行為と経験の立ち現れ

夢は行為と経験の脳産物である。立ち現れる行為と経験の脳産物は過去に行為し、経験したことの対象が変わったにすぎない。

そこで立ち現れる行為や経験は過去に現実に行為した、経験した記憶を脳産している。しかし、その脳産した行為、記憶は思いもよらないことに応用される。

それでも、現実に人を殴ったことのない人は、夢で殴ろうとして、手が意志に反して動かないことがある。スローモーションのようになる。殴った経験のない人は、行為の記憶がないから、それ自身が脳産されなず、夢として立ち現れない。

脳産にも良心がストップをかけることがある可能性もある。想像で殴ることができる人でも、脳産で殴ることができないことがある。

決して何々してはいけないと思いこんで現実を生きている時、脳産の中でも決して何々してはいけないが働く。

行為と経験との立ち現れである夢では、現実に行為し経験することとの差が無い。たとえ、過去として「僕空を飛ぶ夢を見た。」と言ったとしても、その人の脳産としては、空中からの視界を再現した。足が浮いた。体が横向きになった。空を飛んだ。はそれぞれ、別々の行為として経験したことを、一つにまとめただけだ。

空中からの視界は高いところに昇ればいい。足が浮くには水にはいればいい。体が横向きになるには寝ればいい。脳産ではそれぞれの立ち現れをいっぺんに体験することができただけの話だ。

われわれ、統合失調症の人の脳産物にも、色々な経験や行為や感覚、知覚が脳産される。そこでの脳産物は記憶からの応用にすぎなかったり、本人の傾向や良心が入り込んだりしているが、いろいろなストーリーを伴った感覚、知覚をいっぺんに応用して脳産物にすることにより、他者からは否定できない統合失調症としての妄想が出来上がる。それを強化するための経験をプライオリティーをつけて記憶に残すことで妄想のプライオリティーは高まり、他者からの拒絶を受けたとしても、自分の考えは正しいとすることが可能になる。

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