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テイラー・スウィフト「Love Story」の歌詞がすごかった

 ひょんなことから年末のインターネット・カラオケ大会(※)が企画され、それにお招きいただいたので、何を歌おうかなあと考えながら日々を暮らしている。

※インターネット10年選手である旧称アルファ・ツイッタラーが集ってカラオケで歌いまくる会のこと。長年にわたって日々の出来事をおもしろおかしくインターネットに放流して遊んできた重鎮の集いであり、選曲や歌い方、ダンスにおいても至高のネタ性が求められる。

[要出典]

 それで、最近「アヴリル世代であった自分を克服したい」という謎のモチベーションから狂ったようにテイラー・スウィフトを聴いている私は、大会参加者にもこの入り組んだ文脈によるテイラー履修の成果を聴いてもらおうと、若い頃に流行っていた「Love Story」という曲を歌えるところまで持っていこうと画策した。行動選択のすべてが謎に満ちているが、これも私のアンチ・オイディプスなのだ。
 田舎者であった自分が通過したものすべてを愛しながらも憎んでいる私は、アヴリル・ラヴィーンの「Sk8er Boi」を聴きまくっていた中学時代の自分をそのまま穏やかに肯定することができない。「My Happy Ending」をカラオケで歌ってカタルシスを得ていた高校時代の自分がいやでしかたない。自分の送った青春のあとに流行っていた、よりおしゃれであるとの噂のテイラーを通り直すことで自分の過去を補修したいという欲望に駆られて仕方ないのだった。

 歌えるようになるためには歌詞を精査する必要がある。なんとなく聞き流していた時にはきちんと聴き取れておらず、(フーン、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』をポップミュージックに翻案するなんて、ちょっとイケてるじゃん……)(でもなんか女が男にSave meとか言ってて何……?)(そんでMerry meね……結局結婚かい、時代〜……)などと印象だけで受け取っていたのだが、繰り返し聴きつつ歌詞を精査してみて、びっくりした。本当に驚いた。全然そんな歌じゃなかったのだ。
 以下、何が歌われているかをざっくり翻案して文章にしたので、読んでください。歌詞の原文はインターネットで検索しろ。

 初めてあなたと出会った時、わたしたちは二人とも若かったね。
 あの日、目を閉じてふと思い出した。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のことを。
 夏の日だった、私はバルコニーにいて、光を見つめていた。パーティーのために正装でドレスアップした人々の輝きを。あなたは人混みをかき分けて、私に声をかけにきた。その時にはまったく気づかなかった、あなたが「私のロミオ」だったなんて。
 でも、数日後、あなたは小石を投げたよね、ロミオが夜更けにジュリエットを密かに訪ねる時みたいに、私の部屋の窓にコツンと当たるように。それで確信した。私はジュリエットで、あなたはロミオだったってこと。陶酔した。生まれ変わった愛だと思った。運命だと。
 パパはあなたのことを知って、わたしたちの関係を見咎めてあなたに言ったわ、「ジュリエットから離れろ」と(私の名前はジュリエットじゃないけど、そう書かせてね)。
 ねえ、あの悲劇と同じように。私は引き裂かれる悲しみに耐えかねて階段で泣きながらあなたに縋ったよね、「行かないで」。「私を、私たちがふたりきりでいられる場所に連れて行って。ふたりで逃げる日を待ってる。あなたは王子様になって、私がお姫様になる、そんなラブストーリーを待ってるの。ねえ、「そうしよう(Yes)」って言って、お願い」。私はあなたに、ロミオに恋をしていた。ロミオが私をジュリエットにしてくれるはずだった。ロミオであるあなたが、私のうんざりするような日々を変えてくれるはずだったのよ。
 パーティーのたびに、あなたにふたりで会いたくて、いつもこっそり忍んで庭に出て行った。あなたもそれに応じてくれた。わたしたちは人目を憚って、誰かにわたしたちの話し声が聞こえるとよくないからといって、ほとんど言葉も交わさなかったね。ただ、眼差しだけが近かった。すごくロマンティックだった。あなたのことが好きだった。苦しいほど、好きだった。
 ほんの少しの時間、この街から逃げ出して、名もない土地でふたりで過ごしたこともあったね。そのうちまたパパに見つかって、パパは相変わらず「娘から離れろ」とあなたを厳しく罵ったけど、とっくに私の心はすべてあなたのものだった。
 私が「行かないで」と縋ったら、ようやくあなたは私を拐ってくれて。そうして、ほんとうにふたりきりになれるところに連れてきてくれた。街から離れた、田舎の僻地。
 ここでふたりの暮らしを始めれば、わたしたちはようやくふたりきりで王子様とお姫様になれる。これこそがラブ・ストーリーの成就で、ねえ、そうでしょう? あなたは私を守ってくれて、私が何を思うべきか、私が何を感じるべきか、すべて教えてくれるんでしょう? この恋はとても難しいものだったけれど、シェイクスピアのように死を出口にするような美しいお伽噺じゃない。現実でしょう。現実。わたしたちは現実で、この恋をやっている。難しい状況すら、この離れ離れの状況すら、愛の力で乗り越えられるのだと、そう言ってよ。お願いだから言ってよ。「そうだよ」って、ねえ、言ってよ。
 なぜ言ってくれないの。いつ迎えにきてくれるの? いつになったら会えるの? もしかして、もう二度と会えない? 会いに来てくれないの?
 一人きり、知らない土地で過ごすだけの日々が過ぎて、次第にあなたを信じられなくなる。あなたがいないのに、来てくれないのに、一途にあなたを信じるなんてことはできない。あなたが私をここに連れてきて、辺境に連れてきて、駆け落ちでようやく成就すると思った恋はあなたの不在で何の幸いもなくて、私はずっと一人、ずっと一人でいるよ。あなたの言葉を、あなたの愛を、信頼できなくなるほどに、ずっと一人でいるよ。ねえ、どうしてあなたがいないの?

