解放を求め、ボクサーパンツからトランクスへ

アダムとイブが禁断の果実に手を伸ばしてから、幾年が経っただろうか?

その延長線上に立つ僕はいま、ユニクロの下着コーナーで禁断の果実よろしくトランクスに手を伸ばそうとしている。


【解放】というテーマは、あらゆる場面において重要な意味を持つ。それは個人という枠組みに収まらず学校、地域、世界、いや宇宙?まで広げることができるだろうか。

解放と名のつく運動、また争いは尽きない、
特に、第二次世界大戦後、アジアやアフリカなどでは民族運動が高まり、ほとんどの植民地が解放を求めて独立した。

解放を求め、人は人を殺し、そしてまた争いに抵抗する者たちが解放を求める。解放へのループ、、、本当の意味での解放など訪れることはないのだろう?



いや



僕が引っ越しを決めて、ヨレヨレのボクサーパンツが何枚もタンスから溢れ出てきた時、それが訪れる可能性を感じた。


解放だ、、と思った。


今こそ解放を求めて動くべきなのだ!!!!!!
僕の体にもナポレオンの血が混ざっているはずだ!!!

こんなもの捨ててやる!!!!!!と、一時の気の迷いで全てのパンツを捨ててしまった。

明日履くパンツすら捨ててしまった自分に舌打ちしながら、僕はその足でユニクロへと走った。

下着コーナーに着く。
なるほど、これがトランクスか。いかにも大人って感じだ。



トランクスの記憶はふたつある。

まず、小学生くらいの頃に見た親父の姿。風呂上がりの親父がビール片手にトランクスのまま首からタオルを掛け、TVのリモコンをぽちぽち押している。
あるいはそれは僕が勝手に作り上げた親父像のようなものだったかもしれないが、子供ながらにこんなおっさんにだけはなりたくないなと思ったことは覚えている。

もう一つの記憶は中学の部活の仲間と市民プールに行った時のことだ。7人くらい居たのだけど、みんながボクサーパンツを履いている中で彼だけがトランクスを履いていた。僕はそいつに一目置いていたし、彼は精神的にも実際にとても大人だった。それを指摘する人は誰もいなかったが、僕にはそのトランクスが光って見えた。あぁこんな大人になりたいと思ったのを覚えている。


さて、記憶の中の市民プールから現実のユニクロへと視線を戻し、僕は決意を決め、店員さんに聞かれないようにマスクの下で「逃げちゃダメだ、、、逃げちゃダメだ、、」と呟きながらそれをレジへと持っていった。

家に着くなり僕は真っ先にシャワーを浴びた。なにせ初めてのトランクスなのだ。そしていつも以上におしりをゴシゴシ洗った。なにせ初めてのトランクスなのだ。いつもより丁寧に髭を剃りいつもより丁寧に化粧水をペチペチした。なにせ初めてのトランクスなのだ。

なにも気にしてませんよ〜別に普通ですが?と自分を誤魔化しながら、トランクスを履いてみる。


解放、、、?これが??


たしかにボクサーパンツやブリーフのような締め付けが無く、これこそが大人という感じなのだが、それよりも多少の恥ずかしさ?というかスースーする感じが優っている。これは慣れなのか、、?おれが精神的に子供だからダメなのか、、?


ああ、、、僕はまた解放されなかった、、
ああアダムとイブよ。僕の哀れな姿を見てくれ。



と、まぁ色々言ったんだけど、トランクスあんまり慣れなくてさ、おすすめのパンツあったら教えてくれませんか?

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