夏休みの日記 3週目
7月15日(木)夏休み15日目 厚い曇り
10:00起床。
夜型になりつつあって気がかりだが、夏休みだしまあいいや。
大人になってから自分の怠惰を許しがち。
・朝昼食 11:00〜13:00
ブロッコリーを食べて、パンの切れ端にバターをのせて食べて、IKEAで家族が買ってくれたベジボールを7つ食べる。
夏休み2週目のおわり、日記を書き続けるかどうか悩んだが、書かなければ自分が前日の午後に何をしていたかすらさっぱり思い出せないことにこの記事を書いていて気づき、絶句。綴っていてようやく、秀良子『STAY GOLD』を読み返していたことを思い出した。漫画を読んでいるといつも、キスってなんだっけ、と途方に暮れる。
電子書籍は紙という異物を媒介しないため、他者への対峙という行為にはなれぬまま生活の一部として消費されてしまう。読書であるにもかかわらず行為として脳に記録されず、排水溝をながれる色のない水のように、物語も感動も何もかもが流れ去ってしまう。色のない水。暗いところを流れて、それがどろいろなのかかげいろなのかわからない水。
・恵比寿 17:30〜21:00
5番出口で待ち合わせのあいだフランス語のテキストをぶつぶつ復習していたら、「ずいぶん集中しているね」と頭の上から声をかけてきた、私の姉貴分。
姉貴分とは感染症下で可能な限りの贅を尽くして圧政に抵抗する同盟を組んでおり、この一年で何度かファインレストランに一緒に出かけたが、今日は私の転職祝いでご馳走していただく。
Allons à Restaurant Hiromichi. と頑張ってフランス語で言うも、「うん」と日本語で返される。無慈悲である。固有名詞には冠詞は必要なのだろうか。
恵比寿の東の高台にむかって坂を登る。
「見て、あんなところにマルジェラ」
「本当だ、事務所のようだね。MM6のバッグを持っているとパリかぶれみたいでさ」
「いま肩に掛けてるそのサンローランならいいのかよ」
「販売員のマルジェラのお姉さんにさ、聞いたの。MacBook入れても破れませんかって」……
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嘘です。そういうのは好かない。
いろいろ示唆に富む助言を貰ったのでそのうち別途で書きます。
・飲酒 22:00〜25:00
レストランが優等生で酒類の提供を停止していたため飲酒の開始時刻が遅くなり、なかなか酔いが回らない。
昼に受け取ったメールを開封する勇気(というか勢い)を得るのに時間を要した。
寝る直前にえいと開くと私の愚行を容認する内容で、安心する一方で申し訳なさが募る。
私の迂闊さが何もかもをだめにする日がきたら、私は自分を一生許せないだろうと、初めて思い至った。
7月16日(金)夏休み16日目 ぴっかぴかの快晴、33度
6:30起床。
週1くらいのペースで早起きが叶う。
書きかけてあったメールを完成させて送信、日記を少しだけ書く。
・フランス語 8:30〜9:30
復習しているうちに1時間たった。単語の暗記が意外とすんなりいっている。進みはしなかった。
・WEB面談 10:00〜11:30
新しい上司と面談。社史や部署構成、仕事の進め方などについてざっくりご説明いただく。
基本的には在宅で仕事を進めていいらしい。
担当予定の案件についても教えてもらい、入社後にどういう仕事をするのか・どんな準備が必要かについて具体的にイメージできた。必要資料の経費購入も許された。つまり休みの間に資料と企画を準備しておけという意味である。夏休みが死を迎えた。
・打ち合わせ準備 13:00〜14:00
こっちは前職の仕事。資料を読んでいたら、私がまるで鬼か悪魔であるかのような書きぶりの箇所があってウケた。
