東京に来て2年が経ちましたが

今の自分が東京について語るということはかなりの自傷行為ではあるけれど、今語っておかないと後悔するかもしれないと思うので書き残しておこうと思う。

これはどこかに書いたかもしれないので詳しくは書かないが、僕が東京に来たのは創作をしたいからというフリをして、とにかく家族から逃げたかったからだった。

LINEや電話すべての繋がりをブロックしたけれど、こちらに来てからも風の噂や母親経由でなにかをやり取りをするたびに父親や兄弟との関係はますます悪化しており、二年間、まだ一度も帰省していない。むしろ関係を切ることで存在が大きくなっていく感じもしてて、なあなあにしておいた方が楽だったのではと思うけれど、これはこれで仕方がないとも思う。

最寄りの駅から出発する電車の窓から、手を振る家族に僕は最大限の抵抗で手を振らずに睨んだけれど、あのとき家族はなにを思っていただろうか。

その2週間前、一度も行ったことない東京の不動産に電話をかけ、吉祥寺や三鷹の家賃の高さに驚き、聞いたこともない街に内見をしに来て、血のシミがついているアパートとどうぶつの森に出てくるような真四角のアパートと今の家を不動産屋のチャラい兄ちゃんに紹介してもらい、消去法で今の家に決めた。とにかく暗くて湿気もすごいけれど、窓を開けると常にさつまいもを腐らせたような臭いがするけれど、隣の住民は毎日オペラの練習をしているけれど、上の大学生は毎日エッチをしているけれど、他の二つよりはマシだったかもしれない。

上京するということを決めてからも、東京に逃げるということと、そこに何かを期待している自分が恥ずかしかったので「大したことちゃうねんけど」という前置きをしたとしてもなかなかそれを親しい人達に言えなかった。でも小学生の頃から同級生だった近所の女の子にはもう会えない気がして、「東京行くねんけど会いませんか?」と連絡を送った。


その子とは、仲のいい友達という感じで接していたけれど、本当は小学校の時も、中学校の時も、高校に入って別の学校になってからも、その女の子のことが好きだったと後で気づいた。浪人してからもめんどくさかったと思うのだけどラインをずっと続けてくれていた。一度なんばハッチにクリープハイプのライブを一緒に観に行ったことがある。自由席の立ち見だったので、僕が一番後ろでウジウジしているともうちょっと前行こうと言って僕を引っ張ってくれたのを覚えている。生で見る尾崎世界観の顔はライトに照らされてよく見えなかったけど、そのあと一緒に食べたたこ焼きは、今まで食べたどんなたこ焼きよりも丸かった気がする。

「彼氏いるからご飯とかはいけへんけど散歩しよ」と言ってくれて、ちょっと落ち込んだあと、小学校の頃からよく遊んでいた団地の公園で会った。ずっとデカいと思っていた滑り台は大人になってから登ると大したことなくて、そこから見える景色は組体操のサボテンをしているときと変わらなかった。「もしかしたらもう一生会えへんかもしれへんから会いたかってん、なんか、なんか、あのちゃうねんけど、めっちゃたぶん外見とかな、褒められることあると思うねんけど、みんなそっちに目が行きがちやから、変な意味じゃなくて、なんか、でもおれはそこじゃなくて、いやそこもありきなのはわかってんねんけど、でもほんまに違くて、心の部分とか優しい部分とかめっちゃいいと思ってるねん、なんか勝手にやけど、おれが勝手に思ってるだけやねん。で、なんか、別にそんなんじゃないねんけど、でもあの、でもそれほほんまに思っててだからそのことだけ言いたかったねん。」とオブラートに包みすぎてもはや何を喋ってるのか分からない言葉を伝えると、その子は涙を流したあと「友達になれてほんまによかった。私にとっても特別な存在やし、なんかこれ卒業式みたいやな」と言って笑ってくれた。持っていくには重すぎるからと西加奈子の小説を何冊かあげて握手をして別れたあと、本当は1分で家まで帰れるのに『踊り場から愛を込めて』を全部聴き終わるまで39分散歩をして帰った。 

