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褒める、という行為の危うさ
最近は、「褒める=良い行為」のような言説を、よく聞く。
特に、怒られることにあまり慣れていないぼくたちミレニアル世代に対しては、そういったマネジメント方法が効果的、のような文脈が多い。
確かに、褒められるのは、怒られるよりよっぽど気持ちいい。
世間全体としても、互いにディスり合うより褒め合う方が、よっぽど良好な空気が流れそうな気もする。
ただ「褒める」という行為、言い換えれば「外発的動機づけ」は、諸刃の剣だよなあと思ったりもする。
つまり、「褒められる」というインセンティブが大きくなりすぎると、本来は「結果」であった"褒められる"という事象が、「目的」になってしまうのだ。
赤ちゃんなどは、顕著かもしれない。
例えば、おもちゃで遊んだあとに、それを片付けたら、親から褒められたとする。
これは本来、おもちゃを片付けたことに対する「結果」として褒められたに過ぎないのに、このインセンティブが赤ちゃんにとって大きくなりすぎると、褒められるために、後片付けをし始めしてしまう。
これは、近視眼的にはすごく両者にとって楽だ。
赤ちゃんは何をすれば片付けをすれば絶対に褒められるし、親も褒めれば片付けをしてくれる。
まさにwin-winな状態。
しかし、この状態は中長期的にみると、あまり芳しくない。
なぜならば赤ちゃんにとって、「なぜ片付けをすることが良いことなのか」といった本質的問いを、探求しなくなってしまうからだ。
ZOZOTOWNは、本質的な問いを探求する
スタートトゥデイでは、基本的に給料がみな同じらしい。一つは、社内政治をしていないで、お客さんのためにどういった価値を提供できるのかという本質的な問いに目を向けられるようにするためのようだ。
そして、「なぜ働くのか」というもう一つの本質的な問いを、喚起するためでもある。
別に、頑張っても頑張らなくても、給料は同じだ。それでも、頑張ってしまう。なぜか?
そういった働くことの根源的な意味を問うのに、給料一律はすごくいい仕組みだと思う。
何が言いたいかというと、「内発的動機づけ」が最強ということだ。
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