逆光

 一時間も二時間も続けてキスをしていたのでその夕方には唇が爛れていた。
 赤く痛々しく泡立った下唇のふちを撫でて、上唇の右の爛れもそっと撫でて、「爛れるようなキス」なんて比喩のはずだったのにと失笑する。

 夜になって、帰宅してきた同居人がミュージカル映画を観ようというので『雨に唄えば』を流す。ロココ調のかつらを被った女優と男優が熱烈なキスを交わしていた。
 「キスしたいってどういう感情なんだろうね」
 青いビールを傾けている同居人に話しかけると、「それさあ、ホントわからないよね」と素っ頓狂な声を上げるので安心する。
 「このあいだ僕たちはキスをしたけれど、あれは親愛の情だったような気がするし、それ以外の何かも含まれていたかもしれないし」、と私をまっすぐ見つめて笑う同居人。
 無意味だ。そのとぼけた返事に安堵して視線を映画に戻す。
 何度も観ているのでだいたいのシーンを覚えている。同居人は同じものを何度も見ることを楽しめるタイプで、つまり同じものを何度も見ることに縋っているタイプだった。私は、既知であるそれらのシーンを眼差しながら、その映画を見ていない。

 昼下がりらしい距離で黙ったまま、目が合い続けている。
 ほとんど真顔で見つめあっているが、どちらともなく時折ふっとほころんで微笑するのだった。微笑を交わしてもなお黙ったまま互いに目を反らさず、呼吸以外に音もなく、膝に触れようともせず、時間が止まったようになる。
 何分がたったのかわからない。指先に痺れがきざす。それでも目を逸らさない。硬い髪の先が光る。直線的な顎を目でなぞる。両眼に幅の不均等な二重が見える。瞬きの速度が見える。意外と浅い呼吸。結ばれた薄い唇。色の低い唇。薄い眉。睫毛のまばらに生える様。白目の青さ。

 ようやく口を開いたかと思ったら目を閉じて「可愛い」と呟くので面食らった。この緊張におよそ似つかわしくない発語にうろたえた。あまりにゆるんだ語彙に当惑した。
 「可愛いって、どういう感情ですか」と訊ねる。
 「このまま何時間でもずっと見ていたいような気持ちのこと」とその人が述べる。
 なおさらわからない。
 そういうのはもっと、見応えのある、気の遠くなるような手業が込められた香炉や見事に編まれた籐の椅子のような、繊細な工芸品などにたいして言うせりふではないのか。
 私は黙ってしまう。どうか見ないで。粗野な私はそれに耐えない。

 三枚もあった全身鏡を一週間で立て続けに割ってしまい、残るは浴室の備え付けと、化粧のために顔だけを映す小さなものしか残っていない。鏡の数がぐんと減って、自分が人からどのように見えているのかを確認する機会を失している。
 「何時間でも見ていたい」と、午後二時の逆光のもとで言われた自分がどんな姿をしているのかわからなくて怖い。その人が帰っていった部屋の夕闇に一人立ち尽くす。外は紫色をしている。紫色と灰色が空に迫っている。
 発作的に財布をつかんで駅へ走った。地下への階段を駆け下りると改札の向こう側に証明写真機が静かに光っている。

 同居人が口癖のように言う「かわいい」は、「女の子のようにかわいい」であり「タップダンスのようにかわいい」の「かわいい」だったので気にもしなかった。それは女たちの言う「かわいい」と変わらない。
 大人であったかつての恋人達の「かわいい」が湛えていたのは慈愛だった。あれは「かわいいから大丈夫だよ」であった。そのとき私は守られた。その「大丈夫」によって保護された。頑強なシールドを与えられて、あれらの「かわいい」はあれからずっと私を守っている。
 あるいは、私に少し怯えた目を向けた者どもの「かわいい」は「かわいいと宣べることで自分の掌のうちに計り知れぬ恐ろしさをもつこの人を収めよう」という意味のかわいいだった。あの怯えを孕んだ「かわいい」ほど私を苛立たせるものもそうない。殺意を向けるのみであった。優位に立ち屈服させようとして社会的な構造を利用する卑しさ、かれらはそれに自覚的ですらなかった。力量の差を読めない者は愛に見せかけた暴力を仕掛けてくるものだ。まるで断末魔のように引き攣った顔で「かわいい」と言う。私は今にも殴りたい気分になる。踏みこえる資格があるとでも?  その呪文が私を虐げることを私が許すとでも?

 「このまま何時間でもずっと見ていたい」という「可愛い」の真意を汲むことに二の足を踏んでいる。それは破壊であった。私に怯えないだけの十分な余裕をもつあの人だけが、私へ向けて「かわいい」を使っていいのだと、腹を括っていたはずなのだが、——腹を括っていたはずなのだが。
 後ずさりする。私はもう大人であり、影を切り離して新たな光に飛び込んでも背後にまた新たな影ができるばかりなのだと知っているから。

 証明写真機の厚いカーテンを乱暴にめくって、低すぎる椅子に座り込んだ。色を与えるためだけに口紅を雑に塗り、髪を耳にかけ、液晶画面を押してスタンダードの写りを選ぶ。履歴書用を選ぶ。料金を投入する。千円札からのお釣りを受け取る。顎を引けと指示される。青い線に顔の中心を合わせろと指示される。そのすべてに従って、3、2、1の音声案内に反応して私の目は少し見開かれる。

 機械から退出して十秒もしないうちに私の顔が六枚印刷されたぴかぴかの紙が機械から排出された。見ると、まるでこの世の歪さをかき集めて泥団子のようにこねて丸め、それらしく固めたものを目の位置鼻の位置口の位置においたかのようなみっともない顔がそこに写っていた。

 ますますわからない、と思う。わかりたくないと思う。こんな滑稽なものを「愛す可き」と宣べるその深いところが私にはわからない。「何時間でも見ていたい」と口走るその深いところが私にはわからない。
 わからないふりをしていなければ危険なのだと直観が告げるところにしかもう逃げ場がない。
 もう逃げ場がないのだ。
 指先が下唇のふちの爛れに触れると乾きはじめて瘡蓋を成しつつあった。その周りは依然として熱を帯びてヒリヒリと痛み、新たな傷を予感させる。

 写真機の傍に呆然と立ち尽くしていると、電車から降りてきて私のすがたを認めた同居人が手を振りながら駆け寄った。「何をしているの」と不思議そうに笑うので、醜い写真を後ろ手に「お迎えです」と嘘をつく。笑うと唇が痛んだ。