にやけ顔が好きだ
さて、勘違いしてもらっては困るが
笑顔とにやけ顔は全くの別物である。
それは、ホワイトシチューとインドカレーを一緒にしているようなものだし、あるいはコンバースのスニーカーと下駄を一緒にしているようなものである。あとマレーバクと猪、、クリリンと天津飯、、
僕が好きな人たちのことを思い浮かべた時
彼ら、彼女ら、はいつもにやけている。
にやけ顔には笑顔にはない魅力が溢れている。
もちろん笑顔にも良さはあるけれど、にやけ顔からは嘘を感じられない。信頼を感じることができる。だってにやけているんだから。
例えば別れ道の一方に笑顔が置かれていて、もう一方に、にやけ顔が置かれていたとする。僕は迷わずにやけ顔の方を選ぶだろう。
にやけ顔を見ると、その人から何かを許されたような気持ちになる。
許す 許される。何を?
今までの全てを。そんな気がする。
にやけ顔といってもいろんな種類がある。
笑顔に移りゆく一瞬のにやけであったり、
何かを期待しつつ永続的に続きそうなにやけ。
左頬が上がるにやけや、右頬が上がるにやけ。
ていうか"にやけ"という音と行為がマッチしすぎている。マッチしすぎて逆にキモイな。
それだけにやけ顔が好きだったら、理想とするにやけがあるのではないかと思われがちだが、そんなことはない。
にやけに優劣などつかぬ。
ただ、好きなシュチュエーションは存在する。
一番いいのは電車の中でにやけている人だ。
少し恥じらいを感じているが、にやけを止めることができない。これは紛れもないにやけ、真のにやけと言えよう。
ところで僕が死んだら、遺影は絶対にやけていて欲しい。
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