上京する当日、友人達が「送りたい!」と言ってくれていたが、いやちょっとそういう感じちゃうらしいわと変な誤魔化し方をして1人でバスに乗って1人で泣きそうな理由を夜行バスの座席の硬さのせいにした。

それから2年が経った。東京に来てからのことを書くにはまだもう少し時間がかかると思う。あまりにも色んなことがあった。いろんな人に出会ったし、いろんな人に助けてもらった。いろんなところに行ったし、いろんなことを話した。自分を犠牲にしても一生助けたいと思える好きな人ができた。僕の世界はその人を中心に回っていて、それは突然止まった。みんな何かを背負っていて可哀想だと思った。嫌われてもいいから伝えようと思った。僕が約束だと思っていたものが約束じゃなかった。いろんな人を裏切ったし色んな人に裏切られたし、様々な感謝を伝えて、それと同じくらい暴言を吐いた。人が人を殺して人が死んだ。影が2年前より伸びた気がするけどこれは気のせいか。

電話の中でスマートフォンを床に叩きつけて、僕よりも明らかにおかしい格好をした人に大丈夫ですか?と心配されたことがあるし、帰り道電柱を殴って次の日、利き手が使えなくて左手で蕎麦を食べたこともある。ストロングゼロロング缶を3缶を一気飲みしたあと川に行って飛び込もうとして朝の四時に河川敷で目が覚めたこともあるし、その何日後かに同じ川にマジで飛び込んだ元カノの髪の毛を泣きながら拭いたこともある。

僕は今、猛烈に死にたいと思っている。思っているがおそらくそんな簡単に死ねないのだろう。人は簡単に死ぬし殺す。でも死ねないだろう。生きてしまう。それはなんとなくわかる。また何かを期待してしまい、誰かに救いを求めてしまう。期待すればするだけ落ち込むのは分かっているから、味のしないまずい飯を食べてただ川を眺めてじっとしていればいいのだ。そしたら時間は過ぎていくから。メンヘラなお爺ちゃんやお婆ちゃんを見たことがないから。たぶん大丈夫になるのだと思う。僕に今できることはそれくらいだからそうしておけばいい。前向きな言葉をもらうと腹が立って、舌打ちをしたあと、そんな自分に嫌気がさしてまた凹む。

夢と現実の境目を彷徨い続け、気づいたらまた朝になっていた。喉が渇いて外に出る。ちょうどアパートをいつも掃除してくれているおばちゃんが居て、おはようございますと声をかけてくれる。僕は近くの自動販売機でお茶を2缶買って、その一缶をおばちゃんに渡す。おばちゃんはいつも「不治の病から救ってないですよ」とツッコミたくなるくらい僕に感謝を告げて、大切そうにお茶を飲む。僕もその隣でお茶を飲む。おばちゃんは「何もしてあげられないけどねーごめんねー」と言う。

僕は「もう充分してくれてますよ、みんな。もう充分してくれるんですよ。ほんまにありがたい。優しいな。こんな優しくしてくれてありがとう。ほんまに。誰のことも恨んでないですからね。勘違いしないでください。だからほんまはもっと強くならなあかんねん。僕がね。勘違いさせちゃうからな。みんなもう充分強いし、優しいからな。気を使わせちゃうし。でも僕はまだまだ出来てないですね。もう大人になったつもりやったねんけど、だから期待されたいし、期待に応えたいし、好きな人たちのこと救ってあげたいねんけど、でもいつの間にかどっかで自分の方が救われようとしてしまうから、だからよくないねんな。ほんまのこといっていいですか?嫌いな人にさえ好かれたいねん。でもそれは自分のわがままやからなーーーだからなみんなはそのままでいいねん。そのままで素敵やからな。みんな。嫌いな人もちょっとはおるけどな。でもあなたたちは大丈夫。大丈夫。ほんまにみんな充分してくれてますよ」と心の中で思う。

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