楽園の植物人間

「爪の中が黒いね」
今朝がた四時過ぎ街路のまだみどり色の紫陽花を根から掘り起こして持ち去ろうと車道脇の花壇の土を掘っていたのが、シャワーを浴びてもちゃんと落ちなかったらしい。雨の日曜なので庭園に出かける予定を諦めて私の住まう部屋に長靴でやってきた男が長靴を脱いで部屋に上がり、私の座っていたソファの空いていた右に座ってしばらく黙ってくれていたが退屈にでもなったのかもてなしもせず膝を抱えて一人茶を飲む私を眺めてそんなことを言う。大きくも小さくもないテレビ画面にはヒトラー役の小男の神妙そうな顔が戦時中の東欧らしい抑えた色調で映し出されている。

結局紫陽花は意外と地深くまで根を張っていたため(もしかしたらアスファルトまで割って伸びているんじゃないかあの太い根)手でせっせと土を掻いていた私は午前五時らしい薄白い空に気負けしてしまいすごすご花壇を後にした。飲み明かした人間を迎えに都心へ向かう幾台かのタクシーたちは道路を走っても明けの薄闇にまぎれる私を発見しない様子だったが、ぼちぼちバスが現れる頃だろう。バスの運転手は目ざといから私を見逃さないだろう。排気ガスに満ちた街路に植わるだけあって紫陽花は強かった。あの街路には薔薇が植わっている花壇もあり、その薔薇のほうも手入れもされないのにぐんぐん伸びて私の背丈の一・五倍は高いところに大輪の花を山ほど咲かせている。花が可憐だなんてのは嘘だ。大きくて激しい。喰われそうで恐ろしい。街路を通るたびに輝く大輪のピンク色に怯んで身が竦む。

「これは、今朝靴を磨いたついでに、その他所有する革という革にクリームを塗りまして。興が乗って靴には色を足してやったら慣れなくてこのざま、汚くてすみませんね」
「君でも靴の手入れなんてするんだね」
「私も靴の手入れくらいします」
「革靴なんて持っていたのか」
「二足ですが持ちます。私にも正装する機会があるので」
ようやく初めての会話を交わすが男が私の爪の黒さに嫌悪をおぼえているのではないことが声色で判ってよかった。安堵すると男にも茶を淹れてやろうという気がおこった。わざわざ長靴を履いてまで私に会いに来た男に茶の一つも出さないのでは男がすたる。

私は淹れた茶を手渡し男の手の爪をじっと見る。男の手の爪がやたらと清潔なのはこの男がしょっちゅう石鹸で手を洗っているからだと私は知っている。この男は一時間おきに手を石鹸で洗うため私が手を握ってきた誰よりも手が乾燥していて、その硬く乾いているのに人間の体温が熱い男の手のめずらしい手触りが私は好きだった。男の妻はハンドクリームを塗るよう指示するそうだが私はその付け焼刃を強制する女の神経が解らない。きっと男の妻は夫である男の手を自分の手のように労わり慈しんでいるのだろうが、もしかしたらそうではなくて男の硬く乾いた手のざらついた感触が自分の肌を這うのが好きではないのかもしれない。妻の指示を無視して硬く乾いた手をそのままにしてある男が何を考えてそうしているかもまた解らないところではあるが、私は男の手の動物らしからぬ枯れ果てた落葉か打ち上げられた珊瑚の死骸か建材とするためによく乾燥を施された木の肌のような感触が気に入っているので男が手入れを行なわないこととその手を好きに触る権利とに感謝した。

紫陽花を引き抜いて自室に飼おうと思った。理由は知らない。土はまだ用意していないが以前男に貰って枯らしてしまった観葉植物の中身だけ捨てた空の植木鉢が部屋の片隅に打ち棄ててあった。鉢はくすんだ緑色と灰色の中間色に焼かれた陶器で出来ており大きかった。処分するのは面倒だったがどうせ観葉植物を買い直してもまた枯らすのが目に見えていたので目を遣らず押し黙っていることにしてから早三年が経過していた。まだ青色とか紫色とか赤紫色とかに染まっていない紫陽花を引き抜いて自室に飼えばきっと大きく恐ろしく激しく育ちはしないだろうと思った。未成熟の紫陽花をあの地面から引き抜きたかった。まだその葉よりもやや白っぽいみどり色の花しかつけていないしとやかな雰囲気の小さな紫陽花が自室で育てば何色になったって別に怖くはないだろうと思った。室内の紫陽花は大量の排気ガスに負けない激しさを帯びて大きく育ちすぎることもなく普通の程度の花毬となり私はきっとその愛玩可能な私の紫陽花を愛でるだろうとうっとり想像して勇み立ちまだ朝とも呼べぬ暗い表に飛び出したわけだが、いざ引き抜こうとするとすでに根は地中深く張り巡り、おそらくあんな街路の柔な花壇などとっくに破ってアスファルトも割って何メートルも深く深く掘り進んでいる。そうして一歩もそこを動かぬくせに季節が来れば土の色にその身を任せて青色とか紫色とか赤紫色とかに花弁を染めて、土の色に身を任せて染め上っているくせに私の顔より大きな花を咲かせて私を怯えさせる。激しく排気ガスに抵抗しながら街路でバスが傍を通るたび揺らめくのだ。どうしてそうも獰猛なのだろう。植物は獰猛で圧倒的で植物は我々をいともたやすく呑み込むのだということを、街路に木々や花々を植えようなどと軽率なことを思いつくような自堕落な人間達は知らない。植物は重力など知らず天高く生い茂って家をも呑み込む。家を呑みこまれた我々は植物の栄養として生きるほかなくなる。

人と暮らすことは美しいことだと男は言う。一時間おきに石鹸で手を洗う男が人と暮らすことは美しいことなのだと、あの時枯れた観葉植物を見ながら男は男がくれた観葉植物を枯らしてしまった私にそう言った。人と暮らすことがそんなに美しいことなら尚更私は無性愛の人間としか暮らしたくない。観葉植物は一本きりで弱々しく全く怖くなかった。私は無性愛の人間と暮らして身を任せることなく染め上ることなく誰を栄養とすることもなく誰の日光を奪うことも無く何が通過しても揺れず、ハンドクリームを手渡され塗るよう指示されることなく暮らしていきたい。それの何が美しいのか私には分からないがどうせ男にだって私が何に怯えているのか分からないのだからそれはそれでいいのだろう。

「君が僕の手を好きだということを僕は知っているので、そうやってまじまじ見られても一向に構わないが」
「私見ていましたか、すみません」
「構わないよ。座ればいいのにと思って」
「手を好きだとなぜ知っているのですか」
「僕も君の目が好きでよく見ているから」

わかりたくない。人と暮らすことがそんなに美しいことなら尚更私は無性愛の人間としか暮らしたくない。