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映画『エリス&トム』と「三月の水」のベースライン

 渋谷ユーロスペースでブラジル映画祭。『エリス&トム』を観てきた。天才二人がオフで好きな歌を歌ってるシーンとか、気絶しそうなくらい良かった。ブラジル音楽の好きな人は必見だ。
 ただ、字幕は酷かった。エンジニアのフンベルト・ガティカが今の音楽はコンプレッションが強くて、と眼前に手をかざして説明してるのに、「今の音楽は要約されている」とか。果ては「三月の雨」というのが二回も出てきた。ブラジル大使館も絡んだ日本語版の上映で、誰も気が付かなかったのだろうか。

 ジョビンが1970年代になって書いた「三月の水〜Águas de Março」は、映画中でも最も重要な曲である。ただ、「三月の水」は冒頭からエンディングまで何度も流れるものの、レコーディング時の具体的なエピソードは一つも出てこなかった。
 実は、とある原稿書くために、この曲に関して、最近、研究していたところだった。映画を観たら、ぶわ〜っと思うところが、さらに色々出てきた。
 映画では語られないが、実は「三月の水」という曲のコード解釈こそが、この映画の背景に横たわる、エリスとトムを悩ませた問題だったんじゃないだろうか。

 「三月の水」は最初にジョビンが自身でギターを弾いて歌った録音を残している。それは1972年5月に雑誌の付録の7インチ盤として発表された。 

 このオリジナル・ヴァージョンはBPMテンポ150以上で、とても速い。そして、後年に名曲として知られるようになるヴァージョンよりも構成も簡素だ。ジョビンにしては性急で、乱雑な感触がある。たぶん、それは作曲の時点で、ジョビンが民衆的なサンバを意識していたからではないかと思われる。大作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンの音楽ではないものを求めた。映画『エリス&トム』の中にも、それを示唆するようなジョビンの言葉が出てくる。
 この雑誌の付録の7インチ・ヴァージョンは今日まで、LPにもCDにも収録されたことがない。僕も最近になって、人から教えられ、YouTubeで初めて聴いた。

 「三月の水」を最初に正式なレコードとしてリリースしたのは、エリス・レジーナだった。1972年のアルバム『Elis』に収録されている。だが、そのことは映画『エリス&トム』の中では触れられない。
 ただ、エリス・レジーナはジョビンのお気に入りの歌手ではなかった、という証言が語られている。「三月の水」を最初にカヴァーしたエリスのヴァージョンをジョビンは気に入らなかった。その可能性を窺わせる。

 ジョビン自身は1973年5月発表のアルバム『Matita Perê』に「三月の水」を収録した。少し遅れて、ジョアン・ジルベルトが同曲を冒頭に収録したアルバム『João Gilberto』をリリースする。このアルバムは欧米ではジョアンのホワイト・アルバムと呼ばれたりするが、日本では『三月の水』という邦題で出た。
 リリースはジョアンの方が後だったが、録音時期に関しては、ジョアンの「三月の水」の録音の方が、ジョビンがクラウス・オガーマンと制作した『Matita Perê』の録音よりも先のようだ。

 整理すると、「三月の水」の録音は、ジョビンの最初の7インチの後に、エリス・レジーナ、ジョアン・ジルベルトがカバーして、ジョビンがクラウス・オガーマンと録音した後に、さらにエリス&トムのヴァージョンが作られた。ところが、この5ヴァージョンはすべてコード進行や構成が異なるのだ。巨匠ジョビンの代表曲だというのに。

 最初にカバーしたエリス・レジーナのヴァージョン。歌の一回り目のコード進行がジョビンのオリジナルとは違うのが分かるだろうか?

 一回り目はジョビンのオリジナルでは、こんなコード進行だ。

 B/A→ B/A→C#9/G#→Em6/G→Bmaj9/F#→B9/F#→C#/F→Em6

 コードの表記法はいろいろあると思うが、ベースラインが半音づつ下がっていく進行なのは分かると思う。ただし、Bmaj9/F#→B9/F#のところでは、ベースはF#で一回ステイする。キーはBでF#は5度である。この5度でステイするベースラインがジョビンのオリジナル・デザインだった。

 だが、最初に「三月の水」をカヴァーしたエリス・レジーナのヴァージョンは、この部分のコード解釈を変えていたのだ。キーはジョビンより半音低いB♭だが、下降するベースラインの5度のFでステイすることなく、減5度(E)、4度(E♭)と下がって行く。
 Bキーに変えて、コード表記するとこんな感じである。