 すでに恋心も枯れ果てたある日、あなたがやってきた。ようやくあなたに会えた時、こう言った。
 「あなたは私を守ったつもりかもしれないけど、私はずっと孤独に暮らしてたよ。あなたをずっと待ってた。でも来なかったね。あなたは会いに来ると言って私をこの土地に置き去りにして、それからどれだけの月日が経ったかしら。時間は重い。私はすでに、あなたへの信頼をすっかり失ってるよ。もう、あなたが何を考えているのか、さっぱりわからなくなってしまった」
 そう言い切ったところで、彼は地面にひざまずいて、指輪の箱を開きながら言った。
 「結婚しよう、ジュリエット。二度と孤独な思いをさせないから。あなたを愛している、そして、それが僕のすべてだ。お父さんとも話をつけたよ。さあ、ウェディングドレスを選びに行こう。これはラブ・ストーリーだ。ジュリエット、「イエス」と言ってくれ」

 歌詞の上での物語はここで終わる。そうして、曲はこの一言で終わる。
 「私たちが出会った時、二人とも若かったんだよ」

 繰り返し聴いて、別れの歌だと気づいた時には衝撃を受けた。「baby just say "Yes"」、つまり「"Yes"と言って」と懇願するフレーズが短い歌詞のなかでこんなふうに多層的な意味を持って、こんなふうにラストに効いてくるとは思わなかった。広く歌姫として受け入れられているテイラー・スウィフトがこんなに皮肉に満ちた歌を歌っていることにびっくりした。世間は気づいているのだろうか、このブラック・ジョークに。これを幸福な恋愛成就の歌だと思っているのだとしたらとんでもねえなと思った。

 待たされて待たされて、何かしらの苦渋を舐めた女が「あなたをもう信用できない」と語るのをまったく無視して「(あなたは当然YESと言うはずだ、)結婚してくれ」と自己都合だけを正当化して口にする男に閉口する女の「ラブ・ストーリー」への絶望を描いた歌じゃないか、これは。
 「ラブ・ストーリー」というものへ耽溺していたことを「あの頃は若かった」と苦々しく語る歌なのではないか。おそらくこの曲を歓迎した世界はテイラーの渾身の皮肉を受け取れなかった。わざわざロミオとジュリエットを引き合いに出して、「ラブ・ストーリー」は成立し得ないのだと語っているのがこの歌だ。テイラーは「ラブ」が「ストーリー」として成り立たないことを嫌と言うほどわかっている。世間だけがまだ、「ラブ・ストーリー」を信じていて、テイラーのこの曲を結婚式のオープニングに使うのだろう。

 「あなたを信用できない」と女が語る時、それは「あなたをもう愛せない」という別離の宣告にほかならない。
 シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にはその不信感は描かれなかった。ジュリエットが服毒して死んだ時も、ロミオへの強い信頼と心中への陶酔がその決意を固めていたのだった。しかしテイラーの「Love Story」にはその神がかり的な(すなわち宗教による第三者=神の)存在がなく、あくまで恋人関係にある両者は『ロミジュリ』を参照するだけの現代人にすぎない。ロミジュリ的な恋愛に、ロミオとジュリエットが依拠した宗教的・家父長制的な舞台装置を得られなかった時に関係がどう瓦解するかを歌ったにすぎない。これは瓦解の歌なのだ。男の「Marry me」は女によって唾棄されたはずだ。
 この見方が正しいのだとしたら、曲調にも盛大な皮肉が効いている。すでに信用できなくなったその男が迎えにきて身勝手に「結婚してくれ」と跪く場面でサビのメロディは転調し、ドラムの助走とともに様式的な盛り上がりを迎える。心の冷め切った女を置いてきぼりにして、シーンだけは厳かに華やかになるのだ。

 もちろんこれは私の解釈にすぎず、もしかしたらテイラーは単純に「待ち侘びた男がようやく永遠の愛を誓った」という物語を描いているのかもしれない。美しい恋の果てに成就した愛について歌っているのかもしれない。でも、だとすれば「My faith in you was fading」なんて決定的なことを口にするだろうか。「I've been waited you with fully scare(不安で仕方なかった)」くらいにとどめるのではないか。「信頼(faith)」という言葉はとても強い。
 あまり表立って語られないようだが、実際のところ、恋愛関係においては「信頼」こそが基盤をなす。恋愛だけでなく、人間関係のすべてにおいて、関係において形成された「信頼」を互いに守ることが「共にある」ことだ。「あなたがそう言うなら」「あなたがそれを選択したのなら」を受け入れるだけの信用、信頼、理解、協働、共犯、癒着、奉献。

 テイラーの「Love Story」を聴き込んで初めて、愛における「信頼」の重要性に気づいた。この感動を書き付けたくて久しぶりにnoteを開いたのだった(noteには切実じゃないことも書いてよいとしている)。