【ネタバレ注意】『仮面ライダーオーズ10th 復活のコアメダル』肯定派による否定派の主張のカウンター解釈つき感想。
先にバレのない範囲で簡素に言うと、
私は存分に楽しみましたね。
いやまあ内容が内容なので「楽しい最高ハッピー!!」ではないだろうけど、「ストーリーを楽しむ」というのは全てが「楽しい」必要はないのだ。
オタクの否定的な声はセンシティブだから劇的に広がるけど、普通に楽しんだり程度の人の声はあまり広がらないからね。
タイムラインが初日から賛否両論不穏や賛美が飛び交うカオスの坩堝で、多少は不安な気持ちもあったけど、結果として私は全然楽しんだよ。
まあ、否定的と言うか、手放しに喜べない人がいるのもまたわかりはする。
かと言って、制作陣の本気や誠意がヒシヒシと伝わってくる本作にあまり強い言葉で罵詈雑言を投げつけるようなオタクはどうかと思う。
というわけで、ここから先は存分にネタバレを踏まえて語られるので、未見の方は非推奨、
ネタバレ避けたい方は観てからまた読んでくれると嬉しいね。
ただ、一つだけ言っておきたいのは、マジでその人の考え方や作品との向き合い方、捉え方によって評価がめっちゃわかれるから、人の感想で判断するより、実際に見て判断して欲しい。
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以降ネタバレ注意だ。
最初はただただ感想という風にしようと思っていたのだが、
ひとまず一度否定派の意見を拾ってそれに対する私の解釈を開帳させていただこうと思う。
特定の感想に対するアンサーのように喧嘩を売るつもりなどは毛頭ないのだが、色んな感想を目にした後に、熱量の籠もった否定派の感想を拝読し、
その後に本文を執筆しているので、多少強火の方の言い回しを意識した文言などが見受けられるのはご容赦願いたい。
願わくば、否定派の方が気が休まる解釈に軟着陸する一助になれば幸いである。
○否定的感想に対する反論的解釈。
繰り返させていただくが、「それはどうだろう」「私はこう解釈した」を述べており、敵対してレスバしたいわけではない。
結局は個々人のオーズや火野映司の解釈と本作のすり合わせであり、
どちらが正義というものでもないのだ。
●「ファンのための新作」では?
この映画はオーズ本編に対しては真摯に作られていると思うし、
いつもの東映ならガワだけで済ませそうなグリードのオリキャスをわざわざ呼んでいたり(これもまた賛否あるポイントだが後述)、可能な限りフルキャスト再現しようとしたりした誠意は間違いなく「ファンのため」だと言える。
「ファンのための新作」という言葉の受け取り方にもよるが
ファンの為の新作、というのは
「大団円幸せキャッキャムービーですおめでとー!」ではなく、
「『本編の後の“あの世界”』というパンドラの箱を開けましょう」
という話であるので、死ネタ見せられたくなかった、というのもまあわかりはするが、それに対して過剰に文句を立てるのもまた違うのだと思う。
ファンのために、真摯にオーズというストーリーに向き合って、誠実に後日を描いている。と思う。
●火野映司の死に対する解釈
最終話を経て、火野映司は「身近な人と手をつないで行くことでどこまでも手を伸ばせる」に至った。
その映司が目の前の戦火に飲まれそうな少女一人を救って「手が届いた」と言って良いのか。
確かに映司は、身近な人と手をつないでいくことで、どこまでも手を伸ばしていける。という境地には至っている。
だが、映司の根幹を決定的に変質させ、現在の映司を作り上げた状況に近似した、「紛争地帯において幼い子どもが抵抗するすべもなく命を奪われようとしている」という状況の前に立たされた映司が何もしないなんて事ができるだろうか。
当然無理だと私は思う。
では、その近似した状況に置かれた女の子を助けたという行為を持って、「あの日手を伸ばせなかった状況に手が届いた」と表現は可能か。
これは火野映司自身の主観におけるトラウマの清算の話である。
火野映司は「戦火に飲まれた少女」を救えなかった事を起点として後の人生の行動指針を大きく動かしている。
映司の願い…欲望として『「あの少女」と同じような状況を二度と発生させたくない』ものは度々描かれているが、今回の状況で映司は「近似した状況の少女」を助ける事によって、同じような事象の発生を防いでいる。
映司としては長い間達成させたかった悲願(たった一つの事例と言えばそうではあるが、映司が『二度と発生させない』を目標にしている以上全ての近似した状況が救うべき状況といえる)であり、ましてや今回の少女は何度も書いたように状況が近似している為、より最初の少女のイメージと強固に重なる為、映司が「今度は、手が届いた…」と表現するのはなんら間違ったことではないと解釈する。
