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持ち物がちょっと壊れていると嬉しい。

物が壊れる瞬間は悲しい。とても悲しい。

でも、自分の部屋を見渡せば壊れた物が沢山ある。

例えば

このフィルムカメラは電池の入れる部分の蓋がパカパカしてしまってガムテープで止めているし、



このタバコケースは蓋が完全に取れてしまって紙を輪ゴムで巻いて蓋にしている。



このアザーン時計も表面に致命的な傷が入っている。


その他にもボタンがひとつ押せなくなって、次のステージに一生進めないゲームボーイカラーや、バンドが切れてしまって腕につけることができない腕時計。

本来なら、それを見る度に悲しい気持ちになってもおかしくないはずだ。でも、何故かその壊れた部分を見ていると嬉しい気持ちになってくる。それは、完璧な状態であった時よりも嬉しい気持ちだ。おかしい。あんなに壊れた瞬間は悲しかったのに。

それは物の話だけではなく、友人関係や家族や思い出、自分やお前も全部だ。


壊れていった過去を思い出すのはもちろん悲しい。でも、同時にドクドクした何かを感じる。

それはまるで、割れたガラスの破片を集めているときに指を切ってしまった興奮に近い。自分の体内から出た液体であるはすが、自分では止めることができない。絆創膏を貼って、それを隠してもドクドクしたものが全部透けて見えてくる。


そういった感情を求めるあまり、時々ぜんぶ破壊したくなる時がある。


そのとき、もちろんフィルムカメラの電池はガムテープを突き破り大気圏を超え、月にいるうさぎの脳天を貫いているし、SNSのアカウントは全部消して、連絡先にいる知り合いも全員ブロックする。朝が来て周りのものが全部破壊されたことを確認して僕はにっこりして最後に自分が自分だと分からなくなるギリギリのところまで自分を破壊する。


__________僕は朦朧とする意識の中でここが何処かと考える。おそらく東京のワンルームだろう。いや、ぜんぶ破壊したんだった。とっくに境目など無くなっている。嬉しい。左手に何かがあたる。割れたガラスの破片だ。それを強く握りしめると手は切れてドクドクと血が流れてくる。僕はもっと嬉しくなってその割れたグラスに映る自分の表情を確認する。僕はボロボロと涙を流している。



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