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スピリチュアルを誤解していた話

ハジメマシテ、ケロケロリーン🐸

スピリチュアルな世界に触れて3ヶ月。

さまざまな変容があった。

その変化や気付きを、ここに記していく。


不安、恐れで暗く塗りつぶされていた私のキャンバスは、

気がつくと余白ができていて、愛や感謝で包まれている。

なんて美しいんだ。なんて温かいんだ。

この世界は、光に満ちている。

不安の渦の中で

3ヶ月前、私は不安の真っ只中にいた。

緊急事態宣言が出て1ヶ月以上、子ども達がずっと家にいた。

ひとりの時間が欠かせない私は、

息ができない魚のように、水面で口をぱくぱくさせて、今にも力尽きてしまいそうだった。

いつまでこの状況が続くのか。

Twitterを開くと、不安に揺さぶられた人たちの発する嘆きがたくさんあった。

どうなってしまうんだろう。

食糧危機?金融崩壊?医療崩壊?

不安を煽るような情報を、みんなのため、世界のため、と言いながら出している人がたくさんいる。

結局金儲けのためじゃん?と心の中で毒づきながら、見ないという選択をできない。後ろ髪をがっちりと掴まれて、見ずにはいられない。

そんな時、YouTubeのおすすめに、ある動画が出てきた。

ほんとうに何気なく開いた時から、

私はいわゆる「スピ系」の扉を開くことになる。

いらない、何も、捨ててしまおう

その動画は、私たちひとりひとりが、光の存在であるということを伝えていた。

暗闇にさす、一筋の光。

その人の過去動画を次々に再生していく。

なんの思惑もなく、ただただまっすぐ、

「あなたは素晴らしい存在」と伝えてくる。

その思いが心まで届き、やがて優しく包まれて、涙が止まらなかった。

もう、いいのかもしれない。

もう、充分なのかもしれない。

不安や恐怖を感じる遊び(学び)は、もうおしまいにする時がきたのかもしれない。

コント「悩み」の終結

小さな時から、ずっと悩んでいた。

家族のこと、コンプレックスのこと、学校のこと、友達のこと、恋人のこと。

とにかくいつも悩んできた。

学生時代の友達に

「いっつも悩んでるねw」と笑われたことを、よく覚えてる。

私はコント「悩み」を、幼少期から30歳を過ぎるまで、ずっとやっていた。

一人芝居の自作自演。

悩みに縋り付いて堂々巡りをしたところで、ちっとも楽しくは生きられないということを、30年近くかけて経験できた。

どうあがいても、無理だった。

そしてもういい加減、飽きた。

この自作自演は終わらせようと思って、

悩むのをやめた。

そしたら、本当に「悩み」は私の現実から消滅した。

何かが起きた時、

コント「悩み」が十八番だった私は、悩みとしてこねくり回して、大切に愛でていた。

今は、全く同じことが起きても、

気に留めない。

悩みという濾し機がないから、経験しても留めずに、通り過ぎていく。

不安や恐れが少ないから、反応しない。

軽い、軽い、軽いぞ〜!

スピ系は怪しい、ヤバイという洗脳

スピリチュアルにハマる人って、宗教にハマって高額な壺を買わされるイメージ。

教える方は、荒唐無稽なことを言って大金を巻き上げているイメージ。

総じて、スピ系ってなんかヤバイ。

ずっとそう思ってた。

よく知らない世界のことなのにね。

なんでヤバイと思っていたか、この3ヶ月で少しわかった。

スピリチュアルな教えは、真理を伝えている。

それに気付くと、皆が本来の力を取り戻す。

そうすると管理、支配しにくくなる。

だから、支配者層からすると、みんなが力を取り戻すのは、ものすごく都合が悪い。

ってことで、スピリチュアルの世界自体をキワモノ扱いして、馬鹿にするような風潮を作っている。

そんなのにハマるなんて、ヤバイよ、恥ずかしいよ〜wって感じに。

そんな感じなんだな、なるほどな〜

と納得し、眺めている。

スピ系は本当にヤバイのか

スピリチュアルな世界には、真理が内包されていると、私は感じる。

ただ、その真理を自分の都合よく改変して、お金儲けのために利用してる人、

もしくは、視聴回数ほしさに、センセーショナルにしていたり、逆にわかりにくくしているような意図を感じる人も、やっぱりいる。

ちなみに、お金を稼ぐことを悪だとジャッジしてるわけじゃない。

お金儲けとのバランスを著しく欠いてる人がいるってだけで、別に悪いわけではないと、私は思う。

患者のために適切な治療を行う医者もいる。

金儲けを優先させ、いらない投薬や手術をする医者だっている。

当然、スピリチュアルな世界にも色々な人がいるわけで、

総じてヤバイ、やばくない、とは言えない。

コメント欄を見ている限り、ハマる人っていうのは、依存的な人が多いのかな、とは感じるけど、

それも悪いことじゃないし、

結論付けるなら、

「スピ系が特段やばいわけじゃない」

というほんわりとしたものになる。

(それぞれにとっての)真実は、知ってしまうとなんの飾り気もない、平凡なもので、

驚きも、興奮もないかもしれない。

人目をひく記事にもならない。

ただただ、はじめからそこにあって、

気付くか、気付かないか、ただそれだけ。

地獄から天国へ

私は33歳まで、地獄で生きてきた。

幼少期に虐待を受け、その後遺症や二次障害などで、ほとんどまともな社会生活を送ってこなかった。

私自身の敏感な特性が、家庭環境と合わさって、悪い方に作用したのもある。

自分が大嫌いだったし、存在が恥ずかしかった。

生きてること、存在していることに罪悪感があった。

心から安心を感じたことも、リラックスしたこともなかった。

自分が地獄にいたというのを、

地獄から出て、初めて気付くことができた。

32歳の頃からカウンセリングを受けて、

自分に対する誤解を少しずつ解いていった。

徐々に、自分の力を取り戻していった。

今になってみると、

過去の経験は、最強の召喚獣のようなもので、

何かと味方になってくれている。

めちゃくちゃ強い敵を倒して味方に付ける。

生死をかけた戦い。ハイリスクだけど、倒せた時の経験値はやばい。カンスト。

生きづらさの極みのような経験をしてきたからこそ、新たな生き方を模索することができた。

そこそこ幸せだったらきっと、今までの生き方に未練が残ったと思う。

愛に包まれて

あぁ、毎日幸せだ。

長年地獄でのたうちまわってたからなのか、敏感な特性が作用してるのか、

とにかく毎日が、

幸せとありがたさで、満ちている。

悩みがなくて、強い不安がないだけで、ここが天国にも感じる。

大金が手に入ったとか、美しい顔に生まれ変わったとか、仕事で大成功したとか、

そんなことは起きてない。

はたから見ると、何一つ変わっていないかもしれない。

でも私は今、毎日幸せを噛み締めて生きている。

なんてありがたいんだろう。

なんて心地いいんだろう。

スピリチュアルな世界に出会って、一気に世界が広がった。

スピリチュアルの世界との出会いにも、

スピリチュアリストの方たちにも、そして自分自身にも、心から感謝している。

感謝が溢れて、だいたい毎日泣いている。これを書きながらも泣いている。

自分がここにいてもいいと思えることが、何よりも嬉しい。

目を閉じると、皆んなが当たり前にそう思える世界が広がっている。

きっとこれは、そう遠くない未来。

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