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はじめに光ありき

天気の安定しない五月初旬。
朝食の約束をとりつけて、久しぶりに透子さんに会った。

二年ほど会わないうちに、透子さんはお母さんになっていた。SNSを見ているからあまり久しぶりという気もしなかったけれど、そういえば私は彼女のお腹が大きくなっているところすら見ていない。
気がついたら透子さんは一歳児のお母さんになっていて、お母さんになっていたけど、にっこり微笑んでまっすぐこちらを見つめながらすらすらと話す様子は、ずっと前から私が知っていた透子さんに違いなかった。
透子さんは理路整然とすらすら話す。私はいつも圧倒され、納得する。

お母さんになっても、透子さんは透子さんのまま、透子さんとして、二年ぶん変化していた。
二年前に会った時はどこかあやうい浮遊感をたたえていた彼女の顔から靄が晴れたように見える。
すらすらと澱みなく断定形で話す透子さんは、言葉をまだ話さない彼女の子と、きちんとコミュニケーションをとっていた。
驚くべき光景だ。言葉なしに通じ合うということについて、私には一切なにもわからない。
席についた途端にぐずって大きく泣きだしてしまった子を、机上の食事もそのままに立ち上がってあやしながら、透子さんは「ずっと一緒にいたら感情がわかるものだよ」と笑う。
どうして泣いているんだろう、とおろおろするばかりの私も、眠いねえ、と笑って話しかける透子さんを見上げているうちに少し安心してしまう。


何年か前、透子さんに私のふわふわした生き方を叱咤されたことがある。
ことがある、というか、いつも叱咤されている。それは土曜の深夜の西新宿のプロントだったり、日曜のお昼の新宿御苑だったり、火曜の夜の外苑前だったりする。
私が「たぶん」と不安がり、「かもしれない」と濁し、「と思う」と曖昧に締めくくるのとは対照的に、透子さんは断定形でものを語る。語尾の「です」は「である」の丁寧語だ。
「あのね、そういう男が人を幸せにする能力を持っているわけがないんですよ」と、いつもの整った笑顔で私に言い聞かせる。
「大切なのはどの望みを叶えるか、そのために何を捨てるかですよ」とにっこり微笑んで諭す。
私はそのたびに「そっかあ」としょぼくれる。私のほうが歳上といっても、一年しか違わなければこんなものだ。透子さんは非常に大人びている。

語気が強いとかではない。彼女は語ることに対する責任感が強いので、断定できることを慎重に選んで話す。自分の感情や意思についても、断定できる形になってから口にする。
潔くて、頼もしくて、誠実で、かっこよくて、けれど時々、繊細なつくりの美しい精密機械を見ているような不安に駆られた。展示ケースのむこうの精巧な壁掛け時計を眺めるときの、あのどうしようもない心細さ。


子を抱いている透子さんは、相変わらず理路整然と断定する。
でも、なんだかとても嬉しそうに断定する。きっと張り詰めて、これしかないからこれで断定するのだ、といった以前の話しぶりとは違う。これは、この現実は、あるがままにこうなのだ。そんなふうに断定する。

「あなたみたいな人ほど、子をもったらとても楽しいと思いますよ。子どもといるとね、世界の解像度がぐんと上がるの」

泣く子をあやしながら微笑む透子さんを見上げて続きを待つ。
彼女の子はもう20分もわんわん泣いているけれど、透子さんはまったく困っていない。

「子どもといっしょに、なんだか改めて世界を生き直すみたいに思えるの。見て、これ」

そう言って、まだ今より少し幼かった子を撮った短い動画を見せてくれた。
そこには人がはじめて光に気づく瞬間の表情が映っていた。

「この子がね、あっ、光があるな、って気付くでしょう。それを見て、私も、ああここには光があるんだ、って初めて知るみたいにびっくりするの。とても楽しいよ、とても」

人がはじめて光に気づく瞬間。
動画の中で、幼子はたしかに光を見つけていた。
呆然としてはいない。驚いてもいない。ただ、これは光だ、と、自分が光の中を生きることをすんなり受け入れたような、穏やかな表情をしていた。

ただ生きているだけで自分が光に包まれていることを、知っているつもりで知らなかった。
カフェの店内を見渡すと、そこかしこで全てのものが光っていた。

ようやく眠りに落ちた子が眩しくないように覆いをかぶせて、透子さんも向かいの席に座った。食べかけてあったサラダに少し手をつけてから、さて、とこちらに向き直る。それで、どうなんですか、最近は。
これからまた叱咤が始まるのかもしれない。
けれど、潔くて誠実で頼もしい透子さんの微笑みは今、やわらかく、穏やかな光を帯びている。