漢方薬で鬱が治った

 漢方薬で鬱が治った。なんと甘美な一文だろう。
 医学的にはまったく適切でない表現なのだろうが、病者の実感としてこう言うのが最もしっくりくるのだ。

 朝、寝起きに水を飲んで、おいしい水が体の先まで染み渡る心地が気持ちよくて、「寝起きのエヴィアンうめ〜」というツイートをした。
 寝起きの渇いた体に水が美味しい。この、ごくごく普通の日常を、私はようやく今日、半年ぶりに取り戻したのだった。
 寝覚めに飲む水を美味しいと感じていることに感動している自分が、しばらくの間、どれだけ「生きていたくない」という気分に苛まれていたかを思い知らされる。半年と書いたが、おそらく半年では足りない。数年にわたって、私は毎日、目が覚めるたびに絶望していた。また生きねばならないことに。

 「生きていたくない」という思いに苛まれながら生きることは、おそろしい疲弊をもたらした。仕事、食事、読書、映画、何をするにも「する」ということそれ自体を達成するのに膨大なエネルギーを必要とした。特に仕事は苦しかった。したくないけれど、やらないわけにはいかない。もともと夢見は悪かったが、今度は現実すらも悪夢の範疇だった。寝ても覚めても魘されつづける。そんな私の状態を、誰一人として、本当には理解できなかった。こんな精神状態では何もできなくてもおかしくないのに、無理にこなせてしまうがゆえに、私は「できる状態」にあるのだと、誰からも思われていた。最も近しい人にすら。

 昨年の秋口、運命が強いるおそろしい出来事があり、それが私の命を大幅に削ったらしかった。
 以来、精神は瀕死だった。それにつられてか、体力も虫の息となった。それでも、私が笑っているのは平気の証左であると、近しくしている人ほど身勝手に安心していたらしい。私も私で「大丈夫」と口にするのだから責めることはできない。ただ、どんなに苦しんだのか知っていて寄り添おうと言うお前がなぜそんなにも安心しているのかと、腹のうちではずっと怨んでいた。どうして私の苦しみに気づかないのかと。私から「大丈夫」を奪って倒れさせてくれるという、お前が果たすべき責任を、どうして全うしないのかと。
 そう思っても、もはや、世界が私に与えないものを求めるだけの強欲を発揮する余力もなかった。強欲を是とする倫理も持ち合わせていない。結局は一人で引き受けることになった傷は、一人きりの私の心身を蝕んだ。

 以来、人との約束がなければ休日は寝て過ごす、平日もどうにも起きられず会議に遅刻する、酩酊しなければ眠れないので深夜まで酒を大量に浴びて思念を破壊しながら暮らす。そういう日々を、望まないままに送った。
 本も映画も美術も、これまで享楽としていたすべてを拒絶し、自分だけであることを許される時間はひたすらに眠った。何もできない。ただただ無気力だった。体に毒が回っている感覚に支配されて、常にグロッキーだった。
 とにかく何もしたくなかった。このまま眠っていたい。現実をみたくない。心を費やしたくない。私の人生はもう終わってしまったのだろうか。どんな悪夢でも現実よりはましだから寝たい。寝たい。寝たい、ただひたすら眠りたい。起きられない。体がうごかない。起きなければならないのに、どうしても動けない。

 そんな日々から救ってくれたのは「うちで生かされるがままに暮らしなよ」と手を差し伸べてくれた友人たちだったが、しばらくその家で面倒を見てもらって、少し回復してみると不要な遠慮がはたらいて、「大丈夫」が首をもたげた。
 「ありがとう、もう大丈夫」と言って自宅に戻れば、またそんな状態に戻ってしまったのだった。もう、一人で人生をやっていく力がないのだ。喘ぎながら年末の業務をこなした。それ以外にやれることなんか一つもなかった。読むことも書くこともできなかった。

 何もできないことが、私には恐ろしかった。こんなのは私の人生ではなかったはずだった。活力に満ち、学びを志し、美しいものを美しいと思い、それを書きとめ、この世界を言祝ぐことを生業としていた、私の人生。それがまったく失われてしまって、自分が生きていることに価値を見出せなかった。
 人生が失われてしまって、それなのにのうのうと生きていることが恐ろしかった。痛みと苦しみを掻き消すのにほとんどのエネルギーを使いながら、なんとか生きる。そんな生になり果ててもなお生きている、そのことが恐ろしかった。

