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けれちゃんの癇癪 その3

 靄がかかったように向こう側が見えない。私は立ち尽くす。
 行き止まりを思考で越えられない。靄の向こうにはまだ続きの景色があるように思われてやまないのに、どうしてもそこに届かない。私のつたない知性はこの靄を突破する術を持たない。何かあるのに。見えない向こうに何かがあるとわかるのに、そこに到ることができない。

 毎日、何かにつけてこの靄にさいなまれる。わからないことばかりだ。掻いても掻いても霧を払えない。この靄を突破するために書き続ける。わかっていることを書くのではない。書いて、書かれたことをわかるのだ。書かれたことのみがわかりうることで、感じているだけのことはわからない。書くことによって書かれたものに導かれるかたちで私は私を規定する。私は私の考えを、私の思いを、私の感情を書いて規定する。書かれたものを読み返すことで、自分が何者であるのかを知る。自分が何を考えているのかを知る。
 書くことで靄が晴れることもあれば、書いても書いても晴れず、四方を真っ白の霧に囲まれたままうろうろと彷徨い続けることもある。長いこと彷徨い続けている。おそらく、単線的な思考で解決できないほど、問題が複雑に入り組んでいるのだろう。私は構造化の術をもっていない。単線的に書き連ねることでたまたま「かたち」が現れて構造をなすことはあるが、それは恩寵にすぎない。愚者が無垢とも無謀ともいえる信心深い愚直さで巡礼を続け、天啓を得る日を待つ白痴性に私は溺れている。

 ……また、手を引かれた。靄の向こうから、私の手をとって引く者があった。引かれて真っ白な霧の中を抜けるとそこにいるのは再びあなたであった。一度前も二度前も三度前もあなたであった。私の抜けられない靄をやすやすと潜り抜けて、向こうから手を引く人。私はこの左手をどうすべきかわからないまま、だらりと手の甲をあなたに向けて垂らす。この血管の浮いた甲をどうにでもしてくれていいと言うように。

 「あなたのその、修行者のような在り方にわたしはいつも慄きます。」彼女がため息をつく。「あなたの人生には平たい道はなくて、いつでもより高くへと歩みを進めようとする登攀しかないみたい。そのエネルギーのなかに見える激しい飢渇感が、わたしを驚かせ、戦かせもするのだと思う。」いいえ、これはそんなに尊いものではありません。羽虫がわけもわからず光にむかって飛び寄る走光性、光を発するその炎にわけもわからぬまま飛び込んで焼け死ぬ、そういう愚かさに過ぎないのです。あなたのような人がそうやって目を細めるには価しない、胡乱な行為に過ぎないのです。
 でも、ありがとう。彼女が眩しそうに私を見つめるその目に、彼女が私にずっと寄り添ってくれていることに、どれほど勇気をもらったか。私にとってもあなたは眩しい。純潔とはあなたのことだ。潔白とはあなたのことだ。高貴とはあなたのことだ。

 誰かの説く正しさのことはよくわからない。ただ、この靄を晴らす一縷の糸を摑むことだけが、私にとっての唯一の正しさで、望みで、救いで、生き続ける意味なのだ。あなたやあなたやあなたにわかるわけがない。理解可能なように矮小化してわかったふりをするのはやめてくれ。くだらない精神分析ごっこも勘弁してくれ。理解してくれだなんて私は一度でも言っただろうか。わかってほしいなんて私は一度でも言っただろうか。あなたが脆弱なやりかたで定義する私は私ではない。

 私が何のために何を書いているのか、絶対に誰にもわからない。