これまで本編内で助けてきた多くの人達、例えばかの幼き日の鈴木福くん演じる少年だって、「戦火に飲まれそうな子供」といえるではないかと言えばそれはそうだが、発言していないだけで映司が「今回もこの子には手が届いた」「この男性」「この女性」と一件毎に(届かなかった少女と比較して)「今度は手が届いた」と安堵していたとして何か矛盾があるだろうか。
どこまでも手が伸ばせるは範囲の話であって、自分の手が届いたという眼の前のトピックは並立しうる別件であると考える。
また『映司の死』といトピックについて。
「映司をわざわざ引っ張り出して殺しやがって!!!」っていう意見はまあ、わかるよ。
わかるけど、これは火野映司をどういう男と解釈してるかにもよるというか。
私の中の火野映司像は「火野映司って男はなんだかんだ伸ばせる手は伸ばさずにはいられないし、自分の命も結局かえりみれないから、死ぬときは死ぬ」という解釈となっている。
なので、客演した映画(例えば平ジェネFINALなど)の後でまた無茶なとこに突っ込んでいって命を落としていても、私の火野映司像としては間違っていない。極論子供を助けてトラックに撥ねられかねないような危うさを常に持っているという解釈だ。
そんないつ死ぬかわかったもんではない危うさを持った男が、過去のトラウマに近似した状況で一つの命を救って、本人のトラウマが清算された上で命を落としたなら、まあ火野映司としてはそんな悪い最期じゃなかったんじゃないかな…。と私は解釈できる。
というよりした。
無論そこで何らかのサプライズが起こって奇跡的に傷が治ったよやったね!
という展開でも嬉しいけどね。
アンクを呼び覚ましておいて自分は死ぬのか!というようなコメントもあったけど、これに関してはむしろ圧倒的に映司の「アンクを死なせたくなかった」という欲望の結果としてアンクは復活していて、自身がその場にいないのも本編に地続きの自分を勘定していない悪癖の結果ではなかろうか。
ここが“解釈”によって割れる部分かなという気はする。
「いつかの明日」、アンクと再会したい。の解釈だ。
一つは、アンクが死なずにいて欲しい(自分は現時点で生きてるので会える)→自分を勘定していない為「アンクの復活」が欲望。
そしてもう一つが、アンクと自分が両方揃って相対して再会したい。となるが、個人的には前者の方が火野映司の考え方だと解釈している。
「また会おうな」ではあるんだけど、「お前とまだまだ沢山話しをしたり人生を謳歌したいんだよ」よりも「お前がこのまま消えるのは嫌だから絶対復活させてやるからその時会おうな!」の欲望であるという解釈だ。
言葉の上では会うことがフィーチャーされているが、その実会うことよりも復活に比重が大きい。
少なくとも私の火野映司像はそういう風に解釈している。
10周年のお祝いの新作じゃなかったのかよ!そこで死ぬなんて私聞いてない!
わかる。わかるが、10周年のお祝いは先述の通り「パンドラの箱を開ける決定」そのものなのだ。
なので、そこでお出しされたものが辛いものであったからといって、祝いの席で殺すな!というのも理解は出来はするが、「祝いの席」というファクターにとらわれず真摯にストーリをと向き合って描いた結果生み出されたものであるのもまた事実なのだと私は思う。
●“アンク”たらしめるモノ
アンクはグリードである。
よって人間とは異なり、どこまでも利己的であり、人間のように涙を流したり、感情で動いたり体を張ったりはアンクらしくない。
というのが否定派の感想などで散見された。
これもまあ解釈の話であって私の解釈の組み立てを開帳する。
まず今回、『復活』のアンクは、本編最終回を経験した本人ないし、ほぼ完璧な記憶を共有した存在であるとして話を進める。(映画の中に回想が挟まれるため十中八九その共通見解で問題ないと思うが)
アンクは本編最終回で「お前たちと居る間に、ただのメダルの塊が死ぬ所まで来た。こんなに面白い…満足できる事があるか?」というセリフを残している。
アンクは人間ではないグリードであり、メダルの塊であったが、あの局面に至り、人並みの愛着、執着、感傷などを獲得し、「グリードとしての終焉」ではなく「アンクという存在の死」を感じられる段階までに至っている。
なら、そのアンクが火野映司という個人を大切に思い感情を昂ぶらせたり、「ゴーダが乗っ取っている火野映司の肉体」の為に身体を張って飛び出したりしても良いのではないか。
最終回を経ているからこそ、人間的で、感情的なアンクというのはなんらおかしいことはないと私は解釈している。
あとアンクの利己的な所自体は別に損なわれていると思っていなくて、
例えばゴーダが憑いている事によって映司の肉体が維持されている状況を受け入れている事がまず、映司生存という利の為にゴーダを利用している。