 しかし生きながらえて、今ここにいる。さて、暗い話を一通り了えたので、鬱が治った話をしたい。

 上に書いたように、「生きていたくない」心情になる原因があまりにもはっきりしている私がとりあえず精神科にかかって、下された診断は「アルコール依存症」だった。
 飲酒しなければ眠ることもできない私の生活状況を西洋医学の視点で見て客観的に診断すれば当然その結論になる。しかし、私は自分の意思で飲酒を断つことができる理性を維持しており(飲まなければ眠れないが、飲まずにいれば眠らないので、寝てはならない日には一滴も飲まず、徹夜で仕事や勉強に勤しむことが度々あった。アルコールは単に「手段」だった)、まあ「依存症」の定義にもよるが、薬剤による断酒という治療方針には賛同できないとなり、そういった治療を受けるには至らなかった。その後自主的に酒を控えることで生活改善を試み、「生活」自体は一時的にうまくいったが、心の塞ぎはどうにも改善しなかった。

 次に疑われたのは甲状腺の病気によるホルモン生成の異常だった。親友の女が私の首を見て「腫れているのではないか」と指摘してくれたのが昨年末。甲状腺機能低下症の症状を調べると、無気力や倦怠感をはじめ、皮膚の乾燥や抜け毛、体の冷えなど、すべての実際的な問題に合致していた。もしかしたら私はこの病気に罹ったのかもしれない。だとしたら全ての辻褄が合う。投薬による治療さえできればこの状態から抜け出せる。そう期待して精密検査を受けたが、結果は健康そのもの、「治療は不要」だった。
 医師には「ものすごく注意深い人が見たら腫れに気付く、といった程度の腫れ方です。疲れが溜まっている人の感じかな」と診断された。人気の専門医のその診断で、病気の可能性が取り払われてしまった。
 最後の頼みの綱が切れたような思いがして落胆しながら、なぜここを受診したか、来歴と現状について医師に簡単に話して処方されたのが「加味帰脾湯」という漢方薬だった。

 漢方には苦い思い出があって、20代半ばの皮膚の異常に漢方が一切効かなかった忸怩たる経験が尾を引いている。少し警戒した。けれど、藁にもすがる思いでその処方を受け入れて、会計までの待合でその加味帰脾湯とやらについて調べてみたところ、「精神を安定させる作用があります。血色が悪く、貧血気味で、精神的なストレスや不安感、不眠、焦りなどの神経症状がある方、胃腸が不調な方などに使用される薬です」とある。その効能は自分の症状にぴったり合致していた。医者ってすごい。彼らはデータベースなのだなと思った。人によってキュレーションの能力の高低があるから、そこをきちんと見定めなければならないが、医学を多角的に受け入れている医師に診てもらえたのは幸運だった。

 で、処方された漢方薬が、びっくりするほど効いた。
 まだ3包ほどしか服用していない、つまり飲み始めて一日しかたっていない時点で、気力が充実して、「生きていたくない」とか「横になりたい、眠りたい」とかいう思念が一切湧いてこなくなった。仕事が捗る。受け取ったメールを開くのが怖くない。
 その後も服薬を続けていたら、「週末はあの映画を観ようかな」という思いが湧いてびっくりした。能動的に何かを「したい」と思うことがあまりにも久しぶりで、人生とはこのようなものであったかと、衝撃を受けた。
 本を読もうと思えた。美術を観ようと思えた。文章を、書こうと思えた。
 気力が充実していた。三日飲んでも同じだった。気力が充実して、仕事も人生もみるみる捗った。眠るのに酒が必要なのは変わらないが、酒の味を選べるようになった。

 こうまで薬剤に元気を補充されてしまうと逆に今後が心配になってしまうが、自力で生きる意志を生み出せない以上、今はこのブースターに頼るしかないのだろう。
 私にできることがあるとすれば、この薬剤に世話になっているうちに、生き続けるためのシステムを構築し、それを実現することだけなのだろう。酒がなくとも眠れる環境、眠りから起き出す必然性、ものを書くことが常態とされる環境。
 漢方の力で蘇ったからこそ思う、生き様を変えねばならないと。そしてそれは、漢方薬の効能で一時的に気力を取り戻している今しかできないことであろうと。