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健やかに走るために

40歳半ばに近づいてくると衰えて行く身体をどうしても意識してしまいます。コロナの影響で外出が減り、頚、肩、腰などこわばり感や痛みなどがいつもに増して気になり始めました。そんな理由から、たまには運動をという事で気持ちが向いた時だけ近所の河川敷をランニングする様にしています。あくまで気が向いた時だけですね。毎日とか週に3回とか決めると間違いなく続かないので、続かないから続けないという前提で身体と気持ちが赴いた時に気ままに走っています。
職業柄、日常生活において、自分の身体の動きを意識するという事をやっているというか、やってしまうと言った方が良いかもしれません。ランニング中もそういうモードに入りがちで、数分間軽く走っただけでふくらはぎや左の臀部の張り感、腰の違和感、すぐに息が上がるなどネガティブな身体情報を拾って拾って拾いまくってある意味自分を追い込んで追い込まれる自分を実感し自分で自分を縛りつけていたと言っていいと思います。そうしていると軽い、とても軽いランニングでも若干、辛くなってきてしまいます。今までそんな事を何回も繰り返し、でもは今日は小さな気づきがありました。

今日もランニング開始直後はいつも通り足の運びや腕の振り、身体の各部の感覚情報を拾いながら走っていましたが、最近、実家の借金などの諸問題が勃発しその事が脳内をグルグルと巡って身体を意識して走る事なんて忘れていました。

いつも予め走る距離は決めているのですが今日はあっという間に走り終わった感があり、次第に息が上がってしんどくなる感覚や足の張り感を強く感じる事が少ないなどの身体的なストレスを感じる事がなく走り終えるという小さな驚きを経験できた朝のランニングでした。

今回は自然と心配事に気持ちを持っていかれ、いつもと違った心理状態で身体を忘れていた事が大きかったと思われます。身体と頭を繋げ過ぎてもいけないし、繋げないのもこれまた問題。とにかく脳内に思い浮かんでいる事柄でこんなにも身体に影響があるものかと実感してしまいました。

意識を身体に繋げてみるという事。意識的に繋げないという事。また、いつのまにか繋がってしまうという事。繋がらないという事。意識と身体。

結論。鈍った身体を解す程度のランニングは、身体を意識する事なく脳内に去来する思考に沿いながら、あるがままに走るという事が1番良いのではないかという所に着地しました。

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