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IHヒーターで炒飯を作ろうとしたら負けた話

事のはじまりは数日前の正午ごろに遡る。
昼飯に炒飯を作ろうと思い、僕はキッチンに立った。
冷蔵庫から出した卵を小さい容器でとき、ご飯はレンジであらかじめ少し温めてある。
準備は万端なのである。
IHヒーターの電源を入れるスイッチを押す。軽快な電子音が鳴る。
フライパンを置き、操作パネルに触れて加熱を始めた。
上手い炒飯を作るのなら、ここからは文字通りスピード勝負である。
僕のプランでは全ての工程は中火よりも少し強いくらいで行われる予定だ。
僕は覚悟を決めた。
さながら週末19時頃のファミレス店員のような覚悟である。

フライパンに油をごま油を少しだけ落とし、サラダ油でかさ増しする。油を馴染ませたらそこは戦場と化す。
まずはとき卵を流して軽く炒める。

が、ここでやらかした。
とき卵をちょど操作パネルのところにこぼしてしまった。

『操作部が、押された状態になっています』
無機質な声が聞こえる。
(ここで説明しておくと、IHヒーターの操作パネルは水分等が触れていたり手が触れ続けたりすると誤動作防止のために警告音を発するのである。ずっとその状態が続くと安全のために加熱が止まる)
焦る。

まずは操作パネル上の卵を拭き取らなければならない。
しかし、そのためには紙を手に取り切り取って拭くという過程を踏まねばならないわけで、その間にフライパンに流した分の卵は固まってしまう。
決して僕は変な形をした卵のクレープが食べたいわけではない。
適度に形が崩された卵こそがおいしい炒飯には必要だ。

ここまでの思考は約1秒。
そして僕の下した判断は「先にフライパン上の卵を崩す」ことだった。

最初の警告音が鳴ってからヒーターの加熱が止められるまでには猶予がある。先に卵の形を崩し、そして素早くこぼれた卵を拭き取る。これで行ける。

僕は確信していた。可能だと。飲食店で3年働いている男の勘がそう言っている。
手早く調理箸をつかみ、卵をかき混ぜた。丁度良い大きさになるように、繊細かつ大胆に。スピード勝負なのだ。
少し混ぜたら左手で箸を置く。と同時に右手はペーパーに手を伸ばしている。
ペーパーをつかみ、切り取る。そして卵がかかっている操作パネルに手を伸ばそうとした瞬間、

『操作部が、押された状態になっています』
機械音とともにIHヒーターの加熱が止まった。


敗北。僕のスピードは追いつけなかった。


この刹那、僕の中で何かが崩れた。

ヒーターとともに、僕の心の火も消えたのだ。

たった2回の言葉。それだけで僕は負けを認めざるを得なかった。

そこから先はもう惰性だった。
死んだ目で卵を拭き取り、再加熱を始める僕の姿はさながら週末21時のシフト終わりのファミレス店員である。

ご飯をフライパンにぶち込み、少なめの炒り卵とともにフライパンを振る僕はもう何もない人間だった。
しょうもない敗北に心を折られた僕は炒飯の素を加えて混ぜていく。

僕は敗北者だ。

そんな敗北者が作った炒飯。味は普通に美味かった。惰性で作ってもまあ普通に美味かった。若干卵少ないけど。

永谷園さん。ありがとう。負けました。

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