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49歳で家族を捨てた父、その歳になった私

 今日で49歳になったワタクシ。「論語」ではそろそろ天命を知る時期らしいが、ワタクシはどうなのかなw
 そう言えば、父(存命)が家を出て行ったのは「天命を知ったから」なんだろうか、なんて。残された家族は大迷惑を被ったけど。


1.父が家を出て行った日のこと、今でも鮮明に覚えている

 大きな会社でのサラリーマンを経て都会で土木工事会社を起業した父。高度経済成長とバブルの波に乗って事業はめちゃめちゃ順調。金回りの良さは子供ながらに感じられるほどで、ちょっと引くくらいだった。モーレツ社員の典型みたいな人だから家族を置いて都会で単身赴任。我が家に帰ってくるのは半月に一度くらいだった。
 帰宅した父は、ワタクシの弟(当時中学生)と戯れていたのだが、その様子はいつにも増してしつこかった。嫌がる弟が半泣きになる。母がちょっとヒステリック気味に父に注意。・・・数秒の沈黙の後、父は何故か激怒して持ってきたボストンバックとセカンドバッグを抱えて出て行ってしまった。

2.ホッとした

 残された家族は呆気に取られていた。母はすぐに追いかけたようだったが、父が戻ってくることはなかった。
 当時、高校に入ったばかりだったワタクシは進学のため自宅外に下宿していた。父の帰宅に合わせての帰省だった。
 自分が原因で父が出て行ってしまったと泣きじゃくる弟を尻目に、何故かホッとした気持ちになっていたワタクシ。当然、父を追いかけようなんて気にもならない。
 どうしてって。父が帰ってくるといつも母や祖母がピリピリした雰囲気になるし、演歌歌手かそっち系かと思うような身なりで帰ってくる父をどこか毛嫌いしていたワタクシは、「これで父に会わなくて済むな、家族がピリピリしたり夫婦喧嘩を見たりすることはなくなるな。」という気持ちの方が大きかった。安堵の気持ち。30年以上経っている今でも鮮明に覚えている。

3.父が出て行った理由は知る由もないが

 入婿だった父。「逆玉の輿」なんて言われることもあったようだ。上昇志向の強い人だから見返したい気持ちもあったのだろうか。ビジネスで大きく成功しても母や祖母に認めてもらえなかったからだろうか。世間知らずのワタクシも金満な父を毛嫌いしてたし。ま、イケナイことを何度もやってしまう人だったから、家ので肩身が狭いのは自業自得だと思うけど。

4.心労で病んでしまった母

 その後の母は、どんどん頑な人になっていったように見えた。父とのこと、父祖伝来の土地を守っていくこと、子育てのこと、世間体…。
 そんなことに関わりたくなかったワタクシは、逃げるように進学のため上京。当時はもう、地元になんか戻るつもりはなかった。

 父が出ていって程なく、祖母は父との養子縁組を解消。そして、私が大学に進学した頃から、母と父の離婚協議が始まった。
 離婚の条件は、父が祖父から相続した土地のすべてを母に返すこと。しかし、所有権絶対の日本。そして優秀なビジネスマンでもある父はビタ一文支払う気なし。母が、どんなに父の不貞なり不誠実さなりを主張しても父の顧問弁護士にのらりくらりと翻弄されていたようで、帰省のたびに弱っていく様子を見るのは忍びなかった。
 そんな苦労がたたったのか、病気知らずだった母は難病を発症。ワタクシが大都会で就職する頃には、杖なしでは歩けない状態になっていた。

5.追い打ち

 母は、体の不自由さが増すなか父との離婚裁判は続けていた。次第に横臥する時間が増えた母の介護は80歳を超えていた祖母が行っていたが、限界が来た。
 ワタクシは実家に戻った。幸い、地元で職に就くことができた。

 母の病気の進行は止まらず、ワタクシがUターンして3年後に入院することに。加えて祖母の体調も悪化し、ワタクシはダブル介護と両親の離婚協議に関わることに。
 なんて理不尽なんだと。片や父はのうのうと好き勝手に暮らして…と。思い通りにならない日々にイラついてばかりだった。

 両親の離婚は思わぬ形で成立した。
 きっかけの1つは、長引く景気低迷に公共工事の削減が追い打ちをかけ、父の会社が不渡りを出し破産することになったこと。もう1つは、病気の進行が止まらない母が「父より長く生きられない」と考え、父を相続の対象から外すのを急いだこと。
 結局、父の個人財産はすべて差し押さえられ、競売や任意売却によって他者に渡った。…母の十数年に及ぶ法廷闘争は水泡に帰してしまったのだ。
 両親の離婚届はワタクシが役所に持参した。こんな理不尽な状況を作っておいて尻拭いすらできない父を情けなく思った。何よりそんな父に人生を翻弄された自分の青臭さ、未熟さに腹が立って仕方なかった。

6.理不尽だけれど、好きなように生きる父が羨ましい

 離婚成立から数年のうちに、祖母と母は他界した。もう10年以上前だ。
 一方、父は多くの取引先等の協力を得て会社を再建したそうだ。今では信頼できる社員に代表職を譲り、高級シニアマンションで暮らしているらしい。身の回りの世話をしてくれる方もいるようだ。別荘を持ち、車も数台所有している。たくさんの友人もいるようでいつも楽しそうにしている。

 離婚の過程で、ワタクシは母から父への恨み言を延々と聞かされ続けてきたせいか、その”洗脳”が解けない(笑)。加えて、父が家を出てから母が亡くなるまでの約25年間、ワタクシは一切、父と連絡をとっていなかった。だから、未だにどう接して良いか分からない。気軽に連絡したいという気持ちになれないのだ。

 ワタクシは、父のような優秀なビジネスパーソンにも家族を犠牲にする冷徹な人間にもなれない。母がまだ生きていたら、きっと、ワタクシは母の味方をするだろう。
 …でも、この世に生まれてくることができた。家族を捨てた父がいたから。そのことをやっと少しだけ感謝できるようになった。

 あ。まもなくワタクシが生まれた時刻。今日を迎えられた感謝を伝えに、お墓参りに行こうっと。