 B/A→ B/A→C#9/G#→Em6/G→Bmaj9/F#→F7+5→E6→A7/E

 楽器演奏的にはこっちの方がどんどん先に進む感じで、ノリが良いと思えなくもない。しかし、ジョビンの曲のコード進行をあっさり書き換えるとは、なんと畏れ多い…。
 ジョビンのこの曲はベースラインを抜きして、シンプルに考えると、このような4小節のループを発展させたものと考えられる。

 Bmaj7→B7→C#→Em6

 この基本サイクルを崩してしまったのが、エリス・レジーナのカヴァー・ヴァージョンだったのだ。問題はベースがステイするかしないかよりも、三つ目のC#のトライアド(C#、F、G#)が鳴ってほしいところで、FではなくEが鳴ってしまうことだろう。
 「三月の水」はミニマルなメロディーの背後の微細なハーモニーの変化がキモである。エリスのヴァージョンの5度でステイしない下降ベースラインにジョビンが気づかなかったはずはない。それはジョビンの美学には反するもので、許せなかったのではないだろうか。

 ジョアンのヴァージョンを聴いてみよう。

 ジョアンはキーはジョビンよりも一音低いAキーだが、ギターのチューニングを一音下げて、基本的にジョビンと同じポジションでギターを弾いている。問題箇所のベースラインは5度でステイが基本。ただし、5度でステイせず、減5度でステイする箇所がある。1分40秒、2分23秒、4分4秒、4分47秒あたりの計4回。弾き間違えたようにも聴こえるが、規則的に出てくるので、これはデザインされたものだろう。
 さらに、ジョアンはジョビンのオリジナルにはないコード進行を付け加えている。マイナー・コードに転じた8小節のパートだ。これは前半と後半に二回出てくる。先の減5度のステイはその直前と直後に出てくるので、コード進行をわずかに変えて、マイナー・コードに転じるパートの呼び水にしたような感じだ。

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム『Matita Perê』ヴァージョンは、ジョビンとしては曲の完成形を示したものだったろう。

 ここではテンポはぐっと落ち着いて、BPM125くらいになる。クラウス・オガーマンに編曲を任せたこのアルバム・ヴァージョンで、初めてあの魔術的な転調を凝らした間奏パートが登場する。この間奏がなければ、「三月の水」は後期ジョビンの小曲くらいの評価で終わっていたかもしれない。そのくらい衝撃的な間奏だ。

 このアルバム・ヴァージョンに至るまでに、たぶんジョビンとジョアンの間では「三月の水」という曲についての何らかのやりとりがあったのではないかと思われる。ジョアンがホワイト・アルバム収録のヴァージョンで付け加えたマイナー・コードのパートが、ジョビンの『Matita Perê』ヴァージョンにも登場する。ただし、それは間奏の後で一回、出てくるだけだ。
 ジョアンはそれを前半から繰り替えしている。だが、間奏の手前でこのマイナー・コードが出てくると、先に転調感を示すことになり、間奏の衝撃を弱めてしまう。それでジョビンとオガーマンは間奏の後に一度だけ置いたのだと思われる。
 あの間奏はジョビンが思いついたのか、クラウス・オガーマンが作ったのか、それとも二人で練り上げたのか分からない。が、間奏の中では5度ステイしないベースラインが登場する。2分14秒あたり。これはオガーマンの編曲上の判断のように思える。

 さて、映画『エリス&トム』の話に戻ろう。
 1974年の『エリス&トム』のアルバム企画はエリス・レジーナのデビュー10周年で何かやろうということで、「エリス、ジョビンを歌う」アルバムとして構想された。そこにジョビンがゲストで加わってくれて、デュエットの曲があったら話題になる的な。完全にエリス側の企画である。
 だが、ジョビンはLAに住んでいたので、エリスのチームはLAに向かった。アレンジャーのセザル・カマルゴ・マリアーノも連れて。このセザルこそは、1972年のアルバム『Elis』で「3月の水」をアレンジ。5度でステイしないベースラインを作った張本人だった。

 そりゃ揉めるよね。
「彼がアレンジします」
「聞いてない。彼に何が分かる。できる訳がない。クラウス・オガーマンを呼べ」
 50年間眠っていた秘蔵フィルムで、こんなやりとりがあったことが明かされるのが今回の映画だ。

