死ねない女の子たち、30歳くらいの

寝過ごした!と思って大慌てで起きたらまだ六時だった。
月曜の午前を台無しにしてくれるはずだった台風が東京からはとっくに立ち去って、窓の外が白く明るい。
ふざけんな、と声に出してみる。期待していたのに。ぬか喜びさせやがって。ふざけんなよ。社会生活を台無しにしてほしかったのに。ばか。ばかー。

シャワーを浴びて出社の身支度。顔面にパックシートを貼り付けてきびきび動く。ストッキングを穿く。髪を雑にブローする。夜になんとなく作ったまま食べる気がせず、ボウルのまま薄暗い台所に放置していたパクチーのサラダを発見。お昼ごはんにしようと思ってタッパーに詰めていたら、漫画の中で死んじゃった女の人のことを思い出した。

『サプリ』の終盤で、広告代理店でバリバリ働いている女の子で、28歳か29歳で、よく稼いでいる。美容師の卵の彼氏と暮らしていて、彼氏はヒモで、そのヒモには明らかに浮気の気配があって、問い詰めたら出ていっちゃって、その子は興信所に頼んで彼を探していたんだけど、そしたら浮気のことだけじゃなくて、彼女に話していた経歴とか勤務先もみんな詐称だった。彼女のバリバリという働き方はサクサク切り捨てていくことで保たれるバリバリで、執着とかスキとかキライとか情熱とかは非効率的だからって、仕事はもちろん無駄をサクサク省き、プランをサクサク進め、生活でも「迷ったらこの水」とかって決まっていて、すごく効果的に回しているんだけど、嬉しいとか嫌だとかの引っ掛かりがなくてつるんとしちゃって、だからきっと彼氏のことは唯一の引っ掛かりだったんだけど、唯一そこに引っ掛かって生きていられたんだけど、それが全部ウソだった。彼女はすごく落ち込んで、会社をしばらく休んで、でもその後ちゃんと回復して仕事に復帰して、元通りバリバリ上手に仕事を回して、そんなふうにしばらく働いてから、急に首を吊って死んじゃった。

初めて『サプリ』を読んだ時、わたしはまだ21歳とかで、28歳とか29歳の女性は女の子じゃなくて女の人で、大人の女の人がそんなことで死んじゃうのってよくわかんなくて、だって死んじゃうのって子どもみたい。そんな、死んじゃうほどのことなの? って感じで、正直全然理解できなかった。まあ、男の人のことで死んじゃうこともあるのかもな。でもそれってさすがに弱すぎない? なんて思って。
でも、今27歳で、28、9歳の女性なんか普通に女の子に見えて、もちろんそれはわたしが社会的に未熟で幼稚だから人を評価するのにそういう内面的なところを見る割合が大きすぎるせいかもしれないけれど、でも30歳くらいの女の人たちの弱弱しい部分、心の柔らかい部分のことがよーく見えてしまって、みんなそれを抱えきれていないのがなんだか頼りなくって、この年齢になってかえってそんなことばっかりがどんどん目に入るようになってきた。この子たち、この女の子たち、死にうるな、と思うようになった。ぜんぜん、死んじゃうよな。引っ掛かりがなくなっちゃえば、すぐにでも死にうる。

子どもの頃は多分、自分のことがわかんなくて、ぐるぐるになって癇癪を起こしてそれが存在を破裂させちゃって死んじゃうんだけど、大人になると、しぼんで死ぬっていうか。しぼんで、なくなっちゃうと、死ぬ。
なくなっちゃわないように、いろんな固くて強いものを取り込んで内側から支えるんだけど、その固い強いものたちだってなくなっちゃうときはなくなっちゃうので、普通に死にうる。親への責任とか、社会的価値とか、義務とか、目標とか。友達とか。なくなれば死ぬし、なくなりうる。

わたしだっていい大人で、想像力もあって、わたしが死んだらすごく泣くだろう人たちのことを考えると死ねないけど、それさえ考えられなくなったらもしかしたら死んじゃうかもしれない。
死ぬって具体的にどうすればいいかわかんないし、多分死ぬ方法についていろいろ考えているうちに肉体が怖がって引き止めて死ぬのをやめちゃうんだろうけど、それでも、自分を支えるものなんか簡単になくなっちゃうんだ。どうしようもなく。だから次々と新しいものを欲しがるのかもしれない、生き延びるために、生き永らえるために、自分を支えるものと巡り合い続けるために。