本人は愛の女神とか聖母のつもりで生きているのだが、人からは悪魔とか天変地異とかマングースとか言われる。
・北千住 15:00〜19:00
びあマでビール買って荒川の河川敷で飲みながら打ち合わせしようと思ってたんだけど、気温が33度あるとさすがに死の目撃を予感する(私じゃなくて相手が死ぬ)のでルミネのタリーズに変更。なんだこのタリーズ女しかいねえ。
互いのPCの画面を眺めながら膝ではなく肘を付き合わせた打ち合わせを一通り終えて、ふうと息をついていると、仕事相手であり友人でもある人が「やっぱ(私の業種)も(その業界)も必要ないな、と思った」と言う。今日の仕事、なにかまずかったかなと冷や汗をかいて次の言葉を待っていたら、「必要なのは(私のフルネーム)だわ」と続ける。「だってここまでやったのは、あなたがいるからだよ。結構辛かった」と。
嬉しい。
打ち上げは寺で。Bodriggy BrewingのSpeccy JuiceというSession IPAをバイト代として奢ってもらって飲んだ。オーストラリアのブリュワーらしい。ビールはわからん。
・疲れ 21:00〜26:00
気力体力を使い果たし、ぐったりして動けないのでソファの上で溶けながらスワイプだけで漫画を読む。
暴力を行使しあう漫画をいくつか読んで、さらにぐったりした。悪を暴力で制するのって本当にすっきりする。最悪。
新しい上司から長い長いメールが届いていた。結構膨大めな資料つき。
新しい上司の方のメールはじつに理路整然と、私が必要とするだろう情報を過不足なく理知的な日本語で説明したもので、上司から物事の仕組みについて体系立ててきちんと教えてもらうという体験が生まれて初めてなのでひどく感動した。「前職との違いを中心に列挙すると」以下の留意点についてなど、たいして詳しくお伝えしたわけでもないのにこうも的確に把握できるものなのかと驚く。
いただいた参考資料のすべてを把握するのにはかなりの時間を要するだろう。さしずめ夏休みの宿題といったところか。
まだピンチョンもガルシア=マルケスも石牟礼道子も読んでいないのだが……(それは前半寝まくってた自分の罪です)。
7月17日(土)夏休み17日目 悪夢、たぶん太陽のせい
9:00にひどい悪夢から覚めた。
おとといの日記の結び、「私の迂闊さが何もかもをだめにする日がきたら、私は自分を一生許せないだろうと、初めて思い至った」という文章を反復しながら眠りについて、まさにその通りの終末の夢を見てあまりにも苦しい。
部屋着のワンピースを着たまま寝たはずが、就寝中の寝苦しさに下着から何からすべて脱いでいて、全裸になってしまっているのが怖い。熱中症の予感がしておとなしく冷房をつける。
悪夢のせいか昨日の疲れがまったくとれていない。しぶしぶ寝直すが、再び奇妙な悪夢に苛まれて疲れ果てただけだった。
夢を見ながら、受肉先をこうした夢の奇妙な登場人物たちにすればいいのではないかとぼんやり考える。今日ほど強烈に奇怪な人物を無意識の想像力が造形することは稀だが、今朝の小銭撒きおばさんのことは長く忘れられないだろう。
体力の手応えをわずかに感じ、起床したのは12:30のことだった。
・しらす 12:30~13:00
午前中に宅急便で届いた2kgの冷凍しらすを小分けにする。夥しすぎて命に見えない。
・MBA 15:00~16:30
先輩に買ってもらったおニューのMBAをセッティングしようとするも歯が立たない。
以前使っていた2013年くらいのAirより3回りくらい巨大化しており持ち運びに難儀して、こんなのMacBook Gravityじゃないかとわめく。
・パフェ 17:30~20:00
久しぶりに会う友人とそんなに久しぶりでもない友人と集まって新宿のロイホでパフェ。
