2020-05-13の日記

夕方は涼しかった。

2日ほど日記はお休みしました。

きのうはスーパーに行った。ひとは少ない。公園の葉が緑色に伸びていて、それを虫が食べていた。気温の上昇を感じます。

もはや人間がセーターを着ることもあるという事実を信じられないくらいに暑くなってきた。

冬には「人間がTシャツ1枚で暮らせるなんて信じられない」と思うし、夏には「人間がダウンコートを着るなんて信じられない」と毎年思います。

一年という短いスパンでそうなのですから、「人間が獣を狩らずに草を育てるなんて信じられない」「人間が出生地を出るなんて信じられない」「人間がキリスト教を信仰しないなんて信じられない」など、歴史上いろいろその時の確信があったのでしょうし、「人間が働かないなんて信じられない」「人間が子を生まないなんて信じられない」などが同じように振り返られればいいですね。

ハイゼンベルクの自伝をちまちま見ている。当時の物理学者の討論も思想的テーマになるとわりと素朴になってしまうので面白い。カントの再発明をしようとしていたり…… 餅は餅屋ということっぽいけれど、人生は人生屋に頼めばいいのだろうか。幸せは幸せ屋さんに。幸せ屋さんは誰のことか分かる。精神科。断じて哲学者ではない。

さいきんはドーパミン量を増やそうとして失敗している。つまり野草を煎じるような気持ちでサプリメントに手を出しては撃沈している。自分のプライドに反して僕はプラシーボが効きやすい部類っぽいのだけれど…… 功は奏さない。

僕はなぜかヨーグルトを食べると10秒後くらいにアレルギー性鼻炎がよくなる。ヨーグルトがアレルギーをよくするという話に実験結果はあんまり肯定的ではないと理解しているのだけれど、食べると10秒で鼻水が止まる。プラシーボの奥は深い。

今日はドライカレーを作った。春のナスとピーマンが売っていたので。ふつうのカレーをウェットカレーと言ったことはない。僕はウェット人体だけれど、ドライリバーとかいいかもしれない。カルスト地形には、川が元あった場所の地下を通るようになって干上がる涸れ谷というのがあるらしいが、どれかは見てみたい。特に岡山の無明谷。無明ですよ。仏教語で無知。

昔の音楽ばかり聞いている。時代の音というのはある。バスドラムの音がだいぶ違い、マスタリングの思想が違う。時代のジャンルもある。時代の歌詞というのはあるのだろうか。

これはありがちな話だけれど、過去は現在からしか見えない。だから現在の見方で過去を振り返ってしまう。シュガー・ベイブ『SONGS』が出た1975年に「2020年の週刊少年ジャンプでシティポップ特集が組まれるぞ」と思う人は誰もいなかっただろうけれど、現在から見てしまえば必然性を感じてしまう。まあ後知恵で歴史をまとめてしまうという話で、ホイッグ史観みたいな仰々しい言葉で語られるような現象にハマりがちだよね。

なんか書こうとしたがくじけた。じゃあクイズ。同年1975年に一番売れたアルバムは? 井上陽水『氷の世界』。これが140万枚売れるのは本当に信じられない。傑作だけれど多くの人にウケる気がしない。イギリスの国民に聞いたオールタイム・ベスト1位が「ボヘミアン・ラプソディ」だというのと同じように信じられない。

あんまり娯楽がない。しょうじき数学のチャート式が一番たのしいかもしれない。必要があって江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを読んでいるくらいか。1930年代くらいに書かれているのだけれど、六本木がひとのいない街のように書かれていたり、高田馬場あたりの野原が登場したり…… 

子供向けで変形した水戸黄門やアンパンマンなのですけれど、エンターテイメントとはいいものだよなーと思います。日常の謎に遭遇する→事件に巻き込まれる→黒幕が出てくる→正義の味方がすべてを解決する→黒幕が逃げる→……の繰り返しですが、このスタイルの初出はなんなのでしょうね。人間の脳の構造? 

どこかに行きたいし、誰かに会いたいし、なにかをしたいが、特定できないというよくある精神状態になってきました。この季節は毎年セキが出るのとともにこの精神状態になるのですが、なぜなのでしょうか。エアコンにそういうカビがいるのかもしれない。ソンザイイヤカビとかいう名前でしょうね。






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