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功利主義とはそもそもなんなのか。(ただの読書メモです)

  • 正と不正を決める判断基準は、何年経っても答えは出ない。

  • 数々のソフィストを持ってしても、功利主義についての議論は、紀元前のプラトンのことから何も進歩していない。

  • 物事に取り組むときに最初に必要なのは、自分が今どんな方向を目指しているのかを明確にきちんと把握することであって、最後になればわかるだろうと、待っているわけにはいかないのだろう。

  • 正か不正の判断は、(これからおこなうことについて何が正しく、何が不正なのかを確認するための手段でなければならないのであって、おこなったことについて、正か不正かを確認してみてからの結論ではない。という考え方になるわけである。

  • 多くの人々が、幸福と満足という二つの非常に異なる観念を混同している。

  • 高次元の能力を備えた人々は、不完全さに気づかない人のことを羨ましいと思わない。自身はいつまでも不完全であることに悩む。

  • 満足した豚よりも、満足していない人間が良い。満足した愚者よりも、満足していないソクラテスが良い。

  • 問題のうち、自分たちに関わる側面しかわかっていない。豚、愚者の対極にある人々は両方の側面がわかっている。

反論として、

  • 健康が善と承知の上で、性的欲望に溺れ、健康を害したり、高貴なものに対して情熱を向けていても、歳をとるに連れて怠情で利己的になる。

こういう人たちは、

  • 低級な快楽に執心するようになる前に、すでに高級な快楽を味わうことができなくなっているのである。

  • 知的な趣味に没頭する時間も機会もない。

  • 関心が失われ、高い志が失われ、低次元の快楽に耽る。

その理由は、

  • 手に入れやすいから。楽しいと思えるから。

  • 高次元、低次元の両方を知る人がわざわざ低次元の方を選ぶと思えない。考えにくい。



    効用という基準

  • 行為者本人の最大幸福ではなく、すべてを合算した上での最大幸福。

↑すべてとは?


究極の目的とは?

  • 可能な限り苦痛を免れていて、可能な限り快楽が豊富な生活状態。

↑これを低級、低次元だと呼んでいたよね?

自分をよく振り返り、観察する習慣も加えておくこと。

続く


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