古代オーズから紫のメダルをはじき出すついでに「ちゃっかり自分のメダル回収してるのかよ」とちゃっかり回収してるなど。
ていうか、アンクは自分の為に動く!!映司に献身的すぎ!!ていう意見は、本編終盤のアンクも映司の為にだいぶ無茶してタジャドルやってメダル割れたがそこはいいのか。そこはいいのに、おそらくそれを前提としたメンタルでスタートした今回は駄目なのか。
●映司、アンク以外の描写不足。
これに関しては単純に尺がない。
これに怒るのはなんら間違っていないし、決して悪いわけではないが、全ての映画が3時間や4時間も話を作れるわけではないのだ。
(実尺1時間程度なのに内容が異様に濃密に感じる『Over Quartzer』という例もあるがアレはやたらと緻密に詰め込まれている例外みたいなモノである)
尺がタイトな映像作品に対する嗜みとして、行間を好きなように解釈する権利を我々は有している。
例えば『本作で、古代オーズvs映司タトバのシーンで他の人達は何をしていたんだ』に対してはいろんな解釈が可能である。
・各地で現れたグリードと分散して戦っていた。
→映司は、その場のグリードを退けたが、そこに古代オーズが参戦した。
・伊達さんや後藤も戦っていたが、後藤バースが被弾し怪我を負ったため、伊達が後藤を担いで退避していた
・なんの前触れもなく一人でいた映司の前に突然古代オーズが現れた為、後藤や伊達は知る由もなかった。
とか。
別にどれが正解というのは例えばノベライズなどで補完されない限り知りようがないが、逆に提示されていない以上解釈の余地である。
描写不足をなじる事は簡単ではあるし、全体が不満となった後だと些細な点も強烈な汚点に映るのはよくあることなのだが。
あとは語り部の問題というケースもある。
あのシーンでは比奈が「映司vs古代オーズ」に関して語っており、聞き手であるアンクからすれば比奈が語った以上の情報は読み取れない。
その為、あの戦闘シーンが「比奈の説明に基づいてアンクがイメージしたビジョン」である場合伊達や後藤が現れないのは仕方がない、という事になる。
まあ、そもそもあの比奈の説明シーン自体に対して「被害者が全員死んでる怪談のパラドックス(誰がその話を流したのか)」に類似した状況が発生している(古代オーズが気まぐれで攻撃した少女以外の、生き残って一部始終を報告した誰かが存在するが、シーン内に描写はない)為、描写不足感が否めないところではある。
●古代オーズ弱くね?
映司が苦戦し、結果命を落とすことになった古代オーズ戦。
その後古代オーズはウヴァ、カザリ、ガメル、メズールを吸収し、
吸収古代オーズにパワーアップした状態に対して、
ゴーダ&アンクは勝ってみせた。
じゃあ、その古代オーズに負けた映司はなんだったのか?
みたいな言説。
それに対しては上述の解釈の余地でどうこうできる場合もある(例えば映司が連戦、体力を顧みない献身を繰り返して消耗していたなど)が、
そこは一旦無視して解釈を立てる。
・まず最初のゴーダタトバと強化古代の戦闘だが、終始強化古代が圧倒している。
・その後「お前も吸収してやる」の折にアンクが自らを盾にして取り込まれる。
・取り込まれたアンクが内から「紫のメダル」を弾き出し、ゴーダに装填させる。
・ゴーダプトティラ&メダガブリューのメダル破壊特攻が、メダルを吸収して構成された古代オーズそのものに対して特攻を発揮する為、古代オーズに大ダメージが入る。
・必殺技によって古代オーズが“古代オーズ”を維持できなくなってメダルの塊に戻る。
といった話である。
要は単純に古代オーズ…というかグリード系に特攻が入るメダガブリューが強いって話であって、古代オーズ戦そのものの描写が悪かったわけではない。
これは完全に想像だが、仮に映司が自力で古代オーズから紫メダルを呼び寄せる事が出来てプトティラ&メダガブリュー装備できていたならあのシーンで倒せていた可能性もあるのではないか。
主だった反論的解釈は以上とさせていただきます。
繰り返し、あくまで私の解釈の話であって、他者に押し付けたり言い争いがしたいわけではない。
○単純に疑問・細かいツッコミ編
上述の解釈の余地の話を自分で上げるやつ。
●そもそも古代オーズどうやって復活してん
なんでだろうね。
突然だけどまあ10年経ってるしな…。
鴻上ファウンデーションがコアメダルを最低でも6種(ムカチリ、ビカソ分)は作れてる以上、本家メダルもどうこうしてただろうし、十中八九あのハッピーバースデーおじさん達のせいだと思うけど、あいつらが何も言わない&描かれない以上わからん。
解釈の余地である。余地が多いな
●手癖の“レジスタンス”
しょっちゅう単独パワー持ちが大暴れした結果レジスタンス組んでるけど手癖すぎんか?