数年前、3人でいちご狩りドライブに出た際なぜか車内で長い沈黙が生じ、眠気に痺れを切らした運転手(私)が6文字しりとりを始めた思い出が話題に。「う」が私に回ってきた時に即座に「うりさね顔」を出したことを記憶されていて、「あれは芸術点が高かった」と褒められた。気恥ずかしい。
友人が手がけた雑誌『イリュミナシオン』創刊号をいただく。ほんとうに綺麗。平積みしたい。
ドリンクバーにココアを取りに行って戻ってきたらいつの間にやら釣りに出かける話になっていて、あれよあれよと秋川に鱒釣りに出かけることに。真夏の太陽を浴びながら川に飛び込むことを想像して、冷たい水の跳ねるイメージが清らかだ。写真家の友達も誘い合わせて、いいメンバーになった。早々にレンタカーを手配。
・MBA 22:00~23:00
とはいえ新しいMBAはやはり段違いに動作が早く、キーボードの操作も軽快で、画面も断然きれい。使って一瞬で気に入る。
いろいろの同期を簡単に済ませて問題なく使えるようになったので、古いものはあくまで携帯用とした。iCloudは便利だなあ。
・漫画 23:00~25:00
少女漫画のはやりをだらだらザッピングしたのち、『傘寿まり子』を6巻くらいまで読んで具合が悪くなる。悲惨な現実をフィクションが次々と救済するのだが、その救済があまりにも夢物語であることを、私はすでに身の回りの人間の老いを見た経験から理解できてしまう。知性の耄碌よりも先に、気が急いて走る身体の自由や向上心を支えるだけの十分な体力は、80年目の肉体からは剥奪されているのが常だ。神経痛、骨の訴訟症、筋力の低下、老い先への不安、集中力の頻繁な途切れ、肉体の痛みに蝕まれる思考力。まり子はあまりにもそれらと無縁すぎて、疑いなく希望を預けられる設定から踏み外している。作品が善意のかたまりであり、現実を丁寧に織り交ぜながら夢を描いていることはわかるが、かなりつらい。
・国語 25:00~30:30
『現代思想』2020年1月号所収のヴェイユ論を読んで以来ずっと刊行を楽しみにしていた脇坂真弥『人間の生のありえなさ』(青土社、2021)をようやく読み始めると、するする読めてのめり込んでしまう。
こう言っていいのなら、自分が書いたものくらいするする読める。
早く読み終えて感想を伝えたい。
「わたしがこの私であること」には、私を丸ごとほしいままにしてしまうような特殊な偶然が構造上備わっている。この偶然なしには、私は決して私にはならなかった。しかしこの偶然は私を生んでその中に溶けて消えたのではなく、そうして生まれた私という自己認識には絶対に包摂されない不気味な異物として、私につきまとい続ける。この偶然は自分が生み出した「ほかならぬこの私」「このかけがえのない私」というたしかな自己認識全体を深く貫いて、繰り返しその自己認識を自分の底なしの懐へと揺り戻すのである。他方、揺り戻される当の私は、私であるかぎりつねにそれに驚き、その揺り戻しに永遠に抵抗し続ける。「〈私〉という偶然」とは、人間の生が運命づけられたこのような運動にほかならない。(脇坂、2021:11)
途中、どうしても続きが気になって『傘寿まり子』を10巻まで読んだ。やはり空元気(のようなもの、私が勝手に抱いてしまう嫌な感じ)がつらい。
お酒を飲んでいないので眠りに落ちることのないまま夜が更け、人間の生の偶然について丁寧に読み進めるうちに朝がきた。
7月18日(日)夏休み18日目 5時の美しい朝焼け
10:30起床。
床に就いたのは6時半ころだった。夏の早朝の朝焼けのすがすがしさ。
昨夜はなんとなくワインを飲む気になれず、焼酎の薄いソーダ割りを3杯ほどちびちびやったあとは炭酸水も切らしてしまい、あたたかい黒烏龍茶を淹れてビールと交互に飲み進めることにした。
酔わないのでずっと起きていられる。夜通しクリアな頭脳で本をのんびり読み続け、時々死にたくなりながら、4時半にはほの明かるい朝を迎えた。そして水色、黄色、橙色、——強烈な光!
