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「未定」【四話】

お気に入りの窓際の席に座る。窓から人の往来がよく見える。
僕はいつも通りアールグレイを頼んだ。
紅茶が美味しい。客はいつもいない。
僕がそのカフェに通い詰めるのにはそのふたつの理由だけで十分だった。
いや、まあ客がいなすぎてどうやって経営してるのか分からないんだけど。
こんなにテーブルを置いておいても無駄なんじゃないか。
僕が優雅にアールグレイを飲み始める今この瞬間も、ほかに客は見えない。僕は本を読み始めた。

カップから3杯目の紅茶がなくなり、そろそろ帰ろうかと本に栞を挟んだとき、ふと店のどこかから話し声が聞こえてきた。
珍しいな。他のお客さんか。

僕は聞き耳を立てた。

「.........なわけだろ?ずーっと青になって黄色になって赤になってってやってるわけじゃん。めっちゃ大変じゃんね。ド田舎の誰もいないような交差点のさ、整理しなきゃなんない通行人もいなくてさ、それでも信号って『仕事』してるわけよ。もしも自分が信号だったらさ、なんでこんな意味のないことしなきゃなんねーんだってさ、思うわけよ。けどさ、ちょっと考えたんだよ。実はだーれもいない交差点の交通整理をしてんじゃなくてさ、いや、まあその、なんだ、こう……妖怪みたいなやつだよ。なんかそういうウチらからは見えないやつらのことをさ、整理してんじゃないかって。一緒の世界にいるんだけどさ、ウチらにはわからないし向こうもウチらのことがわからない。そういう存在がいたらな〜ってさ。いやそりゃただの妄想だけどさ、そんなことあっても面白いんじゃないか?」

なるほど。なるほど。

「いやいや別に会ってみたいとかは思わないけどさ、だってずっと一人ぼっちの信号がかわいそうだなーって。そういう世界があってもいいなーって話だよ。な?別に考えるだけいいじゃんか。この世界は無駄なもんなんてないんじゃないかってさ、無駄っぽいものなら、それが無駄じゃなくなるための存在いたっていいんじゃないか?向こうは向こうで楽しんでくれればさ。って違う違う、こんな話がしたいんじゃなくてさ……」

面白い話だ、妄想は楽しいからな。うん。
しかしまあ盗み聞きはよくないよな。帰ろう帰ろう。
僕はレジに向かった。アールグレイとドーナツ一つ。僕は伝票を渡す。
会計を済ませて店を出ようとしてドアに手をかける。

が、何かに気づく。

客がいない。
そこには突然振り返った僕を不思議そうに見つめる店員以外の気配はない。静まり返ったホールには埋まったことなど一度も見たことのないテーブルたちが並んでいるだけ。

さっき喋っていた男は?
そもそも男か?
本当にいたのか?

はぁ……。
あー。んーと……。えー。うん。

結果として、僕は深く考えないことにした。
帰ろう。

改めてドアを押し開け、そして自宅へと歩き出す。
ちょうど店の窓からさっきまで座っていた席が見える。

そこには僕が座っていた。

そこには僕が立っていた。

僕は僕を見つめる。そしてつぶやいた。

なるほどね。

なるほどね。

窓からはもちろんほかの席も見える。なにやら談笑するマダムたち。大きなジェスチャーをしながら話している社会人。コーヒーを飲むOL。
店内はにぎわっていた。

僕はもう一度つぶやいた。

なるほどね。

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