このところ、生きるために生活をしていなければならないのが本当に嫌で嫌で仕方なくて、どうしてそんな退行的イヤイヤに占拠されているのかすらわからないけれど(こうなる以前はもっともっと建設的に生活を設計してそれに向かって実践的に邁進していた。大人っぽかったと思う)。存在にガタがきていて、自分の抱えていくことになる痛みや苦しみや孤独が確定してきて、それらを抱えたまま生きていくしんどさが予想できて、考えるだけでどっと背中に重いものが乗る。そういう痛みや苦しみや孤独を甘受してまで敢えて生きていくことで世界が見せてくれる素晴らしさ、みたいなものをもう信用できなくて、だってもうだいたい知ってる。だいたいわかった。世界の素晴らしさとかいうやつのこと、すでにすごくたくさん知っていて、まあいろいろな素晴らしさがあるよね。でも、それらがどんなに圧倒的で奇跡的で独占的で卓越して美的であっても、それを享受するためにこの辛い気持ちを我慢したいかというと、それほどではないとか思ってしまって、それどころか、できればもう全部放り出してベッドで横になって朽ちていきたい。なのに肉体が生きることを強く強く要請するから、その叫びに抗えなくて、もうウンザリだ。何もせずに飢え死ぬまでベッドに横たわってい続けようとか思っていたのに、喉が渇くとかお腹が空くとかで結局のっそりと起き上がってしまう。喉を潤すための水とかお腹を満たすための食料を手に入れようと思ったらこの社会ではどうしてもお金が必要になってしまって、肉体の原始的な要請に半永久的に応え続けるためには社会的なお金が必要だから、やっぱり今の仕事をないがしろにはできないと結論づける他に手立てはなくて、だから朝起きてシャワーを浴びてブローしてパックしてストッキングを履いてパンプスを適当に選んで出かける。
おめおめと生きさせられてしまって、社会生活を営まさせられてしまって、やっぱり死ねない。何か支えが一つなくなるだけで簡単に死にうるけど、同時に、何もなくならないままなら本当にどうしようもなく死ねない。もうどうしても肉体が死なせてくれやしない。

そんなこんなで営んでいる社会生活を台無しにしてくれる台風がわたしに瞬間的なカタルシスをもたらしてくれるはずだったのに、朝起きたら晴れていた。お腹は空いていなかったけれど、キウイを二つに割って三つ食べた。四つめも食べたくなったけれど時間がなかったのでやめた。晴れにムカつきながらも賤しく肉体を満たして生き永らえ、あまつさえキウイを美味しがって、もっと食べたいなどと性欲じみた食欲を出している自分に無性に腹が立って、でもそういう怒りのこともすぐに諦めた。時間がなかったから。家を出るまでに、会社、休んじゃおうかなあって三回くらい思った。思いながらも身支度の手を休めなかった。家を出るべき時刻まであと五分しかなかったから。矛盾に引き裂かれてぐちゃぐちゃの心を、肉体が一つに纏めてやまない。破裂を許さない。

30歳くらいの女の子たち、みんな死んじゃいうるけど、できれば死なないでほしいとは思ってる。みんな死んじゃったらわたしも死んじゃう。あなたがたはわたしの内側でわたしの生を支える固くて強い物なので。わたしは死なせてほしいけど、でもみんなには死なないでほしいこの身勝手な気持ちはなんなんだろう。世界の素晴らしさを知っているせいなのか。
生きることは素晴らしい。他人事なら。人生を生きてほしい。他人には。生きる姿の美しさや、生きることで得られる物ものの素晴らしさをいくらでも言い募れるから聞いてほしい。そして生き永らえてほしい。わたしは、自分自身のことはもういやだけど、それでもどうせ他人から見たらわたしの人生も素晴らしいんだろう。他人事ならば人生は素晴らしいので。他人として自分を生きたい。

自分を自分として生きるための強度が足りない。もういやだ。もういやだーっ。死にたいけど死ねない。どーーしても死ねない。死ねないから強度を増すしかないんだけど、そういう鍛錬が本当にしんどい。背中にどっと重さが乗る。強くなるまでの道程の果てしなさがありありとわかるので、じっとりと湿った重たい岩を背負うような気分になる。そういう気分で常に暮らしているのは辛い。逃げたい。逃げられない。しんどい。しんどくて死にたいのに死ねないのがすごくいやだ。自分の意に反する自分にむしゃくしゃする。ばかやろう。畜生。せめて台風で社会を壊滅くらいさせてくれよ。自分のせいじゃなく、自分は安全なまま、すべてが台無しになる幸福な夢を見せてくれ。たのむよ神様。さもなくば一刻も早く地球を滅亡させてくれ。わたしはもう泣きたくない。