃がもっとパンパンになった)

出発前は機内食を食べられることを楽しみにしていたのに苦しんでいる自分が面白くて仕方なかった。

無事長旅を経て,マンチェスター空港に到着。トランジットの時間が予想以上に短かったためロストバゲージを覚悟したが荷物も無事到着。

大学からの出迎えサービスを予約していたのできょろきょろしながらスタッフのところへ行き,大学へと向かうバスに乗り込んだ。

見るものすべてが新しく,牛や羊が道路のすぐそばを走っていること,曇り空の景色。一目ですべてを大好きになった。

寮に到着し,たどたどしい英語で自分を説明してカギをもらい部屋へ。
部屋につくとフラットメイトの一人が私を歓迎してくれた。

しかし,,,なんて言っているのだろうか??

多分何時間かかったか聞いていると思う。え,,もしかして違うのだろうか?簡潔に自己紹介できない自分にいらだつ。

イギリス英語の洗礼と留学の洗礼。これから1年やっていけるのだろうか

失礼のないように,自分が疲れていることと,ヘアドライヤーを借りれないかどうにか頼み,そそくさと部屋へ戻った。

アンパッキングもそこそこ,シャワーを浴び一日目を終えたのであった。


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