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けれちゃんの癇癪 その2

 改行したくないのだと叫んだとき、現代詩は改行しなくていいんだよとあなたは言った。改行せずに書き綴られたあなたの夥しい言葉は詩句と呼ばれるだろう、とあなたは言った。そうなのか。この悠々と連なる言葉の山脈、山のあなた、この改行しえない私の言葉の群を、もしかすると詩という形式に引き受けてもらえるのかもしれない。私は初めて居場所を見つけられるのかもしれない。あなたがそう言うならば、本当にそうなのかもしれない。図書室に走り、改行しない詩を読んだ。こんな、この程度のもの、この程度の低いものが詩だというなら、私の言葉は詩にすらならないだろうと憤った。私は詩に憤り、それから私に憤った。それが終わりだった。すべての終わりだった。私は詩にすらなれないのだと思った。私は、私の選んだ言葉たちは、何にもなれないのだと。きっと誰にも届かないのだと。

 遠い。あらゆるものが遠すぎる。どうして接近するのがこれほど難しいのかわからない。人類の叡智を総動員しているのに。そろそろ言葉遊びはやめにして、本当のことだけを話してくれないか。真理という言葉も、秘密という言葉も、核心という言葉も、すべて「それ」を名指せていない。神もまたそれとは異なる存在で、「それ」のために作られた外部だ。歌の音色のほうがまだ近いように思う。人が歌うことで響きわたる音の波のほうがその何かに近いように思う。知らない言語が聖典を朗誦する音を聴かせてもらった。そのなかで歌われているのだろう神よりも、人が異様な高い音で唱える声、今聴こえているこの音の方がきっと「それ」に近いのだろうと、私は目を閉じたまま思う。

 生きる理由はわからない。理由はなくとも意味はある。

 私の人生だ。丁寧に丁寧に眼差したいのに、出来事に圧されて流されてゆく。出来事は洪水のように降り注ぎ、私を押し流し、現実は残酷ね、現実は濁流ね、現実は人に土地を耕す暇さえ与えない、押し流す、押し流す、押し流す、私は捉えたい、あの花の美しさを、あの風の心地よさを、あの足取りを、あなたの体から少しだけぬけ落ちた速度を、あの夜の思いがけない豪雨を、あの折り畳み傘の狭さを、肌寒さを、あの沈黙を与えあった時間を、あの許し合う膝を、街灯を、あの森を、水車を、柔らかい指を、硬い毛のざらつきを、頰を、額を、声を、呼吸を、透明の汗を、熱い空気を、浅い眠りを、私はすべてを、すべてを覚えておきたいのに、現実は残酷だ、時間は押し流す、時間は搔き消す、私は、私は生きているだけですべてすべてを忘れてしまう。私は生きているだけですべてを過去にしてしまう。私は、生きているだけで、あのとき確かにあった愛を、


 静かな夜、吊るされたバスタオルを眺めている。ぴくりとも動かない。
 私は色とりどりの付箋を貼りつけながら、頑なに未来について考えることを拒む。過去について考えることを拒む。時間に抱かれることを拒む。時間に抱かれて自由を失うことを拒み続ける。できないとわかっていても、抵抗を試みるのをやめない。

 時計を見たら時間がたっていて、自分の思想に世界のほうを融通するのは難しいのだと初めて気づいた。融通できると思っていた。融通できていると思い込んで生きてきた。私の眉は片方だけが凛々しくて、私と私のあいだを彷徨っているこの顔は世界に居場所をみつけられない。私だけのいるこの空間でのみ許される。いびつな空間。ベッドがあること以外、何も説明できない。そこで行なわれてきたあらゆる残酷な行為。たくさんの滲みが滲む。

 文章が書けなくなった。何も書けない。理由はわかっている。私にはもう言葉を誰かに届けようとするだけのエネルギーがない。あなたに何かを届けたいと思うだけの生命力がない。人を信じることができない。あなたの理解を求めたいとすら思えない。どうせ理解できやしない。あなたではだめだと試す前からわかる。とても寂しい。寂しくて寂しくて余白になってしまいそうだ。言葉にまで見放されてしまったら私は何を支えに私であれるのかわからないのに言葉にまで見放されてしまった。

 神話を書きたい。誰にも見せない神話を書いて、深く眠る。それ以外のことはもう何もしたくない。