「マルス一人旅と仮想通貨」
【210614】
「マルス一人旅と仮想通貨」
友人の店に遊びに行った。
彼は、仮想通貨で億り人になった知人の話を始めた。
やたらとテンションあがってた。
「彼は裏カジノで50万や100万負けてもケロっとしている。
それだけの余裕がある。」
「リスクをとったからこそ彼は成功した。
リスクをとれる人間にならないといけない」
ふむ・・・
リスクをとれる人間かあ。
それよりも、
出来ることなら、
一緒にワイワイできる仲間を作れる人間になりたい。
決して彼を否定するわけではない。
ただ・・・
リスクを背負い、運良く成功し、
その結果が裏カジノでの遊技か。
金がある状態での裏カジノは、
俺が2円スロットを打つようなもの。
負けても痛いと思わない分、
勝ってもそんなに嬉しくない。
ギャンブルの醍醐味がかなり薄れてしまうなあと。
仮想通貨で一山当てた話よりも好きな話がある。
同じく中学からの友人が挑んでいる
「マルス一人旅」だ。
出来るか出来ないか。
出来ないよりの確率を、何度もトライ&エラーを繰り返し、
成功確率を高めていく。
実に「男らしい」。
掛けた時間、掛けた労力、全てがムダになってしまうリスクを背負いながらも、
真剣にマルス一人旅に立ち向かうその姿。
言い方は悪いが、
「最高のエンターテイメント」である。
うむ。
人それぞれ、好きなもの苦手な物はあるだろう。
リスクをとることを過剰に美化することは、
裏返せばリスクをとらない人間を下に見ているということ。
いろんなリスクがある中で、
金銭的かつ暴挙に近いリスクの賞賛。
好きではない。
自分の利益のためだけにそのようなリスクを冒すことが、
自分にとっては割に合わないように感じる。
「俺はリスクをとってきたからこそ、今こうして恵まれた生活をしている」と、
暗に「お前ももっとリスクを負え」という無言の圧力を感じた。
そんな話より、
昔のたわいもない話がしたかった。
久しぶりに会った旧友は、カウンター越しのたった数10センチの距離にいたが、
ひどく遠くに感じた。
心のどこかで、「可哀想な彼を導くのは俺だ」
みたいな気持ちもあったのだろうか。
まあ、考えても何も産まれない。
今出来ることを、
淡々と、
今出来る範囲で続けていこう。
気の合う友人に本を贈る。
気の合う友人と好きなマンガや趣味について語り合う。
久しく会っていない旧友に本を贈ってみる。
こうして書いていく中で、
自分が好きなことは「本を贈ること」だと実感した。
好きなことをやり続けることこそが幸せ。
これからも、本を贈ることにしよう。
ネット社会だからこそ、書籍を贈ることにしよう。
文字というコストパフォーマンス最強なツールを、
最大限に周りの幸せのために使うことにしよう。
ふふふ
こんな結論になるとは、
書く事ってほんとおもしろいなあ
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