日本人として居心地が悪かったこと。

リンクの記事で樋口希一郎がナチスドイツ支配下からユダヤ人上海ルートで逃したということが書かれていた。

サンケイはいかにも発掘された事実のように描かれているがわりと有名な話。

僕は専門家ではないので正確ではないと思うが、杉原千畝が単独で行ったこととされる中、上海ルートでユダヤ人を脱出させた話は、ユダヤの金融資本との接近をはかり、軍事費用を調達することが目的だったとの言説を読んだことがある。

しかし、表題の「居心地が悪い」というのはその話ではない。

デトロイトに赴任していた当時のこと。ミシガン州にホロコーストメモリアルセンターができた。その時まで知らなかったのだが、デトロイト周辺はアメリカでも最大規模のユダヤ人コミュニティがある。


フランス系アメリカ人の仲がよかった同僚はユダヤ人の多い地域で育ったらしく、フランス系というマイノリティだったため、ユダヤ人からいじめられて木に登って逃げたという。

イジメを跳ね返すためにカラテにはまるという空手キッドばりの子供時代を経て、すっかり日本武道オタクとして成長した。

ところで、ミシガン州には全米最大のアラブ人コミュニティがあったり、アフガンのカルザイ元大統領も在住していたり、という珍しいところだ。

さて「居心地の悪い話」だ。

ホロコーストセンターがオープンの時、イベントの一環で日本総領事館に招待状が届き、上司の代理で出席した。その時、ドイツの総領事館からも出席者があった。

センターはかつて訪れたことがあるアウシュビッツと変わらない展示物が並んでいた。(ちなみにアウシュビッツは地名のことで、近くにはアウシュビッツ小学校なるものまであって、地元の人は世界から忌み嫌われる名称を使い続けているのだと不思議な気持ちになった)

案内を受けている時、ドイツ総領事館からの出席者は、柔和にそして腰を低くして、参加していた。

そこにいて非難されることが義務であるかのように。

それはそれで自分に置き換えるといたたまれないのだが、本質はそこではない。

展示物が途中で、ユダヤ人を助けた人物のパネルに来た時のことだ。

杉原千畝のところで案内者は僕をみて、「あなたの同胞です!」とほほ笑んだ。その瞬間がいたたまれなかったのだ。ドイツは罪を償い続けている。

けれども、マニラにいっても、クアラルンプールにいっても、歴史博物館に行けば日本兵を倒して独立に向かう巨大な像に遭遇する。

どの国も植民地を持つことで競っていたのだ、と歴史を振り返ることや、日本はドイツほど酷いことをしてない、ということを言うのは簡単だ。

けれども僕個人は杉原千畝でも、樋口季一郎でもない。そして、ドイツと同じように植民地をかけて戦争をした国だ。

そのことがとてつもない居心地の悪さを僕にもたらした。

ましてや、日本人、杉原凄かった、樋口は偉かった、ということを我が事のように誇りに思えるような神経は持ち合わせてもいない。

かつて、杉原千畝に祖母を助けられたのだ、というアメリカ人女性に会ったことがえる。

その時も誇らしいという感情じゃなくて、どんなにかたいへんな思いをしてアメリカまで来たのだろう、奇跡みたいな人だなあ、という感情と、その同じ人がセミナーの最中、時折、退屈そうにコミカルなマンガのイラストをプリントのはしきれに書くもんだから、おかしいやらという心持ちにはなったけど、それだけだった。

とにかく、誰か同胞がやったすごいことと、止められなかった戦争という相反する二つのつのことはいまだに居心地の悪さを感じるし、そうであった方が良いのだとも思ったりする。

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