現代社会においても諦め力を発揮する

最近、ルッキズムに興味がありまして、いろいろとアンテナを張っております。
そんな中でビジネス情報系のWebサイトにてノルウェーの若い女性の死因第3位が摂食障害であることを知りました。

その記事は美容整形手術などをテーマにした記事だったわけですが・・・。

確かに、美容整形手術が一般的になって恐らく費用も下がり、受けやすくなってきたと言える部分もあるかと思います。しかし、逆にこれまでであれば諦めなければならない外見に対してのこだわりをある程度諦めなくても済むようになってきたことが果たして幸せなことなのかと考えさせられます。

諦めなくても良くなったことが多くなってきたとは言いましても、それでも諦めなければならないことは多いのは事実で、それでも、なまじそのような現代を生きているため諦め力が衰えたようにも私には感じられます。

例えばですが、私は50歳のデブですので、トム・クルーズになりたいと言っても、それは到底無理です。まさに、諦め力を発揮すべき時です。ですが、例えば3000万円くらいの費用支出を覚悟して、痩身と脂肪吸引と美容整形を行えばもしかしたら少しは近づけるかもしれません。

でも、私がトム・クルーズになりたいあまり、それにこだわり過ぎ、囚われてしまったら、トム・クルーズは持っていない本来の私の持ち味や特性や伸ばせる可能性がある能力を伸ばす機会を失ってしまいます。

トム・クルーズになることはきっぱり諦めておりますのも、私は私ならではの能力を伸ばす機会を失うことはお断りという考えもあるからです。

過剰なほど外見に囚われてしまう心理は理解しておりますものの、一方で伸ばせるべき能力を伸ばせる機会を犠牲にしている事実も知っていただいたら良いのではないかとも思えます。

ブラックユーモアか事実か知りませんが、学生さんたちの思い出の写真は加工写真ばかりで、後々その写真を見て思い出に浸ろうと思っても、本当の友達の顔が思い出せないなんて話もあるようです。

そのような現代社会に諦め力こそ重要だと感じたわけです。

※トム・クルーズを例に持ち出しましたのはかつて好きだった女性が好きな俳優だからという理由です。

※「諦め」つながりですが、トム・クルーズはディスレクシアだと聞いています。恐らく彼とて「読む」ということを諦めたからこそ俳優として大成したとも言えるのではないでしょうか。

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