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文学全集を読みますか?

 田舎の丘の上に聳え、築五十年を超えるやや鄙びた実家には、函入りの世界文学全集、日本文学全集、ノーベル文学賞をあつめた全集、それに書道全集もあった。書道全集は、定年後に書道の先生をしていた祖父が買い揃えた。文学全集の方は、老いてなおお嬢さんである祖母が。ドストエフスキー。カフカ。魯迅。オースティン。タゴール。ジョイス。森鴎外。島崎藤村。武者小路実篤。川端康成。それぞれの名前は箔で押され、彼らの生命を削って生まれた物語は立派な緋色の箱に収まり、日の当たらない応接間の艶やかな桐の本棚に、威風堂々、飾られてあった。そのような立派な本が家に揃っていることは、子供ながらに誇らしかった。
 わたしの家族親族の誰か一人でもその全集を読み通したかといえば、間違いなく誰も達成していない。挑んですらいないだろう。拾い読みはしたようだった。祖母はわたしに熱心にパールバックの『大地』を勧め、若いわたしはそれに素直に従った。同級生の友達まで巻き込んで読み通したが、死ぬほどつまらなかった。郷里の家を離れて大学に入った頃、祖母がそのパールバックを「自分の人生に重なるところがあるから」とわたしに読ませていたことを思い出して、祖母がわたしに対して抱く同化願望に胃液を吐いた。パールバックが何を書いていたかは全く覚えていないが、嫌悪感だけが残っている。

 文学に対する敬意、などという高尚なものを育むには、わたしの家ではわずかに教養が不足していた。上流階級への曖昧な憧れが文学全集を買わせ、ピアノを買わせ、200枚組のクラシックCDセットを買わせた。それらはあるだけでよかった。誰一人としてバッハを解する気はなかった。
 百姓であった母方の祖父の血縁には慎ましい生活を送れる人間が多かったらしく、親族の一部の質実な家庭には子供の教育に投資するだけの資産ができた。それで時折、突発的に学業の優等生が発生して、彼らは揚々と名のある大学に入った。その権威性に酔いしれた血族たちは、自身にも知性の可能性を見て、その誇りばかり磨いた。当時ブームメントでもあった全集を「知的な者の特権として」買い揃える。彼らにとって文学は、ただその特権性だけが価値だった。その特権的な所有が文学の価値だった。読んでもいない全集を呆然と眺めるわたしにとってもそうだったのだろう。

 わたしは本が好きではない子供だった。もともと落ち着きがなく、運動能力は高いが知能は低く、教科書以外の活字を追うのは苦手だった。文通相手になってくれた数歳年上の友人に感化されて夏目漱石などを読み始めたのは十四、五の頃だったが、それも血族の例に漏れず、見栄のポーズで読んでいたような憶えがある。読書ではなく、読書をする自分が賢そうで好きだった。新潮文庫で赤金色の装丁を施された谷崎潤一郎を読む自分が気に入っていただけで、読書家の友人にプレゼントされた内田百閒はどうにも渋くて読み通せなかった。谷崎の「猫と正造と二人のをんな」が好きだったが、『細雪』は厚いので読むに至らなかった。母が好んで買い集めていた北杜夫は女子高生にとってロマンティックじゃないから読まなかった。思春期の自意識から「普通の女の子」として存在したくないと思って買った村上龍のエッセイ集には普通じゃない女の子として存在する方法が書かれていなくてイラついて十頁で投げた。『塩狩峠』の読書感想文で自分のことだけを延々書いたら県から賞を貰って、ますます本を読むのが億劫になった。オシャレだろうと思って村上春樹を読んでいたら担任の国語教師に「エッチですねえ」と笑われて恥ずかしかった。当時好きだった他校の男子に勧められた構造主義についての新書を読んでいたら、担任じゃない国語教師にそういうものは受験が終わってから読めと咎められた。その女教師のことが好きな男のことよりも好きだったので、受験が終わるまで構造主義について読むのはやめた。女教師はかわりに授業でソシュールについて解説してくれた。哲学科出身だったのだ。受験が終わるまでは問題集や赤本の現代文だけが読んでいい文章だったので、楽しく読んだ。試験問題で問われていることは自明なことばかりで、なぜこんな簡単なことを問うてくるのだろうと不可解に思った。答えは全て文中にあって、そこに書かれてあることを取り出せばいいだけだった。頭を使う必要もないので、トランプの神経衰弱の上がりのタイムを競うようなやり方で熱心に素早く正解した。

 実家を出て東京の大学に入った。実学たる法学や経済学を学びたがるクラスメイトたちからはぐれて金曜五限の漱石論の授業を取ったが、テクスト分析は全然ロマンティックじゃなくて、頭の悪いわたしにはつまらなかった。授業で取り扱われていたのは、愛する『虞美人草』でも『三四郎』でもなく、漱石の文明論ばかりであった。漱石の文明論を通して日本社会を再批評するというのが教授の目論見であった。明治時代の言説を現代社会に投じてなにが新たにわかるというのか、私にはさっぱり理解不能だった。
 漱石論のわからなさは私のプライドを折ったが、とはいえ大学生なのであれば、より有名な古典を読めればそれでかっこいいだろうと思ってシェイクスピアを読み始めた。台詞のくどい言い回しと古い日本語の訳語に興奮した。内容はよくわからなかった。ハムレットが恨みのうちに死んだらしい。リア王もマクベスも恐怖のうちに死んだ。英国では全員が怯えながら死んでいく。
 シェイクスピアは総じて薄い。台詞ばかりということもあってすぐ読み通せた。さあ長編に挑戦しようと思い、厚さに怯えながらも見栄でドストエフスキーを買ってみたら文体が鬱陶しかったので二頁でやめた。
 やはり薄くなければと思い、カフカの『変身』に手をつけた。短いので読み通せたが何の話なのかよくわからなかった。虫が死んでいた。同じく薄いのでチェーホフを読んだ。「はつ恋」はタイトルが気に入った。ツルゲーネフの「初恋」と読み比べた。同じく薄いのでヘミングウェイの『老人と海』を読んだ。ばかみたいに感動した。海すっごい(湘南乃風)。日々ヘミングウェイを買い集め、ラムを家に置いた。大学同期の伊達男の家の書棚にスタンダールがあるのを見つけたので『赤と黒』を読んでみたら、ジュリアンの傲慢さはその伊達男によく似ていた。その家にはプルーストもあった。「花咲く乙女たちのかげに」という副題にときめいて手にとった。おもしろかったが、長すぎた。
 川端康成を敬愛する友達と話すために川端を読んだ。愛する芥川龍之介の作品と同じ題だなと思ってゴーゴリの『鼻』を読んだ。同じく芥川が「人生は一片の……にもしかない」と言っているのをみてボードレールを読んで、散文詩の簡潔さに膝を打った。『パリの憂愁』の「二重の部屋」を己に重ねて友人に笑われた。先輩に勧められたジッドはクソだった。映画の原作だと知ってマンを手にとった。
 立派なものをたくさん読んだ気になっていた。家を出て、自分で見つけた立派なものをたくさん読んでいるのだと。

 二年後の夏に実家に帰って応接間にキャリーケースを置き、ふとそこに聳える本棚に目をやった。
 全部実家にあった。してやられたと思った。