さすがに少し疲れてきたので横になり、眠り過ぎないていどに眠った。家族と民芸品を集める夢を見た。
・国語 12:00〜15:00
『人間の生のありえなさ』の続きをいくらか読み、昨日の日記をまとめる。
昨日まで4日間、毎日人に会う予定に恵まれて、嬉しい一方でなかなか自分の勉強に打ち込む時間がとれずやきもきしていたが、今日からの2日間はまるごと自分のために時間を使える。遅れを取り戻したい。
・フランス語 15:00〜18:00(休憩15分、おひるね30分)
前回の仏作文の復習から。何度もくりかえして例文をおぼえていく。
形容詞の男性形女性形、複数形と冠詞の絡みが複雑で、不規則変化を頭に叩き込むのに時間がかかりそう。
読むだけならなんとなく原型が何かがわかって文意を把握できる。
・お買い物 18:00〜19:00
先週の月曜に伺ったら定休日で悲しかった憂さを晴らしに、テイクアウトデリがお気に入りのビストロへ日曜夜の駆け込み。
鶏のガランティーヌと、同じものを香草パン粉で包み焼いたもの、豚バラとパプリカとえんどう豆のキッシュ、それから真空パックの砂肝コンフィとキャロットラペ、好物のガトーショコラ。美味しいのにどれも安くてすごい。
その後、クックパッドマートで買った生鮮食品を受け取り。初めて買ったロシア産のトリ貝がでかすぎて手羽先500gと見まごうばかり。こんなにでかいのに消費期限が明日っておかしいでしょ。泣く泣く小分けして冷凍する。ロシアの貝、こんなにでかいんだな。怖い。だって鳥貝ってふつうこんなもんでしょ。
・フランス語 20:30〜23:45
食事と休憩を挟んで再開。
さすがに辞書を引くのに疲れてきた。休み休み進めて、vieux, vieille(古い)がなかなか頭に入ってこない。
体は疲れても脳は疲れないということを知っているので、とにかく体をだらけさせつつ進める。一度履修さえしておけば復習で身に付けることができるから、できるだけたくさんの範囲に目だけでも通しておきたい。
宵の序盤は濃いコーヒーでハイになっていたが落ち着きもなく、終盤、蒸留酒を少しずつ入れて沈静していった時のほうが集中できた。
それにしても(友人からの連絡に返信したりちょこちょこ家事やSNSや漫画を挟んだりなどして集中していないとはいえ)進まない。歯がゆい。
・国語 23:50〜28:30(途中コンビニへふらふら足を運ぶ)
椅子からソファに移り、『人間の生のありえなさ』後半を読み進める。
第3章のアルコール依存症の克服の話、実に身につまされる。AA(アルコホーリクス・アノニマス)と呼ばれる依存症自助グループの用いる「12のステップ」によると、アルコール依存症の患者が「私は意志の力でアルコール依存から自力で脱却できる」と考えるとき、それは過度な緊張状態、過度な自己信仰、自己肯定、ほとんど狂気の精神状態にあり、実はアルコールを摂取してしまった酩酊状態のほうが自我のありかたとしては正常なのだという。ものすごくよくわかる話だ。
自分の苦しみに対するどこまでも誠実な態度は、苦しみの意味を神が自分だけに特別に与えた試練に見出したり、そのような試練に耐えて「苦しみの答え」に至った自分は他人とはどこか違う特別な存在なのだと感じたりすることを徹底的に阻む。「この病さえなければ」という痛切な思いは、その人の中から決して消えることはないのだ。苦しみはその人にとってどこまでも理由のない異物であり、「なぜ私なのだ」という問いとなってその人に迫り続ける。そこにはもはや自己陶酔のかけらもない。「この病さえなければ」という痛切な苦しみを持ち続けることと、「この病でよかった」という自己肯定とは、一人の人間の中に両立しながらその人だけの生を織りなしている。そこに見出されるのは「このどうにもならない私こそが「私」である」という「この私」の奥底の事実に対するぎりぎりの確認と、それに寄り添う「神」だけである。(脇坂、2021:148-9)
夜にコーヒーを飲んだせいで朝までまんじりともしなかった。酩酊もしていない。
読書は終盤、著者の本丸ヴェイユ論に差し掛かる。以前論文として一度読んでいるとはいえ、著者のこれまでの研究の流れを知った上で読めばまたそこから得られるものはがらりと変わってくるだろう。
