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くたばれサロン

先日「くたばれ、正論。」なんてセンセーショナルなコピーの新聞広告が話題になって思いついた。(あの新聞広告の是非ではなく、単に思いついたきっかけにすぎない)。くたばれサロンって思っていた人がいただろうな。

以前フランスが芸術先進国になったのは、フランソワ1世の功績が大きいのだと書いた。フランスはその後王立絵画彫刻アカデミー(サロン)をつくり、美術理論を制度化して芸術家を育てていくのですが、その理論の中に画題のヒエラルキー(偉い順ランキング)があったのです。

上から順に偉い、ヒエラルキーランキング

歴史画 : 歴史・神話・宗教・神話・寓意など
肖像画 : 人物の肖像
風俗画 : 人々の日常の生活の一場面
風景画 : 自然の風景(海・山・川・森など)、都市景観
動物画 : 生きた動物
静物画 : モノ全般(花など植物・道具・食器・果物etc)・死んだ動物・ドクロなど

これは王家が権威を示すためにやっていることからキリストを含む歴史画が最上位に来て、その次に王家の肖像も含まれる肖像画が来る。次に一般の国民の風俗画、人間以外では神が作った景観の風景画、人間以外の動物、その他静物という順番ですね。神→人→その他神や人に近い順に偉いという法則があって、同じ画家でも歴史画の方が評価が高いと言うのです。

だからサロンの公募展でも歴史画や肖像画ばかりが入選することになった。
1863年のサロン展にエドゥアール・マネが出品して落選した「草上の昼食」は現実の女性の裸体を描いたことで落選(同時開催された落選展でも酷評される)。既に入選系経験があり、名声を得ていたマネでもヒエラルキーの壁は崩せなかった。

草上の昼食(エドゥアール・マネ、1862年–1863年)

マネはただ敗退的な文化を描いたのではなく、画題は田園の奏楽( ティツィアーノ あるいは ジョルジョーネ、1509年頃)から、主要3名の構図はパリスの審判(マルカントニオ・ライモンディ1515年頃)から(画面右下)とったという。マネにしてみれば綿密に計算したのに、神でない裸婦を描いたことでNGを喰らった。

田園の奏楽( ティツィアーノ あるいは ジョルジョーネ、1509年頃)

田園の奏楽( ティツィアーノ あるいは ジョルジョーネ、1509年頃)


パリスの審判(マルカントニオ・ライモンディ1515年頃)

パリスの審判(マルカントニオ・ライモンディ1515年頃)

なお、その年のサロンで高評価だったのはヌードの女性が描かれた官能的な作品アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生』だが、こちらは神話なのでOKだった。こっちの方がよっぽどエロいけどね。

アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生』1863年

ヴィーナスの誕生(アレクサンドル・カバネル1863年)



マネはくたばれサロンと思ったに違いない。

その後マネは1867年のパリ万国博覧会で作品が展示されなかったことに腹をたて、会場すぐ近くに自費でパビリオンを建てて自らの絵を展示すると言う、今で言う個展を世界で初めて行った。(その後もサロンへの出品は続いたけどね)
サロンという王立のアカデミーから市民に芸術の主役が移った瞬間だ。その後パリは市民の芸術が盛んになり、印象派へとつながっていく。(サロンは1880年に民営化)

権威に立ち向かって、文化の主役を自分たちに引き寄せた、マネの気概に感服です。
自分の信じたものを自分の手で引き寄せる、自分もそうでありたい。


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