2018-06-13の日記

晴れ。湿度が残る。

地下鉄やビルを往復していると空の気分に気づけない。窓により紫外線がカットされた太陽光はどういうわけか偽物に感じる。

二ヶ月半ほど労働を継続している。少し考えると、高校時代も朝早く起きて時空間を縛られ明日が到来しないことを望みながら布団に丸まっていたので、あんまり変わらないと言えば変わらない。

労働は面白いとか面白くないとかいう軸に乗らないことが分かってきた。これは時空間を消費することで生存を長引かせる動きだ。言いかえるならば、自分を殴ると痛み止めが貰えるだとか、自分を包丁で刺すと病院に連れて行ってくれるとかそういうタイプの取引だ。やめるべき。

なにもない感覚が強い。意味のないことのために自分にムチを打っている感覚。労働は生存のためだから、生存に意味がないと言ってるようなものかもしれない。

人生に面白さを出現させる方法は時間と空間を支払うことなのだけれど、僕らは労働によって時間と空間を不当に売りわたしてしまう。それで時間と空間不足になった僕たちは人生に面白さを与えようと代わりにお金を使ってしまう。お金を使うことが面白さのメインではなくて、時間と空間を支払うことが面白さのメインなのに。という気がする。分からない。

何もこないバス停でひたすらに何かを待っている感覚。それが今の人生という気がする。何もこないバス停にいると気づいたときにやるべきなのは歩き出すことだ。バス停を殴ったりすることではない。

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