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「23歳の古書店」がOPENしました。

はじめまして。店主の平末健人です。
今日は、この度OPENしました「23歳の古書店 - third hand books -」について軽くお話しできたらと思います。

お店の名前について。

23歳の古書店は、古本屋ではありません。ここでいう古書というのはどちらかというと「使い古された本」という方が正しいかもしれません。「読み終えた本」ということです。

また、古本屋ではなく古書店なので「書き物を売るところ」ということにしています。この”書き物”とは何かというと、ある本を読んで”まとめた(要約した)もの”ということにしています。

つまりこの名前をもっと詳しく説明すると、

「23歳の店主が、読み終えた本をまとめた書き物を売る店」

ということです。
実はこの23歳というのは、どんどん更新していこうと思っています。なぜ年齢を含めているかというのは色々理由がありますが、「今の23歳ってこんなことに興味があって、こんなことを考えていますよー。」というひとつの指標になるんじゃないかと思ったからです。これが歳を取るにつれて、どういうことに興味を示していくのか。どういうことを考えて生きているのか。そんなことがわかる気がしたからです。

潜在価値

僕が、なぜこれを有料にしたかということもお伝えしておかなければなりません。これから出す記事には”読まれなくとも既に発生している価値”が存在します。それは大きく分けて二つあります。

ひとつは、「本に対する価値」です。

これは当たり前ですが、僕が読んだ本には既に価値がついています。本の著者は膨大な時間と労力を費やして研究、生活、企業運営など、様々な人生経験をしてこそ、その本を執筆することができます。そしてその本を編集・校閲する人がいて、それを広告する人がいて、製本したりデザインしたり、いろんな人の仕事が加わって一冊の本になっています。実際にはその本の価値は¥1000ではありません。その本を出版するひとつのプロジェクト全体にかかるお金がその本の価値になります。

また、本は著者の個性です。本には傾向があり、それはどれも正しいともいえます。つまり、著者にとってはそれが真実であるということ。本には、人と同じで個性があります。つまりいろんな本を読むことは、多様性理解の延長でもあるということになります。

もうひとつの価値は、「僕という人間」です。

僕は少ないながらも自分の人生を23年間生きています。その23年には、世界の誰とも同じじゃない、環境と感情が蓄積されています。個性ですね。そんな自分だけのフィルター(偏見・固定概念)は、本来誰のものでも価値があります。あなたの意見やものの見方は、本当はものすごく希少で価値のある個性なんです。

この二つ、つまり「本の個性×読者の個性」という価値を、この書店では「潜在価値」と呼ぶことにしましょう。すると、その段階でこの潜在価値には、今の世の中で最大の価値基準の判断材料であるお金(数字)をつける”べき”だと思いました。つまり、無料ではなく有料にする”べき”なのではないかと考えました。

付加価値

しかし、これが読者の皆さんに届くにあたって、この潜在価値に対して、それを同じように価値あるものとみなすかどうかが問題になってきます。つまり、3人目の人によって付加価値というものが発生します。副題の「third hand books」はここからきています。

付加価値は、ここではレスポンスと言ってもいいと思いますが、noteで言うと「いいね」か「シェア」ぐらいかな?と思います。実際付加価値は金銭的価値に置き換えるとピンからキリまであると思うのですが、全て「いいね」と言う微妙なリアクションによって処理されています。できれば数字でコメントとかする機能あるといいなぁと思ったりもします。

話がそれました。

”価値あるものとみなすかどうか”についてですが、実際、人は興味がなかったり、そもそも知らない情報に関しては価値はつけれません。例えば大学で文系の勉強ばかりをしていた人が、理系の情報に興味を抱けなかったり、そもそも知らないのでどれほどの価値があるのかわからなかったりするということですね。

「日本近代文学の勉強をしているのに、需要・供給曲線とか意味わからないよ。」と。

「アフリカ大地溝帯の研究しているのに、印象派と宗教画の話なんか知らないよ。」と。こうなるわけですね。

しかし、世の中で学問やカテゴリーと呼ばれているもの、つまりあらゆる情報は、厳密には区別できないのです。それらはこの地球上で、人類というひとつの種が行っていることなので、全てが繋がっています。人間はそんなに賢くないので、言葉によって区切ることによって、覚えやすくしているだけなのです。

日本の教育と”共通教養”

そんな縦横の繋がりを実際に感じることができないのが、今の日本の教育です。なぜなら、専門的なことを学ぶ大学があり、そこに入るために勉強するのが小中高だからです。つまり、世の中を越境する難しい仕組みや繋がりを知る機会はほとんどないと言っても過言ではありません。

僕が在籍する立命館アジア太平洋大学は、この繋がりを知るための大学でもあります。その繋がりのことを、「共通教養(Liberal Arts)」と言います。これを重要視している日本の大学はかなり少ないですが、海外では割とふつうだというのは、うちの学長も言っていた気がします。なので、APUにいると必ず意見が分かれますが、僕は本気で4年かけてこの共通教養を学ぶことにも物凄い価値があると感じています。これはゼミにも入らず卒論も書かずに4年間通ってきた僕の実体験です。

なので、この繋がりを感じてもらえるような記事、つまりそれらはあくまで共通教養であることをベースに更新していこうと考えています。


「本当は世界って面白い。」

「本当は世界って残酷。」

「本当は世界ってどんな形をしているんだろう。」


そんなことを考えるきっかけになったら、嬉しいです。


最後に

最後になりましたが、一つだけ皆さんに知っておいていただきたいことがあります。それは、これから更新する記事はあくまで僕にとっての真実でしかないということです。僕は文系なので、数学や物理に関しては本当に検索すれば出てくるようなことしかわかりません。僕は一応無宗教のつもりで、アメリカナイズドされた日本の中で育っています。皆さんと同じように目新しく映ることもあれば、そんなの常識だよと思っていることもあります。そんな偏見や固定概念を挟んでいるということを忘れないようにしていただきたいです。あらかじめどんな分野のものが記事としてアップされる可能性があるかは下に記載しておきます。

地理、歴史、人類学、宗教、哲学、民俗学、都市、環境、開発、観光、地質、科学、宇宙、経済、金融、美術、芸術、政治、医学、メディア、経営、マーケティング、言語、デザイン、スポーツ、文化(生活)など(順不同)

そして、前述した通りあくまで記事は有料ですが、それはほとんど潜在価値であり、小売業でいうところの”原価”です。皆さんが支払った原価は、僕とこの記事を管理するnoteに入ります。そこに、皆さんなりの付加価値を少しでもつけていただければ、幸いです。

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