最初に脇坂さんのことをすごくいいなと思ったのは数年前にヴェイユについての簡潔な解説を読んだときで、ヴェイユについて語るのにこうもプレーンに語れる人がいるのだなと感心したのだった。それから2年ほどたって、雑誌に脇坂さんのヴェイユ論(『現代思想』2020年1月号)が載っていたので、すばらしいすばらしいと大騒ぎした。周りにも勧めたし、著者本人にもメールした(そしたら昨日、ちょうど本を開いたタイミングで「あのとき褒めていただいたのが力になって出版に漕ぎ着けました」とのメールをいただいて感激した。読んでます、読んでますよ、また感想をお伝えしますね)。
なんとなくあの頃くらいから、私もヴェイユのことを「対象」として見れるようになっていて(以前は深い同情とそれによる自身の生の慰めという感じで接していたのだが)、つまり「あなたはこう感じるのね」でなく「あなたは一体、全体として何を考えているの?」という接し方。その人の世界観、思考体系を、ひいては人生をきちんと総体的に眺めて、一語一語を取り出してよりきちんと正しい場所へ配置していく。
親しい人に本の感想を書き送り、今朝と同じ水色の朝焼けを少しだけ眺めて、再び眠りに落ちた。
7月19日(月)夏休み19日目 外は36度、室内なので28度
12:30起床。
いいぞ、夏休みっぽい昼夜逆転だ。時間を気にせず朝まで本を読めるのが本当に楽しい。
31にもなってこんな自由を謳歌できるとは思わなかった。タイムカードのない生活最高。
当初は働いていたころより多少余裕がある8時起きの日々を送れるはずだと見込んで緊張をほどかずにいたが、午前をすべて自由時間と設定しなおしてからかなり気が楽になったな。朝の弱さが三つ子の魂だったことをついに認めた。
外気温は36度とあるが、3日前から冷房をつけっぱなしにして28度をキープしており、外出もほぼしていないので、この夏がどんな夏だかいまいちわからない。窓の向こうの空の青がただただ眩しい。
暑さと無縁の夏は初めてで、もう10年以上、とにかく冷房に頼らず暑さに耐えて暮らしてきた(夏において涼しさは贅沢品だからだ)。しかしようやく暮らし向きを変えられたので、今年からは存分に涼みます。おつかれさま私。辛かったね。
・国語 14:00〜15:30
『人間の生のありえなさ』3日目。日記やメールに感想を書きつけつつのんびり読んできたが、さすがに今日には読み終えられそう。
ヴェイユ論に差し掛かったので、予習的に書棚からヴェイユの『重力と恩寵』(春秋社、1968、著作集Ⅲ)を取り出してきてぱらぱらめくる。脇坂さんの本を読んだあとだと、たとえば「不幸」の中でヴェイユが語る「私の苦しみが役に立つからそれを愛するというのであってはならない。苦しみがあるから愛するのでなければならない」という謂いへの理解もすんなりゆく。
われわれの探究の対象は超本性的なものであってはならない。世界であるべきだ。超本性的なものは光である。それを対象とすれば、それを低めることになる。(「知性と恩寵」より)
今日好きだと思ったヴェイユの一節。ずっと読んでいたいが、きりがないので一旦引き上げる。
・家庭 16:00〜17:00
母親から「帰省中行きたいところある?」と嬉しそうなメール。
私にとっては帰省は単なる務めであっても、母にとっては嬉しくてたまらない非日常なのだ。愛の不均衡。
佐賀にカレーを中心としたコースを供する店があることを思い出し、行ってみないかと誘う。4日間の帰省であれば、この遠出と志賀海神社で催される薪能の鑑賞で十分楽しんでもらえるだろう。あとは祖母とのランチに鮨を予約して、ワインを8本買って実家に配送して、万事OK。Netflixで当たり障りのない番組を流しているうちに終わるだろう。
ものすごくネガティブな意味を込めて「家庭」と題した。
・仕事 17:30〜20:00
前職のお仕事。助言したらすべて受け入れてくれてありがたい。いい作品になってほしい。
・国語 20:30〜28:00(気絶に1時間)
読書会というか感想会を明日に控えているので、『人間の生のありえなさ』を読み終えるのに躍起になる。
生活リズムを派手に乱したせいか体調が芳しくなく、22時半から1時間ほど本を両手で開いたままがっくりと気絶していた。読んでいた箇所がこの本ではめずらしく退屈な章だったせいもあるかもしれない。
家族の夫から話しかけられてようやく目を覚ます。机上の仮眠のために妙な元気を取り戻してしまって、その後の読書は大フィーバーだったみたい。あんまり覚えていないけど。