古くは劇場版ファイズや劇場版カブト、最近だとジオウ本編や令ジェネ、ビヨジェネ(未来)。
ファイズ、カブトは生存競争的な面があるから劣勢ならまあわかる。
ジオウは……王政に対する反逆。まあわかる。
令ジェネはアークによる人類への反旗→劣勢なのでレジスタンス。まあ…わかるけど。
ビヨジェネも未来で制圧された結果の少数勢力なのでレジスタンス。まあそうね。
大暴れする古代オーズに対するレジスタンス
……反抗軍を指してレジスタンスとするのでまあ間違いではないだろうけど……。
うーん。……うーーーん?
古代オーズは王政を敷いて天下取ってるわけでもなさげだから反抗軍って言われてもやや釈然としないというか、
一脅威に対する対策チームなだけなのでは……?ってなるとこはあるよね。
●グリードのオリキャスわざわざ呼ぶ必要あったか?
まあ、いつもどおりガワだけで済ませられそうな分量だったが、ちゃんとオリキャスを呼んだのは、その事実そのものを持ってしてサービスだったんじゃないかなと。
描写が雑なのは本当にそう。
ウヴァはまだ戦ったけど、他3人雑だったからねぇ。
個人的には、最期のタジャドルエタニティの際に他のグリードのメダルも統合してエタニティ化するかと予想していたけど、グリード達のキャラクターを尊重するならそれぞれの同意の上で取り込むとか…と思ったけどそれやると将軍と21のコアメダルと同じになっちゃうから避けたのかな。
ただまあ有名な某氏のようにグリードの人間態の再登場を心から喜んでおられた方々は怒っても仕方ないと思う。
●ブラカワニグリード、恐竜グリード、ビカソグリード。
ブラカワニと恐竜は『将軍~』の映画の時点からのツッコミといえるかもしれないが、
ムカチリメダルの人造グリード「ゴーダ」が登場するのであれば、
徳川将軍時代から存在するブラカワニのグリードや、
恐竜メダルのグリード(『将軍~』のでもいいし、真木博士でもいいが)は登場しないのだろうか。
またビカソもコンボでメダルが存在しているがそっちに人造グリードはいないんだろうか。
これに対して仮設を立てると、ムカチリメダルが実験1号で、そこでゴーダ発現、制御できていない為後続人造グリードはつくられていないとすれば、ビカソグリードはいないことは筋も通る。
●後藤さんドリルアームやカッターウィングは?
伊達バースと比較した後藤バースの特徴としてネット民がよく口にする特徴として、
後藤はドリルアームやカッターウィングなどのオプション装備を多用する、というやつ。
まあインターネットに触れながらオーズも観てきた身なので私もその観点はあったが、今回特に使わなかったな…。予算かな……と思いつつ、まあ例によって考察を立てると
・セルメダルを節約している為使っていない
→なら古代オーズ戦は出し惜しむなよ、というとこではある。
・これまでの闘いで損傷している
→まあ、丸いかなぁ。
無難な落とし所だね。
●トラクローの間
吸収古代オーズもゴーダもだったと思うんだけど、トラクローの形状保持の為の爪の間のとこにあるクリアパーツが割とわかりやすいとこが何箇所かありましたね。
まあ、撮影処理でどうこうするの大変そうだからしゃーないね。
●不満という程ではない
映司も帰ってきましためでたしめでたしハッピーエンド。
観たくないというのは大嘘なんだけど、シビアに締めくくった本作もまた好きなのですよね。
トラウマの清算に対して、地球程の欲望を持つ男がそれで満足して良いのか?
「家族は助けてやる」に対して「ここにいる人全員家族だ!」した男やぞ?
