昨夜は都内のホテルに泊まった〜PIZZICATO ONE『わたくしの二十世紀』


昨夜は都内のホテルに泊まった。この歳になって、ようやく分かったことの一つは、僕はホテルが嫌いだということだ。一人でホテルに泊まるのが好きな人など、そもそもいないのかもしれないが。

でも、しょっちゅう一人でホテルに泊まらねばならない仕事をしている友人は、それなりに多そうだ。僕もかつてはそうだった。人生の時間が限られているのが見えてきた今は、もう出来ない。出来る人は、これがそうは嫌いじゃないんだと思う。

ホテルの部屋でアップルミュージックで何か聞こうと思って、新譜をブラウズしたら、Pizzicato Oneが出てきたので、聞いてしまった。こんな日に「戦争は終わった」を聞いたら、どんな気持ちになるだろう?という、よこしまな思いがかすめたせいだった。

美しい意匠の凝らされた、悲しくて、寂しい音楽が次々に流れ出てきて、「戦争は終わった」に辿り着く前に、辛くて辛くて堪らなくなってしまった。今夜、僕がこのホテルの部屋から飛び降りて死んだら、このアルバムのせいだよ。

辛くて辛くて、そのうち、何だかムカムカしてきた。どうして、こんな音楽を僕に聞かせるのだ、と。みんな一人で、みんな死ぬことなんて知ってるよ。そんなの耳元で歌って欲しくない。

そう感じたのは、たぶん、初めてではなかった。奇麗なメジャーコードを使いながら、そんな諦観を底に置いた、悲しくて寂しい曲ばかり作る小西康陽という男に対して、僕はずっとずっと反感を抱いていたのだろう。でも、それが自分の中で剥き出しになったのは初めてだった。

7曲目まで来て、小西康陽自身が歌う「ゴンドラの歌」を聞いたら、少し救われた。ムッシュの語りの部分は飛ばして、何度か歌だけ聞いた。そんな聞かれ方は嫌だろうな、とも思いつつ。

そのうち、小西康陽はすべて自分で歌ったシンガー・ソングライター作品を作るのだろうか。作ったら、僕はそれを歓迎するだろう。どんなに綻びた出来だったとしても(彼が作るからには、下限は分かっているし)。でも、本当に作ったら、遺作になってしまうのかもしれない。

職人の作るポップスのように見せかけながら、実はとてもプライヴェートで、とてもエモーショナルな音楽を小西康陽は作ってきた。ある時期のピチカート・ファイヴにはそれが顕著だった。こんな歌を野宮さんに歌わせるのか、と思ったこともある。

『わたくしの二十世紀』はさらに、職人的なポップス性をあえて破綻させつつ(といっても、その破綻も職人的にコントロールされているというパラドックスを含みつつだが)、彼の実人生を浮き上がらせるかのように作られているアルバムだ。

素敵な人達ばかりを集めて作られたそれは、だからこそ、余計に悲しく、寂しい。そう感じるのは、僕の実人生の中に、彼と交差した経験があるからかもしれないが。

友人なのかどうか分からないが(たぶん違う)、彼は僕の人生の一部ではあるから。サンジェルマン・デプレの坂道でばったり出会ってからの何日間とか。可愛い女の子達と過ごした笑っちゃうような時間。

僕はホテルが嫌いだ。同じように、クラブも好きではないのが、ある時から分かった。クラブの音楽は聞くのも踊るのも大好きだけれど。でも、そこは僕が空気を吸いたい場所ではないと。そのことと、小西康陽の音楽が好きだけれど、好きじゃない理由はきっと繫がっている。

僕は彼のように生きたくはないのだと思う。彼ほどの才能はなく、成功もしなかった妬みもあるかもしれないけれど。僕は幸せに生きたい。幸せな実人生をこっそり、後生大事に抱えて、ベロ出しながら、生きたい。長生きしたいんだ。

いや、本当は小西くんもベロ出しているのかもしれない。これは映画だよ、悲しくて、寂しい映画を作るのが好きなだけなんだよ、と。そうだったら良いんだけれど。彼が本当のシンガー・ソングライター作品を作ったら、それが分かるのだろうか。

早く家に帰りたかったので、コーヒーも飲まずにホテルをチェックアウトして、ラッシュ時間の電車に乗った。家に帰り着くまでに、これが書けて良かった。

おしまい。

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