 ゲストだったはずのジョビンが、完全主義者ぶりを発揮して、スタジオを仕切りだし、現場は大混乱。エリスはもう無理、ブラジルに帰る、とまでなるのだが、オフで古いサンバの歌を一緒に歌ったりするうちに、セザルを含め、気心知れてきて、途中からセッションも上手く回り出す。
 エリスとセザルにとっては、ジョビンという教師について学ぶような経験。だが、ジョビンにとっても、それは自身の頑なさを溶かすことに繋がっていったのかもしれない。

 映画では「三月の水」のレコーディングの過程はまったく描かれないのだが、最後にフルで流れるのはもちろんエリスとトムのデュエットによる「三月の水」だ。

 そして、この「三月の水」はまた新しいヴァージョンになっているんだよね。最初の一回りはベースラインは5度でステイしない。つまり、セザルのアレンジによるコード進行が採用されてるのだ。ただし、毎回ステイしない訳ではない。3度目の下降の時はステイする(完全ステイではなく、5度→ルートを取る。これは『Elis』のヴァージョンもそうだった)。その後の展開には、ジョアンが曲に付け加えたもの、クラウス・オガーマンが曲に付け加えたものも取り入れられている。みんなのアイデアを折り合わせた折衷案なのだ。よくぞ折れたものだ、ジョビンは。
 というか、ジョビンはここでは作家の立場から編集者の立場に変わったように思われる。ジョビンの微細な編集センスが『エリス&トム』の「三月の水」を生み出した。あるいは、それはジョビンがこの曲にこめた想いとも関係しているのかもしれない。

 映画も基本的にエリスの側の物語になっているので、ここは描かれなかったというか、たぶん映画制作者は気づいていないのだろう。ベースラインをめぐる葛藤があったことには。
 しかし、ジョビンとセザルの間で、5度でステイするか、ステイせずに下降するかをめぐる議論があったのは間違いない。それが壮絶な感情のやりとりを伴うものだったことも。エリス&トムのヴァージョンはB♭キーだ。エリスに合わせてある。5度の音はF。下降するベースラインがFまで来る度に、僕は映画館で一人ドキドキしていた。ステイするのか、そのまま下降するのか。その時、ジョビンはセザルはどんな気持ちだったのか。

 そのあたりを含め、僕としては、ジョビンの大作曲家らしからぬ、人間の部分が多く感じられたのが、この映画の最大の魅力だった。ジョビンのギター弾き語り(お喋り入り)を、エリスがただ聴くだけのシーンとかたまらんかった。

 ところで、あらためて、その後のカヴァー・ヴァージョンを調べてみると、エリス&トムのヴァージョンの構成でカヴァーされていることが圧倒的に多い。というか、ジョビン自身のピアノ弾き語りも一周目の5度ステイはなくなっている。ということは、ジョビンにとってもエリス&トムのヴァージョンが最終形となったのかもしれない。
 ちなみに、僕はというと、ジョアンのヴァージョンを一番よく聴いたし、ライヴで演奏するためにギター弾けるようにした時はアート・ガーファンクルの英語カヴァーを参考にした(ジョアンのはスピードが速過ぎる)。ガーファンクルのヴァージョンも5度ステイなので、そっちが馴染んでいる。

 いろいろカヴァー・ヴァージョンを聴いてみると、本当にいろいろだなあ。小野リサさんのこのライヴは1周目は5度ステイなしで下がっていくが、間奏ではなぜかステイする。ジョビンとオガーマンの間奏はそこはステイしないんだよね。

 ジョアンの減5度ステイは、カヴァーでこれをやっている人は見当たらない。YouTubeでジョアンの「Águas de Março」をやります、と言って弾いている人もたいてい減5度ステイの箇所があるのは見逃している。中にはジョアンの音源に合わせて弾いているのに、間違っている人もいる。

 ホワイト・アルバムのジョアン独自のヴァージョンは、ジョアン自身も忘れてしまったようで、2006年の東京公演では、ほとんどがこんな四つのコードの繰り返しだけになっていた。
 Bmaj7→B9/F#→C#7/F→Em6
 この曲に複雑なコード進行など必要ない、という境地に至ったのかもしれない。ただ、よくよく見ると、減5度ステイのBmaj7→A9/F→G#m/F→Em6が時たま挟みこまれる。この減5度ステイを入れるのが、ジョアンの美学なのだろう。

 この「Águas de Março」の下降ベースライン問題、ブラジル音楽に精通した演奏家にとっては避けて通れないものなんじゃないかと思うのだが、みなさん、どう考えているんだろう? 伊藤ゴローさんとか、藤本一馬さんとか、機会があったら話聞いてみたい。

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