と言われるとまあ、たしかにね……。とならなくもない。
だけど、眼前の少女を救った火野映司が、今際の際に思い残した事として「アンクの復活」を願った。
その膨大な欲望を一つの方向に差し向けた結果「アンクの復活」という奇跡が叶った。
と解釈すればギリギリ納得の行く落とし所にはなるかなという感じ。
不満という程でも無いけど、満点満足でもない。
全体的に観たら納得も行くのかな。って感じで難しい塩梅だこれ。
○好きなとこも書こうね
●『ゴーダ』
ゴーダ憑依映司の表現がすげぇイマジン憑依した時の表現メソッドなのはこの際まあ気にしない事にしよう。
みててわかりやすいしね。
日野聡さんのかっこいい声でしゃべるグリードいいじゃん!
欲を言うならグリード態出して欲しかったけど、グリード吸収ゴーダがその役目してるからいいのかな。
●『ガタキリバ』
「メダルくれよ!」
「くれないなら自分で!!」
の流れも好きだよ。
情け容赦のないガタキリバ好き。
相変わらず出し過ぎだし、
ウヴァ殴ってるシーンでは周囲に展開してないのに、スキャニングチャージした瞬間全方位取り囲んでるとか、
手前が足ばっか写ってるカット、画面奥のガタキリバはともかく、手前のやつタトバ用バッタレッグだけのも参戦してるんだろうな…って感じる構図してたり、
けど昔に比べたら比較的楽に大量分身キックできるのでは?
と思ってみたりの全部ひっくるめてやっぱガタキリバは楽しいね。
●伊達さん
伊達さん、ゲイツマジェスティでも拝見したけどゲイツマジェスティのときより本編の伊達さん感増してた感じしてよかったな…。
●鴻上会長
あの会長、ほんと全部の元凶だな…。
あとあの会長、ラストのタジャドルエタニティの誕生を祝う時にしれっと全身赤スーツになってて
こいつ楽しんでやがる!!!!
ってなりましたね
●浅井さんのオーズ
浅井さんがとても細身でいらっしゃるからなのか、
オーズのスーツの「スーツ感」がいつも以上に「スーツ」をまとっている!!
って感じがして味わい深かったですね。
高岩さん時代のピッタリしたスーツの良さとは別の味わい深さを感じる…。
まだうまく表現できない領域なので曖昧な記載だけど、良かった…と思う。
(浅井さんのオーズ全般には不満は無いよ。それはそれとしての話)
●バースX
正直あんまり活躍できないまま映司に引き継いじゃったので、
どこかでまたフィーチャーされるといいね…。
●最終回を逆転させたタジャドルエタニティ
やたらとシビアに命を落としたりする本作にしては、露骨にファンサに振ってるな?と感じるシーンだけど私は好きだよそういうファンサ。
「それが……お前の望むことなら……!」
「タカ!」「クジャク!」「コンドル!」
タジャドルのメダル読みは串田さんのに映司の声が重なってるのかな。
それともアンクと映司が重なってるのかな。
と1度みただけの今ははっきりしてないけど。
そして映司の幻影。
幻影っていうかこいつ殴ってるな!?
いやアンクの幻影もなんか飛ばしてた気はするけど。
生身の映司「行くよ、アンク」
オーズのアンク「ああ」(うなずいただけだったか?)
細かいディテール記憶しきれてないけど好き。
こう、時には考察立てて理路整然とした読み方みたいなこともするけど、
それでもエモいシーンは普通に熱いじゃんね。
○『欲望』を言うなら…
もうちょっと欲しかったなって捕捉や説明セリフを妄想するやつ
●タジャドルエタニティvsゴーダ
「馬鹿な……!? 俺は全てのメダルの力を手に入れているというのに……!」
「お前バカか。あの古代のオーズでさえ制御しきれなかった力だぞ。
あのバカ(映司)を手放しといてお前一人にどうにかできるわけないだろ」
こんな感じのはちょっと欲しかったなーと思わなくもない。
●最終戦、あそこまで逆転させてなぞったなら
「Time judged all アンクバージョン」みたいなの流してくれても良かったんちゃうかな!!!!
そういえば今回コンボソング流れなかった気がする。
流れたっけ?
○総括
制作陣が本気で臨んだオーズの最終章。
尺もなかったからもっと欲しかった色々はあるけど、それでも観たいもの、ファンサービスも盛り込まれたいい作品であったと私は思う。
もちろん、受け入れ難い人もいるのは承知の上ではあるがこればかりは個人の解釈の仕方、向き合い方が大きく影響するので難しいね。
なんか書き忘れたな、みたいなのがあったら追記します。
●トラクローの間
が追加されました
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