俺が苦痛だと思えばそれは苦痛なんだ(哲学)
「ヨシケンには幸せになって欲しい」と言われることがたまにある。
色々頑張ってるんだけど、不器用だから色々上手くいかない。
その状況を憐れんで、優しい友人が、そのような言葉を掛けてくれる。
世の中には不幸せな人が沢山居るんだ、その人と比べちゃ、ヨシダ、お前は幸せ者だよ?うむ。一利ある。でも、俺が苦しいと思っているのであれば、それは立派な苦痛なのだ。他人と比べてどうとか、他国と比べてどうとか、苦痛はそういう話じゃない。
★★★
去年の話になる。恵まれた友達と大学で馬鹿話をして爆笑した後に、メンタルクリニックに「楽しい事も多いんですけど、毎日死にたいんです」と相談しに行った。軽い双極性障害の疑いがあると診断されて、ほんの少しの軽い抗鬱剤を処方された。そっか。軽くてよかったー!世の中にはもっと重たい薬飲んでる人もいるんだもんねー!
…いや、そんな訳がない。誰が何と言おうと俺は辛い。俺が辛いと思うならば、それは苦痛なんだ。骨折の痛みだって、擦り傷の痛みだって、程度は違えど同じ痛みじゃないか。折れた骨が繋がる可能性と対照的に、擦り傷に菌が入って化膿し、重症化するリスクだってある。
痛みは大小問わず痛いもので、人にとってリスクを孕んだ物なのだ。
★★★
自分の仲間だと思っている人が、自分の知らない仲間と楽しそうにしている。人間社会でよくありすぎる話。
これがなんか悲しくなるのは何故だろう。俺も同じ事を多々しているのに。なんだよヨシダ、テメー、矛盾していないか?
オーイエー。僕含めて、人間の感情は矛盾しているもんだよ。右も左も本当はナンセンスだし、正解も不正解も、本当は誰かが決められることじゃない。
僕らは、無理やりに自分なりの結論をつけて心を安定しようとしているだけ。まぁ結局ね、最後まで心なんて安定はしないんだけどね、死ぬまでね、、。
★★★
よく「女性は怒ると感情論になる」なんてプチ差別発言を聞くけど、そんなの男も女もその他の性も何にも関係ない話じゃないか。結局俺らは悲しいときは悲しいし、楽しいときは楽しい。怒るときには怒る。結局全部感情の上で生きてる。人生そのものが感情論じゃんそもそも。
大人になるにつれて、少しずつそれを外に出さないことが美徳にされて、僕らは気持ちを外に出さないようになっていくけど。
★★★
結局お前は何が言いたい?文章的に論理性がない?
まぁいいじゃん、感情に論理なんてないよ。つまりはそういう話。
最後に一言。俺は幸せになりたい。そして俺は今とても辛い。
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