自分が尊厳を失って打ち砕かれ、自身を「物」、すなわち他人の医師に委ねられた道具と見なすにいたったのは、それに抵抗しうる「強い魂」が自分になかったからだということを、おそらくヴェイユは認めざるをえない。(脇坂、2021:228)
この箇所に線を引いて、次のようなコメントを付している。
「でも、尊厳を失うような環境、「歴史や伝統に守られていない場所」に自らの「生」を積極的に置き、我が身をもって理解しようとしたヴェイユを差し措いて名乗り出られるような「強い魂」がほかにあっただろうか? 安全圏から偉そうに、と、ヴェイユを評価するすべての人間に対して私などはそう思ってしまうのだ」。
実践者の実践を評価する人間はだれも、実践者が実践した苦しみを通過していない。私が「評価」を忌み嫌うのはそれゆえだ。ありとあらゆる「評価」が、「理解」とはかけ離れている。私は理解したい。私は評価したくない。
少し長くなるが、「強い魂」について書かれた箇所を引用する。2段落目「」は本来引用の処理をされていた箇所。
「不幸」の中で声を失う人間の典型として、ヴェイユは『旧約聖書』のヨブに言及している。彼女はヨブに託して、不幸な人間の魂の奥底にまで浸透している自分自身への深い侮蔑、不信、有罪の感覚を語る。
「ヨブがあれほどまで絶望的な口調で自分の無実を叫ぶのは、彼自身に自分の無実が信じられないからだ。彼自身の中で、魂が友人たちの味方をしてしまうからだ。」
ヨブにとって無罪を証明する自分の良心の声は、もはやぼんやりとした死んだ記憶でしかない。もう誰も、自分自身でさえ自分の味方ではない——不幸の経験の当事者が陥るこの奇妙な有罪の感覚は、自分の身の転落に自分がどこかで決定的な「共犯」として加担していたのではないかという当事者の意識を示している。
ヴェイユにもまたこれと同じことが起こった。「お前には強い魂がなかったのだ」という言葉は、彼女にとって事情を知らぬ他人の勝手な批判ではない。問題は、何より「ヴェイユ自身に自分の無実が信じられない」ことに、そして「ヴェイユ自身の中で、魂がこの批判の味方をしてしまう」ことにある。この罪責感や加担の意識はどこから来るのか。(脇坂、2021:230-1)
今日も就寝は4時。
7月20日(火)夏休み20日目 甘やかな1日
10:00起床。
「無事目覚めています」と返信して、シャワーを浴びる。
黒いトップスに緑色のスカート。見せたことのある派手なネックレス。やりすぎない程度におしゃれ。
・夏休み 11:30〜19:00
玄関前のゴミ捨て場に生活のゴミを出しに降りたら、ちょうど到着したタイミングだった。
ゴミを投函したのち、「完璧っ」と口ずさみながら隣に立つと「かわいいな」と私を慈しむ。
「今日の顔を一言で言うと、夏休みの人がまた少し痩せたなという感じ」と言う。たった一週間でまた痩せたらしい。自分では気づいてなかった。
一緒に飲みたくて買っておいたVERTEREのビール(すごくおいしい)を供しつつ、過去の話を聞く。
差し入れに買ってきてくれたワインはコノスルのレゼルバだった。初めて飲む。美味しい。昼からお酒を入れるのが久しぶりで、頭と体がぼんやりする。飲酒のため日中の記憶が曖昧で寂しい。
チケットを買ってあった18:50からの映画に間に合わなかった。セブンイレブンで夜食を買って家に戻ったが、食べる余力もなくベッドに倒れこんで、しばし眠り込んでしまった。
・スペース 24:00〜28:00
今日にまだしがみついている。
スペースを開いてみたら、22世紀ジェダイとメーン会場が遊びにきてくれた。めずらしいメンバー。
よそゆきの会話を楽しく話しながらビールやハイボールを飲み進めて4時に寝た。
7月21日(水)夏休み21日目 胡乱、ほぼ泥
15:00起床。
精根尽き果てている。
日記を書くことすらままならない。昨日逃した映画をあらためて観に行く気にもなれず、だらだらと動画を眺めて時間を過ごした。
すぐに夕方が来て、夜が来て、『ゆびさきに恋々』をまた読み返す。何度目かもうわからない。
こういうだらしない時間を過ごしていると、部屋を涼しく保つことが分不相応の罪深いことに思えてならない。冷房は生産性をあげるための投資のはずなのに。
新しい勤め先の上司の方からまた新たな宿題が課されて、ンア〜と奇声を発しながら資料を2冊購入。
起きていて何かしようという気力も湧かないので、夜を強制終了するためにスパークリングワインを1本飲み干して眠った。