誰に宛てるでもない手紙 (4月) - おわり

さて、また愚痴のような内容になってしまうので、読みたくないと思ったら、さっさと破り捨ててもらって構いません。

先日、とても苦しい思いをしました。詳細を述べると長くなってしまうのですが、簡単に書くと、僕がずっと好きで続けてきた好きなこと(創作)について僕が1番苦手な人から否定的なことを言われて限界になってしまったということです。その人が言った言葉は、全てを否定するような言葉ではありませんでしたし、どちらかと言えばアドバイスに近いような言葉でした。たぶんこう書くと、それのどこが苦しいんだよ?と思われることでしょう。本当にそうなのです。なんで苦しいのか僕にも分からなかった。

でもそれを言われた瞬間に膝から崩れ落ちて立てなくなってしまいました。本当に全てを否定されたような気持ちになりました。もちろん、その出来事だけではなく、色んな不安が積み重なったこともあったのですが、とても悲しくて悲しくて、悲しい以外の感情が見つからなくて、自然にポロポロと涙が溢れてきて(本当に僕は普段泣かないんだけど)朝起きても、歩いていても、バイト中も電車の中でも何も集中できなくて、ただずっと不安と悲しみに襲われて、気づいたら終点まで行っていたということもありました。

とはいえ前にもこんなことがあったし、何日かしたら自然に治るかもしれない。待つしかないんだと思って耐えていたのですが何日経っても治らないし、誰とも喋りたくない気分だし、かといってほったらかしにされたら寂しい気持ちになるし、そんな自分に腹が立つし、身体がだるくて動きたくない。でも、周りはもう新社外人になって必死に働いてるのにという焦り。なんて自分はダメな人間なんだ。打たれ弱いし、しょうもないことでうじうじして、逃げてばっかりだ、なんでこんな人間に生まれてきてしまったんだ、なにかやらなきゃ、ずっとそうだ。まだ起こってもないことに不安ばかり感じて何も行動を起こせないし、、、

とこんな風に、毎日24時間ずっとそんなことが頭の中でグルグルしていて、ついに僕はもう限界なんじゃないか?と思って心療内科を調べて予約の電話をかけようとしてやめたり、精神的な病気について調べたりしたけれど、たぶんそこには僕よりもずっとずっと辛くて何年も苦しい思いをしてる人がいました。それでその人たちのことを考えたら、僕なんかが辛いと思ってはいけないような気持ちにもなってきました。

僕の好きな人たちの中にもたぶん、そうやって苦しい思いをしている人がいて、笑ってるけど、悩んでる人たちは、そこら中にいると思います。はたして、その人たちをどうやったら支えれるんだろうかと考えていると、僕自身の辛さはやがて、ほどけていきました。

ところで、これは、以前から何度も思っていたことだけど、誰かが悲しい気持ちの時、僕がそうであったように(短期間だけど)、誰とも話したくない気持ちだったり、ほっといてくれ!!というような気持ちになる人が多いんじゃないかな?と思います。だから何もできないし、声をかけてそれで余計イライラさせたりしたら嫌だし、だからといって何もせず見ているだけも違うような気がする。

もちろん本当は一緒に悩めたらいいんだけど、完璧に他人の苦しみも理解することなんて出来ないし、色んな問題が生じるよなと思っていました。そこで書き始めたのがこの手紙でした。

僕自身の悩みを吐露することで、それが誰かの悩みと重なり合った時、もしかしたら少しの支えになるかもしれないと思いました。だからこれは誰に宛てるでもない手紙でありながら、今これを読んでる君に向けた手紙です。

初めて、手紙を書いたのはたしか去年の4月でした。それから1年が経って、自分は何も変わってないように思えるけれど、でも、この1年の間に沢山の人が死んだし、数え切れないほどの哀しさが訪れてきたし、何回も靴下を脱いだり履いたりしました。そんな中で君にこうやって手紙を書くことは一つの支えとなっていました。

最後に手紙を書いたのは、たしか1月だったと思います。それから何も書きたいことがなかったわけではありません。ただ、色々なことが重なって状況が変わって、僕自身そのことについて整理するのに精一杯でした。ただ何か、しこりのようなものが残っていたので最後にお別れの挨拶を書こうと思ってこの手紙を書いています。

今は深夜3時49分です。

ところで君は元気ですか?もし今泣いているとすれば、試しに窓を開けて「ビヨーン」と言ってみてください。おれもその時「ビヨーン」と言っています。

さようなら。

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